六十年をかけて建った日蓮宗本堂

常忍寺本堂は、鳥取県鳥取市行徳にある日蓮宗寺院の仏堂で、文政元年(1818年)に完成し天保9年(1838年)に改築され、平成20年(2008年)4月18日に国の登録有形文化財に登録された。

寺号は鷲峯山常忍寺(じゅぶさん じょうにんじ)。日蓮の外護者であった富木常忍(のちの日常上人)の名を負う。常忍は因幡の生まれと伝わり、その故地に寺を建てたいと願ったのが、徳川家康の側室で紀州徳川家初代頼宣・水戸徳川家初代頼房の生母、養珠院であった。願いは頼宣に、さらに頼宣の娘で鳥取藩初代藩主池田光仲の正室となった芳心院へ受け継がれる。

誰も完成を見ていない。芳心院は宝永5年(1708年)に没し、実際に動いたのは、その菩提寺である芳心寺の住職・日潤だった。日潤は当初、常忍ゆかりの「鷲峯」に建立しようとして果たせず、寛保元年(1741年)、鳥取城下近くの品治村にあった芳心寺の所領へ藁葺の長屋を建て、鷲峯山常忍寺と号した。その場所は東照宮祭礼の道筋にあたり、しかも水路に面していたため、藩は難色を示したうえで許可している。

格式はそこから急速に整う。延享4年(1747年)には本山・正中山法華経寺の客席寺院に列し、単なる末寺ではない扱いを得た。ところが本堂の普請は進まない。平成19年(2007年)の調査で見つかった2枚の棟札によれば、2代日顕が発願した本堂は7代日逮の代、文政元年(1818年)にようやく完成する。そしていま建つのは、8代日長が天保7年(1836年)から天保9年(1838年)にかけて改築した姿である。

登録の理由と、この本堂の価値

鳥取の市街地は、繰り返し焼け、繰り返し揺れてきた。江戸期から明治期にかけての大火、昭和18年(1943年)の鳥取地震、昭和20年(1945年)の空襲。近世の木造建築で生き残ったものは、ごく限られる。登録の根拠の半分はここにある。申請の裏づけとなった調査報告も、災害が頻発した市街地にあって例外的に保存状況の良好な木造建造物である、と率直に書く。

もう半分は建物そのものにある。文化庁のデータベースは、南面する5間堂で入母屋造瓦葺に1間の向拝を付ける、と記す。内部は正面1間通りを外陣、その奥4間を内陣、両脇を余間とし、内陣中央後寄りに須弥壇を構える。典型的な日蓮宗本堂形式であり、細部様式が時代をよく反映しているという評価で、登録基準は「造形の規範となっているもの」である。

制度上の位置づけも押さえておきたい。登録有形文化財は重要文化財の下、国宝からはさらに遠い。平成8年(1996年)に始まった枠組みで、使われ続けている建物を対象とし、外観変更時の届出を求める緩やかな保護にとどまる。常忍寺本堂は、鳥取市で5件目の国登録有形文化財となった。

なお、この寺には重要文化財が1点ある。鎌倉時代の作とされる絹本著色普賢十羅刹女像で、明治37年(1904年)に指定された。ただし現在は東京国立博物館の保管であり、寺で拝観することはできない。

見どころ

南から近づくと、まず向拝が目に入る。間口3間分を1つの柱間として扱い、几帳面取の角柱を切石の礎石に立て、虹梁型の頭貫でつなぐ。その中備には菊の御紋を刻んだ板蟇股が2枚。木鼻は2種類あって、頭貫の先端は拳鼻、本堂へ架かる海老虹梁の先端は象鼻とする。

堂内に上がると、日蓮宗本堂らしい分節が現れる。正面1間通りが外陣、その奥4間が内陣で、内陣は一段高い上段の間となる。中央間の両脇には余間が付き、中央後寄りに天蓋を伴う須弥壇が据わる。

意外なのは柱である。正面には直径1尺3寸(およそ39センチ)の丸柱が6本、堂内には1尺5寸(およそ45センチ)の丸柱が8本立ち、いずれもミズメザクラ、すなわちミズメの材で挽かれている。桜と呼び慣わされてきた木だ。この総桜材は紀州徳川家の寄進と寺に伝わるが、平成19年の調査では確認に至らなかった。明治期の寺誌には紀州徳川家の援助を記す箇所があり、判断は今後の調査に委ねられている。

柱の上端は強く絞られて粽をつくる。禅宗様の細部である。柱上には拳鼻付の平三斗を組み、中備には菊の御紋の板蟇股を配する。天井は内陣中央間が折上格天井、余間と外陣は棹縁天井。内陣天井に残る墨書は天保2年(1831年)で、長い普請の途中に打たれた一つの定点となっている。

丁寧に見るべきは須弥壇の上まわりだ。吊束の上に長押・頭貫・台輪をまわし、台輪の上を詰組とする。台輪と詰組の組み合わせは禅宗様の指標だが、組物そのものは和様で統一される。しかも台輪上の大斗には削出しの皿斗が付く。皿斗は大仏様の要素である。3つの様式が一具の造作の中で交わっているわけで、こうした要素は本堂本体には見られない。須弥壇と厨子は紀州塗で仕上げられている。

平成10年(1998年)、本堂は境内の現位置へ曳家された。このとき背面の部屋を新装し、垂木から上の材を差し替え、桟瓦から改良本瓦へ葺き替えて屋根に反りを加えている。桔木より下には古材がよく残る。北東に建つ客殿「観水楼」も同時に曳かれた。2階には数寄屋の座敷が保たれ、かつては久松山を借景としていた。

寺はJR鳥取駅から徒歩15分ほど、100円循環バス「くる梨」赤コース「常忍寺前」からは1分で、無料の駐車場がある。参拝者の報告によれば境内は無料で、おおむね9時から17時まで開いているが、正式に公表された時間ではないため、電話で確かめてから訪ねるのが確実である。外観の撮影は自由に行えるが、堂内に入る場合や内部を撮る場合は寺務所に一声かけたい。法要や葬儀と重なれば見学できない日もある。

Q&A

Q常忍寺本堂は拝観できますか。拝観料はかかりますか。
A常忍寺は檀家を持つ現役の寺院で、有料の観光施設ではありません。参拝者の報告では境内は無料で、おおむね9時から17時まで開いており、駐車場も無料です。堂内に入れるかどうかは一律ではないため、寺務所に申し出てください。法要中は難しい場合があります。
Q常忍寺へのアクセスは。鳥取駅からどう行きますか。
A所在地は鳥取市行徳3-977で、JR鳥取駅からおよそ1キロ、徒歩15分ほどです。100円循環バス「くる梨」赤コースの「常忍寺前」停留所からは徒歩1分。車の場合は境内に無料駐車場があります。
Q常忍寺本堂はいつ建てられ、いつ移されたのですか。
A複数代の住職にまたがる普請を経て文政元年(1818年)に完成し、天保7年(1836年)から天保9年(1838年)にかけて改築されました。平成10年(1998年)には境内の現位置へ曳家され、垂木から上の材の差し替えと葺き替えが行われています。それより下には古材が多く残ります。
Q常忍寺本堂は写真撮影できますか。
A境内からの外観撮影は通常問題ありません。内部の撮影は当然に認められるものではないので、事前に寺務所へ確認してください。参拝者や法要の様子を写すことは避けてください。
Q常忍寺の重要文化財は寺で見られますか。
A見られません。鎌倉時代の作とされ明治37年(1904年)に重要文化財に指定された絹本著色普賢十羅刹女像は、東京国立博物館の保管となっています。この絵を目当てに訪ねると空振りになります。訪問の目的は本堂そのものに置いてください。

基本情報

名称常忍寺本堂(じょうにんじほんどう)
所在地鳥取県鳥取市行徳3-977
指定区分登録有形文化財(建造物) 登録番号 31-0113
指定年平成20年(2008年)4月18日登録(告示は同年5月7日)
員数1棟
寸法建築面積181平方メートル。木造平屋建、入母屋造瓦葺、1間の向拝付
所有者宗教法人常忍寺
公開状況境内は通常無料で参拝可。堂内の見学は寺務所へ要相談

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「常忍寺本堂」
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00007112
文化遺産オンライン「常忍寺本堂」
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/119984
とっとり文化財ナビ「常忍寺本堂」(鳥取県文化財課)
https://db.pref.tottori.jp/bunkazainavi.nsf/bunkazai_web_view/62054104830FD7E34925796F0008002B?OpenDocument=
浅川滋男・佐々木孝文・岡垣頼和「常忍寺本堂」鳥取環境大学紀要 第6号(2008年)
https://www.kankyo-u.ac.jp/f/introduction/publication/bulletin/6/1080.pdf

最終更新日: 2026.08.21