旧吉田医院:医療と民藝の精神が融合した建築

鳥取市瓦町の通りに静かに佇む旧吉田医院は、医師であると同時に日本の民藝運動を牽引した吉田璋也(1898〜1972)が自ら設計した、類まれな建築作品です。1952年(昭和27年)の鳥取大火で焼失した医院を、民藝の美学を建築の隅々にまで反映させて再建したこの建物は、2021年(令和3年)に国の登録有形文化財(建造物)に登録されました。「民藝の心で医者をやっていた」と評される吉田璋也の思想と美意識が、診察用具から建築空間にいたるまで一貫して表現された、まさに「住む芸術作品」ともいえる存在です。

歴史的背景:民藝のプロデューサーと呼ばれた医師

吉田璋也は1898年(明治31年)、鳥取市立川町に医師の家庭に生まれました。新潟医学専門学校(現・新潟大学医学部)に進学し、在学中に白樺派の文芸運動に共鳴。その縁で民藝運動の父と呼ばれる柳宗悦と出会い、のちに河井寛次郎や志賀直哉とも親交を深めました。1927年(昭和2年)には京都帝国大学より医学博士号を取得しています。

1931年(昭和6年)、故郷の鳥取に戻り耳鼻咽喉科医院を開業すると同時に、地元の牛ノ戸焼の窯元を訪れ、伝統技法を活かしながら現代の生活に合った食器をデザインする「新作民藝運動」を開始しました。翌1932年には日本初の民藝専門店「たくみ工藝店」を鳥取市に開店、1933年には東京銀座にも支店を出しました。陶芸にとどまらず、木工・金工・竹工・染織・和紙・建築など多岐にわたる分野で工人を指導し、自ら「民藝のプロデューサー」を名乗りました。

1952年(昭和27年)4月17日、鳥取市はフェーン現象による強風のなか発生した大規模火災(鳥取大火)に見舞われ、旧市街地の3分の2が焼失しました。吉田の医院もこの大火で失われましたが、彼は自ら設計を手がけ、民藝の美学を余すところなく注ぎ込んだ新しい医院を現在地に再建しました。医院は耳鼻咽喉科・小児科・内科循環器科の診療を行い、1990年(平成2年)に閉院するまで地域の医療に貢献しました。

文化財としての価値:なぜ登録有形文化財に指定されたのか

旧吉田医院は2021年(令和3年)6月24日、国の登録有形文化財(建造物)に登録されました。登録にあたって評価された特徴は多岐にわたります。

外観は土蔵造二階建で、外壁を白漆喰で塗り込め、腰部分は洗い出し仕上げに海鼠目地(なまこめじ)を施しています。庇付きの虫籠窓(むしこまど)が開かれ、重厚でありながら温かみのある蔵造りの意匠を見せています。

内部がこの建物の真価を発揮する場所です。一階を診療所、二階を病室として使いながら、随所に東西の様式を調和させた民藝調の意匠が施されています。階段室は松の板を曲げて作られたバロック風の丸みを帯びた手すりを持つ洋風のデザインで、一方、診察室と処置室・手術室を仕切るガラス戸の桟には東洋風の装飾的な割付が施されています。全体の色調は拭き漆などを用いた焦げ茶色に統一され、落ち着いた美を醸し出しています。

外観上は二階建てに見えますが、実際には物干し場や自転車置き場として使われた床下部分と、書斎・寝室として用いられた屋根裏部分を含む四層構造となっており、限られた敷地を巧みに活かした設計も高く評価されています。施主自身が設計した医院建築として、新作民藝運動の建築分野を代表する作品です。

見どころ:民藝の美が息づく空間

旧吉田医院の最大の魅力は、建築そのものが一つの民藝作品であるという点にあります。

外観では、白漆喰の壁と洗い出し仕上げの腰壁、海鼠目地の組み合わせが、伝統的な蔵造りの品格を感じさせます。虫籠窓は通気性を確保しつつ装飾的な美しさも兼ね備えており、日本建築の知恵が感じられます。

内部に入ると、吹き抜けの玄関ホールが来訪者を迎えます。松材を曲げて作られた階段の手すりは、和の素材に洋の曲線美を融合させた吉田ならではのデザインです。診察室と処置室を仕切るガラス戸の桟には、東洋風の幾何学模様が施され、光を通しながら空間を優しく区切っています。

建物全体に一貫して用いられた拭き漆による焦げ茶色の色調は、温かく落ち着いた雰囲気を作り出し、かつて訪れた患者たちを心地よく包み込んでいたことが想像されます。診察用具や椅子に至るまで細部にわたる美意識の統一は、「民藝の心で医者をやっていた」という吉田璋也の言葉を体現するものです。特別公開時には、画家・山下清の作品も展示されることがあります。

見学案内

旧吉田医院は通常非公開ですが、年に1回程度、鳥取民藝美術館の主催により特別公開が行われています。特別公開時は入場無料で、建物の歴史や建築的意義について専門家による解説を聞くことができます。公開日程は鳥取民藝美術館の公式サイトまたは電話(0857-26-2367)でご確認ください。

建物はJR鳥取駅北口から徒歩約5分、鳥取民藝美術館の正面に位置しています。安全面への配慮とゆっくりご鑑賞いただくため、特別公開時は一度に約30名までの入場制限が設けられる場合があります。

周辺情報:民藝の街・鳥取を歩く

旧吉田医院は、地元で「民藝コーナー」と呼ばれる文化施設群の中心に位置しています。

目の前にある鳥取民藝美術館は、吉田璋也が1949年(昭和24年)に開設した施設で、日本・朝鮮・中国・西洋の民藝品約5,000点を収蔵しています。現在の建物は1957年築で、こちらも国の登録有形文化財です。

美術館に隣接するたくみ工藝店は、1932年に吉田が創業した日本初の民藝専門店です。鳥取の窯元の陶器をはじめ、木工品・染織品・ガラス製品など、暮らしに寄り添う民藝品を購入できます。さらにその隣のたくみ割烹店は、吉田が「生活的美術館」と名付けた食事処で、民藝の器に盛られた郷土料理を味わえます。名物の「すすぎ鍋」は、しゃぶしゃぶの原型ともいわれる牛肉の水炊き料理です。

少し足を延ばせば、国の天然記念物に指定されている鳥取砂丘、国の史跡・鳥取城跡、そして国の重要文化財・仁風閣(フレンチ・ルネサンス様式の洋館)なども訪れることができます。これらの文化財の保存にも、吉田璋也は大きく貢献しました。

Q&A

Q旧吉田医院はいつでも見学できますか?
A通常は非公開ですが、年に1回程度、鳥取民藝美術館の主催により特別公開が行われています。入場は無料です。日程は鳥取民藝美術館(TEL: 0857-26-2367)にお問い合わせください。
Q吉田璋也と民藝運動の関係は?
A吉田璋也は耳鼻咽喉科の医師でありながら、柳宗悦の民藝運動に共鳴し、1931年から「新作民藝運動」を主導しました。陶芸・木工・染織・建築など多岐にわたる分野で工人を指導し、自らを「民藝のプロデューサー」と位置づけ、日本初の民藝専門店や鳥取民藝美術館などを創設しました。
Q旧吉田医院へのアクセス方法を教えてください。
AJR鳥取駅北口から徒歩約5分です。若桜街道を北に進み、瓦町通りを左折すると、鳥取民藝美術館の正面に建物があります。
Qこの建物の建築的な特徴は何ですか?
A外観は土蔵造二階建てですが、実際は床下部分と屋根裏部分を含む四層構造です。内部では西洋のバロック風階段と東洋風の窓桟装飾を融合させ、拭き漆による焦げ茶色の色調で統一された民藝調の意匠が随所に見られます。施主である吉田璋也が自ら設計した、新作民藝運動の建築を代表する作品です。
Q周辺に民藝関連の見どころはありますか?
A旧吉田医院の周辺は「民藝コーナー」と呼ばれ、鳥取民藝美術館・たくみ工藝店・たくみ割烹店が集まっています。また、吉田が指導した牛ノ戸焼窯元や因州・中井窯、吉田が設計した湖山池阿弥陀堂(国登録有形文化財)なども訪れることができます。

基本情報

名称 旧吉田医院(きゅうよしだいいん)
設計 吉田璋也(施主設計)
竣工 1952年(昭和27年)
構造 土蔵造2階地下1階建、瓦葺、建築面積113㎡
文化財指定 国登録有形文化財(建造物)、2021年(令和3年)6月24日登録
所在地 鳥取県鳥取市瓦町504他
アクセス JR鳥取駅北口より徒歩約5分
公開 通常非公開(年1回程度の特別公開あり・入場無料)
お問い合わせ 鳥取民藝美術館/たくみ工藝店 TEL: 0857-26-2367

参考文献

旧吉田医院 – 文化遺産オンライン
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/597849
吉田璋也 – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E7%92%8B%E4%B9%9F
鳥取民藝美術館公式サイト
https://tottori-mingei.jp/
吉田璋也とは – 吉田璋也の世界
http://shoyayoshida.jp/history/
旧吉田医院 特別公開 – 鳥取民藝美術館ブログ
https://mingei.exblog.jp/25396544/
鳥取大火 – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%8F%96%E5%A4%A7%E7%81%AB

最終更新日: 2026.03.29