樫野埼灯台及びエルトゥールル号遭難事件遺跡──日本最古の石造灯台と、海を越えた友情の原点

和歌山県串本町、紀伊大島の東端に建つ樫野埼灯台は、明治3年(1870年)7月8日に初点灯した日本最古の現役石造灯台です。太平洋に向かって突き出した海抜38メートルの断崖の上で、150年以上にわたって航海の安全を見守り続けてきました。しかし、この岬の物語は灯台だけにとどまりません。

明治23年(1890年)9月16日の夜、台風に煽られたオスマン帝国海軍の軍艦エルトゥールル号が灯台沖の岩礁に座礁・沈没し、587名の命が失われました。事故を知った大島村の人々が貧しい暮らしの中から食料・衣服・医療を分け与えて69名の命を救った献身的な救助は、約一世紀の時を超えて1985年テヘランの邦人救出として返ってくることになります。令和3年(2021年)3月26日、樫野埼灯台・船甲羅・遭難者上陸地・遭難者墓地の四要素が一体の「国指定史跡」となり、近代日本と国際交流の重なり合う物語を伝える稀有な遺跡として正式に認められました。

新時代の幕開けとともに灯った石造灯台

樫野埼灯台は、塔高14.6メートル、海面から灯火までの高さは約47メートル、光達距離18.5海里(約34km)。20秒ごとに2閃光を放つ日本初の回転式閃光灯台です。慶応2年(1866年)にアメリカ・イギリス・フランス・オランダの4か国と徳川幕府の間で結ばれた江戸条約(改税約書)に基づいて建設が約束された8基の「条約灯台」の最初の一基にあたります。

イギリス人技師ブラントンの設計

設計を担当したのは、英国スコットランド出身の工兵技師リチャード・ヘンリー・ブラントン(Richard Henry Brunton)。明治元年(1868年)、若干28歳でイギリス政府の紹介により来日し、明治政府のもとで横浜裁判所の灯明台掛主席技術者に就任します。エジンバラのスティブンソン事務所の灯台標準設計仕様に基づいてブラントンが実施設計を行い、アーサー・ブランデルが工事監督を務めました。彼の設計した灯台のうち最初に点灯したのがこの樫野埼灯台で、まさに日本近代化の幕開けを象徴する建造物です。

ブラントンは在日8年の間に、灯台26基をはじめ、東京〜横浜間の日本初の電信架設、横浜公園の設計、日本初のトラス構造の鉄橋(吉田橋)など、近代インフラ整備に多大な功績を残しました。樫野埼はその輝かしい第一章にあたります。

地元の石を運んで築いた塔

建設には、古座川町宇津木で採石された「宇津木石」(火砕岩)が使われました。切り出された石材は古座川を船で下り、海を渡って大島に運ばれました。塔は当初4.5メートルだったものを後に14.6メートルにかさ上げしましたが、1階部分や最上部の灯ろうは創建当初の構造を残しています。

隣接する旧官舎

灯台のすぐ隣に建つ「樫野埼灯台旧官舎」も同じく明治3年(1870年)にブラントンの設計で建てられました。日本最古の石造灯台官舎として平成15年(2003年)に国の登録有形文化財となり、昭和45年(1970年)の自動点灯化までは灯台守が常駐していました。平成23年(2011年)の改修では当時の漆喰塗り外壁や、建具・窓枠の「木目塗り」技法も丁寧に再現され、現在は内部の見学が可能です。

エルトゥールル号、あの嵐の夜

明治23年(1890年)6月、イスタンブールから11か月の航海を経て横浜港に到着したエルトゥールル号は、スルタン・アブデュルハミト2世から明治天皇への親書と勲章を奉呈するオスマン帝国初の親善訪日使節団を乗せていました。司令官オスマン・パシャ一行は3か月以上にわたり厚く歓迎されました。

9月15日、エルトゥールル号は帰路につくため横浜港を出航しますが、折しも日本列島は台風シーズン。9月16日の夜21時頃、強風に押された老朽艦は、樫野崎の突端から200〜300メートル南西、海岸から100メートル沖合の暗礁「船甲羅(ふなごうら)」に激突・座礁します。機関室への浸水で発生した水蒸気爆発により船は22時半頃に沈没し、600名以上の乗組員が荒れ狂う海に投げ出されました。

灯台の灯りを頼りに崖を這い登る

断崖の下に流れ着いた数名の生存者は、頭上で回転する灯台の光を頼りに、暗闇の中を必死で岩壁を這い登りました。灯台守二名は、言葉が通じない乗組員と国際信号旗でやり取りし、遭難したのがオスマン帝国海軍の軍艦であることを把握。直ちに大島村樫野地区の区長に急報しました。

貧しい村が差し出したすべて

その夜から翌日にかけて、台風によって自らの食料も乏しかった大島の住民たちは、浴衣や非常食の鶏卵、サツマイモ、米、最後には非常用の鶏まで提供して救助・看護にあたりました。三人の村医も不眠不休で治療に奔走し、656名のうち69名が救われたのです。生存者は神戸で治療を受けた後、日本海軍の軍艦「比叡」と「金剛」によってイスタンブールまで送り届けられました。

なぜ国指定史跡なのか

令和3年の指定は、四つの構成要素を不可分の一体として評価したものです。日本近代最初期の交通施設として良好に保存された「樫野埼灯台」、エルトゥールル号が衝突・座礁した「船甲羅」、生存者が泳ぎ着いた「遭難者上陸地」、そして犠牲者が眠る「遭難者墓地」──これらが一つの物語空間を構成しています。

近代日本における大規模かつ国際的な海難の現場として、また防災意識の歴史を辿るうえでも貴重であり、何より日本とトルコの130年以上にわたる国際交流・慰霊の歴史を今に伝える稀有な遺跡として、その価値が認められました。

恩は空で返された──テヘラン1985

事件後、エルトゥールル号の物語はトルコの歴史教科書に掲載され、長く語り継がれてきました。一方、日本ではしばらくの間ほとんど忘れられていたといわれます。

そして昭和60年(1985年)3月、イラン・イラク戦争のさなか、イラクのフセイン大統領が「48時間後にイラン上空を飛ぶ航空機を無差別攻撃する」と宣言。テヘランに取り残された215名の日本人は、自国の救援機が来ない絶望の中、トルコ航空が派遣した2機の旅客機によってタイムリミットの1時間前に全員救出されました。陸路で脱出することになったトルコ人約500名は、自国民よりも日本人を優先して搭乗させたといわれています。後に駐日トルコ大使は「エルトゥールル号事件で日本人が示してくれた献身を、私たちは忘れていません」と語りました。樫野崎の海で始まった友情は、こうして空の上で返されたのです。

見どころ

灯台と展望台からの眺望

灯台内部は非公開ですが、外側のらせん階段を登ると展望デッキに出ることができ、太平洋の大海原を一望できます。晴天時には太地町の梶取崎まで見通すことも可能です。樫野崎一帯は吉野熊野国立公園、そして南紀熊野ジオパークのジオサイトでもあります。

遭難者墓地と慰霊碑

灯台から徒歩圏内に、エルトゥールル号殉難将士遭難慰霊碑と遭難者墓地があります。遭難の翌年・明治24年(1891年)には、地元有志により「土国軍艦遭難之碑」が建立されました。現在も串本町と在日本トルコ大使館の共催で、5年ごとの慰霊祭が執り行われています。

トルコ記念館

昭和49年(1974年)12月、日本とトルコの友好の証として開館した記念館です。エルトゥールル号の模型、引き揚げ遺品、当時の写真、平成27年(2015年)公開の日本・トルコ合作映画『海難1890』の小道具などを展示。2階のテラスからは、エルトゥールル号が座礁した「船甲羅」を間近に望むことができます。

水仙の咲く岬

灯台周辺には、明治初期に灯台技師のイギリス人が植えたと伝わる水仙が群生しています。1月下旬から2月にかけて、白い花と甘い香りが断崖を覆い、南紀の冬を代表する風景となります。

周辺情報

樫野崎のある紀伊大島へは、串本本土から「くしもと大橋」で渡ります。同じ大島内には、岩礁が海面から立ち上がる名勝「海金剛」、寛政3年(1791年)にラッコの毛皮交易を求めて来航したボストン船「レディ・ワシントン号」を記念する「日米修交記念館」、樫野・須江両地区の産土神「雷公神社」など見どころが点在しています。本州側に戻れば、橋杭岩や本州最南端の潮岬灯台、円山応挙と長澤芦雪の障壁画で知られる無量寺・串本応挙芦雪館などへ足を伸ばせます。串本は世界初の本マグロ完全養殖発祥の地としても知られ、新鮮な海の幸も大きな魅力です。

Q&A

Qいつ国指定史跡になりましたか?
A令和3年(2021年)3月26日に、「樫野埼灯台」「船甲羅」「遭難者上陸地」「遭難者墓地」の4要素が一体として国指定史跡となりました。なお、樫野埼灯台旧官舎は平成15年(2003年)に国の登録有形文化財に登録されています。
Q灯台の中には入れますか?
A灯台本体の内部は非公開ですが、外側のらせん階段から展望デッキに登ることができ、太平洋を一望できます。隣接する旧官舎は内部の見学が可能です。
Qアクセス方法は?
AJR紀勢本線(きのくに線)の串本駅まで、新大阪から特急で約4時間。串本駅から串本町コミュニティバス大島線で「樫野灯台口」バス停下車、約40分です。レンタカーを利用すれば、大島内の他の観光スポットと組み合わせて巡れます。
Qおすすめの訪問時期はいつですか?
A通年で美しい場所ですが、1月下旬〜2月の水仙シーズンは特に人気です。初夏から秋にかけては太平洋の青さが映え、9月16日の遭難記念日には墓地で慰霊が行われます。5年に一度の合同慰霊祭は特に厳粛な機会です。
Q入場料はかかりますか?
A灯台周辺と遭難者墓地は無料で見学できます。トルコ記念館は有料で、15名以上の団体割引があります。営業時間や料金は変更される場合があるため、串本町公式観光サイトで事前にご確認ください。

基本情報

正式名称 樫野埼灯台及びエルトゥールル号遭難事件遺跡
指定区分 国指定史跡(令和3年〔2021年〕3月26日指定)
構成要素 樫野埼灯台/船甲羅(ふなごうら)/遭難者上陸地/遭難者墓地
所在地 和歌山県東牟婁郡串本町樫野(紀伊大島東端)
設計 リチャード・ヘンリー・ブラントン(英国人技師)/エジンバラのスティブンソン事務所標準設計仕様
初点灯 明治3年6月10日(旧暦)/1870年7月8日
灯台仕様 石造、塔高14.6m、灯火高 海抜約47m、光達距離18.5海里、毎20秒に2閃光(日本初の回転式閃光灯台)
エルトゥールル号事件 明治23年9月16日(1890年)/乗組員656名のうち犠牲者587名、生存者69名
関連法・条約 慶応2年(1866年)江戸条約(改税約書)に基づく8条約灯台の一つ
国立公園・ジオパーク 吉野熊野国立公園内/南紀熊野ジオパーク ジオサイト
アクセス JR紀勢本線 串本駅から串本町コミュニティバス大島線「樫野灯台口」バス停下車

参考文献

文化遺産オンライン 樫野埼灯台及びエルトゥールル号遭難事件遺跡
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/541991
文化庁 近代の文化遺産の保存と活用 樫野埼灯台
https://www.bunka.go.jp/kindai/todai/071/index.html
串本町公式 国指定史跡答申のお知らせ
https://www.town.kushimoto.wakayama.jp/kyouiku/syakaikyouiku/2020-1120-0921-13.html
わかやまの文化財 樫野埼灯台及びエルトゥールル号遭難事件遺跡
https://wakayama-bunkazai.jp/bunkazai/bunkazai_839/
串本町 日本とトルコの絆をつないだ物語
https://www.town.kushimoto.wakayama.jp/kanko/kizuna/turkey.html
串本町 トルコ記念館
https://www.town.kushimoto.wakayama.jp/kanko/oshima/torukokinenkan.html
串本町 樫野埼灯台旧官舎
https://www.town.kushimoto.wakayama.jp/kanko/oshima/kasinozakitoudaikyukansya.html
和歌山県 トルコと日本 友好の原点は和歌山です
https://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/022300/kokusaikouryu/torikumi/tyukeykouryu.html
南紀熊野ジオパーク 樫野崎
https://nankikumanogeo.jp/geosite/kasinozaki/
nippon.com 日本とトルコ 外交関係樹立100周年
https://www.nippon.com/ja/japan-data/h01895/

最終更新日: 2026.05.04