上田家住宅主屋 ― 紀ノ川南岸に建つ庄屋の主屋

和歌山県橋本市、紀ノ川の南岸に、正面へ入母屋造の玄関を突き出した木造平屋の家がある。かつてこの地で庄屋を務めた上田家の主屋である。庄屋は江戸時代に村の年貢や土地、もめ事の裁定などを預かった役で、その家格が建物の規模や座敷の格式に表れている。今見られる主屋が建ったのは昭和4年(1929年)頃。外観は伝統的だが、間取りには近代の生活に合わせた工夫が入っている。

屋根は棟を正面と平行に通す入母屋造で、桟瓦を葺く。四周には下屋(げや)と呼ぶ低い庇が回り、家全体に落ち着いた広がりを与える。その中央に、別棟のように入母屋造の玄関が構えられ、正式な出入口を示す。

玄関を入ると、暮らしの動線が読み取れる。玄関の東脇は家族の居室、その裏手はもとは土間で、農家の作業や炊事をこなす場だった。最も格の高い表座敷は、床構えをあえて西へ向ける。隣接する離れ座敷と正面で向き合わせ、客を迎えるときに二室が一続きの接客空間として働くようにした造りである。

登録の理由と価値

主屋は令和4年(2022年)6月29日に登録有形文化財(建造物)となった。登録番号は30-0325。登録有形文化財は、おおむね築50年以上で歴史的な景観に寄与する、あるいは再現が難しい建物を対象とする、比較的軽やかな保護の枠組みである。国宝や重要文化財の「指定」より一段低く、建物を使いながら守っていくことを狙いとする。

主屋は「造形の規範となっているもの」として評価された。屋根の形式や座敷の接客作法という古い日本の約束事を保ちながら、二十世紀前半の間取りの近代化を受け入れた住宅の一例である。上田家の屋敷は主屋だけで完結しない。土蔵や離れ座敷もそれぞれ登録され、輪郭のあまり変わらない紀ノ川べりの景観を三者でかたちづくっている。

見どころ

まず屋根を見たい。棟を平行に通す入母屋の形と四周の下屋が、家に地に足のついた横広がりを与える。その線を中央で断つ小さな玄関の切妻が、格式の一点を添える。

内部では、表座敷が西を向く点に立ち止まりたい。多くの家は最上の座敷を庭へ向けるが、ここでは床を隣の離れ座敷へ向けている。客をもてなすことが暮らしの中心にあったと分かる設計である。玄関裏の土間が床上の部屋へと改められた点も、同じ近代化の意識を控えめな規模で示す。

個人の住宅であり資料館ではないため、通りがかりの見学者が味わえるのは主に外観と、川べりの建物群を束ねる家の据わり方である。屋敷全体の一部として眺めれば、主屋は屋敷の表の顔、来客をまず迎え、奥の座敷へ通す前に立つ建物として読める。

Q&A

Q上田家住宅主屋はいつ建てられましたか。
A昭和4年(1929年)頃の建設で、昭和53年(1978年)と平成5年(1993年)に改修されています。土蔵や離れ座敷より新しく、屋敷内で最も後の建物です。
Q上田家はどのような家でしたか。
A江戸時代に村の庄屋を務めた家です。地域の行政を担う立場で、その家格が主屋の規模や座敷の格式に反映されています。
Q内部を見学できますか。
A現在も個人の住宅で、通常は非公開です。外観と川べりの景観は付近の公共の場所から眺められますが、訪問前に橋本市へ確認することをおすすめします。
Q登録有形文化財とは何ですか。
Aおおむね築50年以上で歴史的景観に寄与する建物を対象とする国の保護制度です。重要文化財の指定より軽く、建物を使い続けながら守ることを目的とします。
Q表座敷はなぜ西を向いているのですか。
A隣の離れ座敷へ開くためです。来客の際に二室が一続きの接客空間となるよう計画されています。

基本情報

名称上田家住宅主屋(うえだけじゅうたくおもや)
所在地和歌山県橋本市上田字荒瀬36
区分登録有形文化財(建造物)
登録年月日令和4年(2022年)6月29日/登録番号 30-0325
員数1棟
年代昭和4年(1929年)頃/昭和53年・平成5年改修
構造木造平屋建、瓦葺、建築面積約147平方メートル
公開状況個人住宅のため内部は通常非公開。訪問時は橋本市へ確認。

参考文献

文化遺産オンライン ― 上田家住宅主屋
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/593420
国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00014290
わかやまの文化財 ― 上田家住宅
https://wakayama-bunkazai.jp/bunkazai/bunkazai-spot-1000/
紀伊民報 ― 2022年の登録答申に関する報道
https://www.agara.co.jp/article/187358

最終更新日: 2026.07.06