銘を持たない徳川将軍家の名刀
茎(なかご)に作者の銘がないにもかかわらず、この刀は古くから相州貞宗の作とされてきた。東京国立博物館が所蔵する国宝で、刃長は70.9センチ、反りは2.4センチ。身幅はやや狭く、中鋒に結ばれる落ち着いた姿をとる。
「亀甲貞宗」という号は、茎の指裏(さしうら)に刻まれた亀甲花文に由来する。この彫りは刀身が大磨上(おおすりあげ)にされた後で加えられたもので、銘を失った刀の目印として後世まで残った。
もとは鎌倉時代の太刀として作られ、帯から刃を下に向けて佩(は)く形式の刀であった。それが磨上げられて刀身を短くされ、刃を上にして差す打刀へと姿を変えている。この大磨上によって、本来あったはずの銘も切り落とされた。
相州貞宗と正宗十哲
貞宗は通称を彦四郎といい、十四世紀の前半、鎌倉末期から南北朝期にかけて相模国で鍛刀した。相州伝を大成した正宗の実子とも養子とも伝わり、後世には正宗の高弟を集めた「正宗十哲」のひとりに数えられている。
その評価には独特の事情がある。確実な在銘作が一振りも残らないため、貞宗とされる刀はすべて鑑定による極めである。それでも江戸期の鑑定家は貞宗を高く位置づけ、正宗・義弘・吉光と並ぶ名工四工のひとりとした。青黒く澄んだ地鉄は「貞宗肌」と呼ばれ、古くから珍重されてきた。
華やかな働きを見せる正宗に対し、貞宗の作風は総じて穏やかで整っている。貞宗の作で国宝に指定されているのは三振りあり、本作はそのなかでも気品の高い一口とされる。
国宝に指定された理由
文化庁は本作を、穏やかで気品の高い貞宗の作風を示す代表作と位置づけ、すでに国宝となっている同作者の短刀三口に劣らぬ健全な出来であると評している。古刀においては健全さが大きな価値を持つ。研磨や錆によって刀身は痩せ、刃文も変わっていくため、本来の体配と地刃を保つ刀は数が限られる。
本作は享保名物帳にも記される。享保名物帳は、八代将軍徳川吉宗の命により本阿弥家が天下の名刀を書き上げた台帳で、ここに載ることは当代屈指の名物と認められたことを意味した。
指定の歩みを見ると、昭和十一年(1936年)に旧国宝として保護され、戦後の文化財保護法のもとで昭和四十年(1965年)五月二十九日に国宝へと指定し直されている。
見どころ
号の由来となった亀甲花文は、茎の指裏、すなわち身に着けたとき体側を向く面に彫られている。大磨上の後に刻まれた彫物であり、銘を失った刀に印を残そうとした所有者の意図がうかがえる。
刃には、小のたれを基調に乱れの交じる刃文が焼かれている。師の正宗と見紛うほどと評されながら、その調子はあくまで静かである。造込は鎬造で、棟は庵棟、切先は中鋒にまとまる。やや狭い身幅とあいまって、抑制のきいた立ち姿となっている。
短くされた茎、後から加えられた紋、そして地刃の表情。これらを合わせて見ると、十四世紀の鍛冶の技と、その後この刀をめぐった人々の手の跡とが、一振りの中に重なって読み取れる。
上野へ至る来歴
記録に残る所持の系譜は、江戸期の権力の流れをなぞるようである。古い記録は本作を、徳川家康の孫で松江藩主であった松平直政の所持としており、その後は土方家、南部家へと移っている。やがて尾張徳川家がこれを求め、元禄十一年(1698年)、五代将軍徳川綱吉が尾張邸へ御成りの際に献上された。以後は徳川宗家の重宝のひとつとなった。
二十世紀に入ると刀は徳川家を離れ、実業家の中島喜代一、ついで愛刀家の渡邊誠一郎へと渡る。平成三年(1991年)、渡邊によって東京国立博物館へ寄贈され、現在に至っている。
周辺の見どころとアクセス
東京国立博物館は上野公園の北端に位置し、上野駅から歩いて行ける。日本刀は本館の刀剣を扱う展示室に並ぶが、保存のため刀剣は入れ替えながら公開されるため、亀甲貞宗が常に出ているわけではない。本作を目当てに訪れるなら、事前に展示予定を確認しておきたい。
上野公園には見どころが多い。徒歩圏内に国立西洋美術館や国立科学博物館、上野動物園があり、この刀の歩みとも関わる徳川家ゆかりの寛永寺も近い。時間に余裕があれば足を延ばしたい。
Q&A
- なぜ「亀甲貞宗」と呼ばれるのですか。
- 茎の指裏に、亀甲(六角形)の中に花をあしらった文様が彫られているためです。この紋は刀身が短くされた後に加えられ、そのまま号として定着しました。
- 国宝の刀なのに銘がないのはなぜですか。
- もとは長い太刀で、後に大磨上げにされて茎の下部が切り取られたため、銘の入っていた部分が失われました。貞宗はもともと確実な在銘作をほとんど残しておらず、その作は作風から判じられます。
- 博物館へ行けば必ず見られますか。
- 必ずではありません。東京国立博物館では刀剣を保存のため入れ替えて展示しており、本作の公開は時期によります。来館前に展示予定を確認するのが確実です。
- 貞宗とはどのような刀工ですか。
- 十四世紀の相模国で活躍した刀工で、通称を彦四郎といいます。相州伝の代表的な後継者で、正宗の実子とも養子とも伝わります。
- この刀はどのような経緯で東京国立博物館に入ったのですか。
- 長く徳川将軍家の重宝として伝来した後、二十世紀に個人の手へ渡り、平成三年(1991年)に愛刀家の渡邊誠一郎によって寄贈されました。
基本情報
| 名称 | 刀〈無銘貞宗(名物亀甲貞宗)〉 |
|---|---|
| 指定区分 | 国宝(工芸品) |
| 時代 | 鎌倉時代(十四世紀) |
| 作者 | 貞宗(相州伝) |
| 刃長 | 70.9センチ |
| 反り | 2.4センチ |
| 造込 | 鎬造・庵棟・中鋒 |
| 国宝指定年月日 | 昭和40年(1965年)5月29日(旧国宝指定 昭和11年) |
| 所有者 | 独立行政法人国立文化財機構 |
| 所在地 | 東京国立博物館(東京都台東区上野公園13-9) |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/547
- 文化遺産オンライン(国立情報学研究所)
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/502786
- e国宝(国立文化財機構)
- https://emuseum.nich.go.jp/detail?content_base_id=100193
- 東京国立博物館
- https://www.tnm.jp/
最終更新日: 2026.06.12