光臺院多宝塔:高野山の名刹に佇む皇室ゆかりの塔

高野山五之室谷の深い杉木立に囲まれた光臺院(こうだいいん)の境内に、ひときわ気品のある多宝塔が静かに佇んでいます。庭園内の築山の上に建つこの多宝塔は、大正6年(1917年)に建造された木造の塔で、令和6年(2024年)12月3日に国の登録有形文化財(建造物)に登録されました。小規模ながらも精緻な意匠を凝らした造りは、約900年にわたり皇室との深い縁を持つ名刹にふさわしい風格を漂わせています。

光臺院は「高野御室(こうやおむろ)」と称される真言宗別格本山であり、歴代二十七代にわたって法親王が住持を務めた由緒ある門跡寺院です。後白河法皇や後鳥羽上皇をはじめとする歴代天皇が高野山行幸の際に宿院としたこの寺に、多宝塔は皇室の祈りの歴史を今に伝える象徴として建っています。

歴史的背景

光臺院の開基は、白河天皇の第四皇子である覚法親王(かくほうしんのう)です。大治2年(1127年)、白河・鳥羽両上皇の高野行幸に供奉して登山した覚法親王は、先に三条天皇の第四皇子・性信親王が草創した小庵の跡を慕い、御願堂や坊舎を建立しました。白河御所の御念持堂を移して本堂とし、これが光臺院の始まりとなります。

多宝塔は、後鳥羽天皇の第二皇子である道助法親王(どうじょほうしんのう)の追善菩提のために建立されました。道助法親王は「光臺院御室」と称され、宝治3年(1249年)に当院で遷化されています。初代の多宝塔は桃山時代から江戸前期(延宝7年〈1679年〉から元禄4年〈1691年〉頃)に建てられたと伝わります。

明治から大正期にかけて、大阪の実業家・藤田傳三郎が初代の多宝塔を大阪の藤田邸庭園(現・藤田美術館敷地内)に移築しました。その代わりとして、藤田家は元の塔と同じ形式で多宝塔を再建し、これが現在の光臺院多宝塔です。初代の多宝塔は大阪市の指定有形文化財として現在も藤田美術館に残されています。

文化財としての価値

光臺院多宝塔は、令和6年(2024年)12月3日に国の登録有形文化財(建造物)に登録されました。その登録理由として、以下のような建築的・文化的価値が認められています。

大正期の再建でありながら、江戸時代の伝統的な多宝塔建築の様式を忠実に再現しており、下層の出組(でぐみ)の組物、上層の四手先(よてさき)の組物、上下両層の二軒扇垂木(ふたのきおうぎだるき)など、高度な技術を要する意匠が施されています。蟇股(かえるまた)に掲げられた菊花紋は、皇室との深い縁を示す格式の象徴です。文化遺産オンラインの解説では「精緻なつくりで、名刹に相応しい多宝塔」と評されています。

建築面積はわずか6.0平方メートルという小規模な塔ですが、ユネスコ世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産である高野山の文化的景観に寄与する建造物として、その存在意義は大きいものがあります。

建築の見どころ

光臺院多宝塔は、木造の多宝塔で屋根は銅板葺きです。小さいながらも伝統的な多宝塔の格式を余すところなく備えた建築で、日本建築に関心のある方にとって見応えのある意匠が詰まっています。

下層は四方に擬宝珠高欄付きの縁を廻らし、中央間には桟唐戸(さんからど)、脇間には連子窓(れんじまど)を設けています。組物は出組で、中備えには中央間に蟇股、脇間に間斗束(けんとづか)を用いています。蟇股には菊花紋が彫刻されており、皇室との結びつきを象徴しています。

上層は多宝塔特有の円形平面で、漆喰塗りの亀腹(かめばら)の上に宝形型の屋根を載せています。亀腹と屋根は銅板葺きで、組物は四手先という精緻な構造です。軒は上下両層とも二軒扇垂木で、扇状に広がる垂木の配置は熟練の技を物語っています。

塔は庭園内の築山の上に建てられており、周囲の自然と調和した景観を形成しています。本尊として大日如来が安置されていますが、内部は非公開です。

光臺院の魅力

多宝塔をより深く味わうには、光臺院全体の魅力に触れることをお勧めします。高野山の中でも最も北側に位置し、表通りから100メートル以上奥まった場所にあるため、大杉に囲まれた静寂な空間が広がります。

本尊の阿弥陀如来及両脇侍立像(阿弥陀三尊立像)は、鎌倉時代の名仏師・快慶の晩年の作で、国の重要文化財に指定されています。仏光座を完備した来迎の姿は、快慶作品の中でも最善美と称される名作です。脇侍の観音菩薩と勢至菩薩がわずかに膝を屈めて前傾する姿は、三千院の阿弥陀三尊に通じる優美な表現です。

昭和を代表する作庭家・重森三玲が手がけた庭園も見どころです。特に昭和38年(1963年)に設計された書院庭園は、池泉を中央に配し、高野山を囲む峰をイメージした築山を設けた奥行きのある空間で、平成29年(2017年)に国の登録記念物に指定されました。

境内には、金剛峯寺で切腹した豊臣秀次の宝篋印塔や、織田信長の嫡孫・織田秀信の五輪塔碑など、戦国時代の歴史を物語る墓碑もあります。他の寺では弔うことが難しかった人物を受け入れた背景には、光臺院の超然とした寺格がありました。

拝観・宿泊のご案内

光臺院は高野山五之室谷に位置しています。少人数で運営されている寺院のため、一般の拝観は事前に寺務所への確認が必要です。光臺院の文化財や庭園をゆっくり鑑賞されたい方には、宿坊としての宿泊がおすすめです。高野山宿坊協会を通じて予約が可能で、朝の勤行への参加や精進料理を楽しむことができます。

南海高野線で高野山駅まで行き、バスで「高野警察前」停留所で下車、徒歩約5分で到着します。表通りから奥まった静かな立地は、高野山の喧騒を離れてゆったりとした時間を過ごすのに最適です。

周辺の見どころ

高野山には光臺院の周辺にも数多くの見どころがあります。奥之院は弘法大師・空海の御廟があり、約20万基を超える墓石や供養塔が並ぶ参道は、高野山随一の霊場です。灯籠が幻想的に照らす夜間参拝も人気があります。

壇上伽藍は空海が最初に開いた修行の場であり、朱塗りの根本大塔や金堂が荘厳な雰囲気を醸し出しています。金剛峯寺は高野山真言宗の総本山で、狩野派の障壁画や日本最大級の石庭「蟠龍庭」を見学できます。

高野山霊宝館では、山内各寺院の仏像や仏画、経典などの貴重な文化財を展示替えしながら公開しています。また、各宿坊寺院での写経・阿字観瞑想などの体験も、高野山ならではの魅力です。四季折々の自然も美しく、春の桜、秋の紅葉の時期には特に格別な風景が楽しめます。

Q&A

Q光臺院多宝塔とはどのような建物ですか?
A光臺院多宝塔は、高野山の真言宗別格本山・光臺院の境内に建つ木造の多宝塔です。大正6年(1917年)に建造され、銅板葺きの屋根を持ちます。令和6年(2024年)12月に国の登録有形文化財(建造物)に登録されました。道助法親王の追善菩提のために建立された由緒ある塔で、蟇股に菊花紋を掲げるなど精緻な意匠が特徴です。
Q多宝塔の内部は見学できますか?
A多宝塔の内部に安置されている大日如来像は非公開です。ただし、庭園の築山上に建つ多宝塔の外観は境内から鑑賞できます。快慶作の重要文化財・阿弥陀三尊立像など他の文化財の拝観については、宿坊に宿泊するか事前に寺務所にお問い合わせください。
Q初代の多宝塔はどうなったのですか?
A初代の多宝塔は、延宝7年(1679年)から元禄4年(1691年)頃に建てられたとされ、大正期に大阪の実業家・藤田傳三郎によって大阪の藤田邸庭園(現・藤田美術館敷地内)に移築されました。現在は大阪市指定有形文化財として保存されています。光臺院に残る現在の多宝塔は、藤田家が元の塔と同じ形式で再建したものです。
Q光臺院に宿泊することはできますか?
Aはい、光臺院は宿坊として宿泊が可能です。高野山宿坊協会を通じて予約できます。宿泊には夕食と朝食の精進料理が付き、朝の勤行にも参加できます。大杉に囲まれた静かな環境と重森三玲作の庭園を眺めながら、高野山の伝統的な宿坊体験をお楽しみいただけます。
Q光臺院へのアクセス方法を教えてください。
A南海高野線で高野山駅まで行き、南海りんかんバスに乗り換えて「高野警察前」停留所で下車し、徒歩約5分です。大阪・難波からは南海電鉄の特急を利用して約2時間で高野山駅に到着します。高野山駅からはケーブルカーとバスを乗り継ぎます。

基本情報

名称 光臺院多宝塔(こうだいいんたほうとう)
文化財指定 国登録有形文化財(建造物) 登録年月日:令和6年(2024年)12月3日
建造年 大正6年(1917年)
構造 木造多宝塔、銅板葺、建築面積6.0㎡
本尊 大日如来(非公開)
所有者 宗教法人光臺院
所在地 和歌山県伊都郡高野町大字高野山649
アクセス 南海高野線 高野山駅よりバス「高野警察前」下車、徒歩約5分

参考文献

文化遺産オンライン — 光臺院多宝塔
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/565428
光臺院公式サイト
https://kodaiin.jp/about/
高野山宿坊協会 — 光臺院
https://www.shukubo.net/contents/stay/kodaiin.html
藤田美術館多宝塔(旧光臺院多宝塔)— 大阪市
https://www.city.osaka.lg.jp/kyoiku/page/0000571248.html
和歌山観光情報 — 光台院
https://wakayama-kanko.com/sekaiisan-spot/405/

最終更新日: 2026.04.03