潮の満ち引きが千三百年詠み継がれてきた海辺

和歌山市の和歌川河口に、低い丘と松林に囲まれた広い干潟が開けている。和歌の浦である。一日に二度、潮が引けば泥の浅瀬があらわになり、鷺や鶴が餌をついばむ。やがて潮が満ちると干潟は水面の下に沈む。この水の動きこそが、この海辺を千三百年にわたって歌に詠ませ、絵に描かせ、人を呼び続けてきた理由である。

平成22年(2010)、文化庁は約89万5千平方メートルにおよぶこの一帯を国の名勝に指定し、平成26年(2014)には区域を追加した。指定範囲には干潟と片男波の砂嘴だけでなく、玉津島の岩山、社殿、多宝塔、そして歴代の人々が海を眺めるために設けた橋や楼閣が含まれる。

浦の名を改めた天皇

和歌の浦が史料に初めて現れるのは、神亀元年(724)十月のことである。即位して間もない二十三歳の聖武天皇がこの地に行幸し、奠供山の上から望んだ景観に深く心を動かされた。『続日本紀』によれば、天皇は風致を守るために守戸を置き、この地の霊を祀るよう命じ、古い浦の名を「明光浦(あかのうら)」と改めた。

このとき随行した歌人のひとりが山部赤人である。和歌の浦を詠んだ赤人の歌は『万葉集』巻六に収められている。

若の浦に潮満ち来れば潟をなみ葦辺をさして鶴鳴き渡る

潮が満ちて干潟が消えると、鶴が鳴きながら葦の生えた岸辺へ飛んでゆく、という情景である。この歌の「潟をなみ」が、近くの砂嘴の地名「片男波(かたおなみ)」の由来になったといわれる。赤人以降、玉津島と和歌の浦は歌枕となり、実際に訪れずとも歌人たちが繰り返し詠み込む憧れの地となった。

玉津島とは、妹背山・鏡山・奠供山など六つの小さな岩山を指す。万葉の頃には海がいまより内陸まで入り込み、これらの丘が玉を連ねたように海中に並んでいたことから、玉津島山と呼ばれた。

名勝に指定された理由

国の名勝指定は、和歌の浦を三つの基準で評価している。展望地点であること、橋梁・築堤を含むこと、そして砂嘴・海浜・島嶼といった海辺の地形を備えていること。この三つを狭い範囲に併せ持つ景勝地は多くない。

和歌の浦を特徴づけるのは、自然と人の手が時代を超えて重なり合っている点にある。干潟と片男波の砂嘴は八世紀から称えられてきた自然の景観で、その周囲と上方に、後の時代が築いた建造物が点在する。和歌の神を祀る社、藩主が母のために建てた多宝塔、人々が潮の移ろいを眺めるために渡された橋。文化庁の評価は、古代から近代にわたる寺社の建築美が、移りゆく水と松の緑、岩崖を背景に配される、霊地と呼ぶにふさわしい海の名勝とした。

平成29年(2017)には、より広い地域が「絶景の宝庫 和歌の浦」として日本遺産にも認定されている。

見どころ

玉津島神社

丘のふもとに鎮座する玉津島神社は、和歌の浦の信仰の中心である。祭神のひとつ衣通姫尊(そとおりひめのみこと)は和歌の神とされ、大阪の住吉大社、明石の柿本神社とともに「和歌三神」のひとつに数えられる。平安時代以降、宮中の貴族や歌人が和歌を奉納するために参詣した。江戸時代には複数の天皇・上皇が自筆の和歌短冊を奉納している。境内とその周辺には赤人の歌碑が立つ。

妹背山・多宝塔・三断橋

妹背山は干潟に浮かぶ小さな岩の島で、十七世紀に架けられた石橋・三断橋で渡る。この島に、紀州初代藩主・徳川頼宣の母である養珠院(お万の方)が、徳川家康の三十三回忌の供養として、法華経の題目を記した経石を十五万個以上埋納した。明暦元年(1655)、頼宣は母をしのんでその上に海禅院の多宝塔を建てた。干潟の島に二層の多宝塔が立つ姿は、全国でも例の少ない景色である。

観海閣

妹背山のかたわらに、頼宣は観海閣も設けた。柱を組んで水上に張り出させた懸造りの楼閣で、ここから入り江ごしに対岸の紀三井寺を遥拝し、潮と月を眺めることができた。建物はのちに傷んだが、江戸時代の姿に合わせた木造の楼閣が令和6年(2024)に再建され、いまは四百年前と同じように干潟の上に立って景色を望める。

不老橋

不老橋は嘉永4年(1851)に架けられた一連アーチの石橋で、和歌祭の折に徳川家が通る御成道の一部であった。アーチの部分は肥後(現在の熊本)から招かれた石工の手になり、石造の高欄には雲をかたどった浮き彫りが施されている。隣のあしべ橋から奠供山を背に眺めると、低くゆるやかに弧を描く橋姿が和歌の浦を代表する景観のひとつとなる。和歌山市の指定文化財で、架橋から百六十年以上を経た現在は渡らず、岸から眺める橋である。

干潟と片男波

主役はやはり干潟そのものである。潮が引けば泥の浅瀬が広がって採餌の鳥が集まり、満ちれば縁の葦が水に立つ。赤人の歌から名のついた砂嘴・片男波は、いまは公園として整備され、全長約280メートルの松並木の散策路「万葉の小路」と、和歌の浦にまつわる和歌を学べる小さな施設「万葉館」がある。

和歌の浦の周辺

湾を見下ろす雑賀山には、元和7年(1621)に徳川頼宣が父家康を祀って創建した紀州東照宮が鎮座する。一直線に延びる百八段の石段「侍坂」を登りつめると、朱塗りの楼門と極彩色の社殿が現れ、「関西の日光」とも呼ばれる。本殿・拝殿など七棟が国の重要文化財に指定され、彫刻は左甚五郎の系統、壁画は狩野探幽に連なるものと伝えられる。頼宣が始めた五月の和歌祭では、神輿と長い装束の行列がこの石段を下る。

近くの丘の中腹には、学問の神・菅原道真を祀る和歌浦天満宮がある。社殿は重要文化財に指定され、石段を登った社頭からは和歌の浦が広く見渡せる。玉津島神社、東照宮、天満宮を歩いてつなぐと、干潟と不老橋を挟んだ半日ほどの散策路になる。

Q&A

Q和歌の浦の見学に入場料はかかりますか。
A湾、干潟、玉津島神社、不老橋は無料で見学できます。紀州東照宮は社殿の拝観に拝観料が必要で、周辺の一部の庭園や施設にもそれぞれ料金があります。
Q干潟を見るのに良い時間帯はありますか。
A潮が引いたときに泥の浅瀬が最も広がり、鳥も多く集まります。訪れる前に潮見表を確認すると安心です。早朝と夕方の光は写真にも向いています。
Q不老橋は渡れますか。
A渡れません。古い石橋で保護のため、岸から眺める形になっています。隣のあしべ橋からは、奠供山を背にしたアーチの定番の構図が望めます。
Q和歌の浦へのアクセスを教えてください。
AJR和歌山駅または南海和歌山市駅から、新和歌浦行きの和歌山バスに乗ります。玉津島神社前または不老橋で降りれば神社と橋に、権現前で降りれば紀州東照宮と和歌浦天満宮に近くなります。
Q県名はなぜこの浦と関係があるのですか。
A紀州攻めの際に和歌の浦を遊覧した豊臣秀吉が、近くの岡に築いた城を、名高い浦にちなんで「和歌山城」と名づけたと伝わります。その城下、ひいては県の名も同じ呼び名を継いでいます。

基本データ

名称和歌の浦(わかのうら)
所在地和歌山県和歌山市和歌浦
指定区分国指定名勝(平成22年〈2010〉8月5日指定、平成26年〈2014〉10月6日追加指定)
指定面積約895,697平方メートル
指定基準橋梁・築堤/砂丘・砂嘴・海浜・島嶼/展望地点
その他の認定日本遺産(平成29年〈2017〉、「絶景の宝庫 和歌の浦」)
主な構成和歌の浦干潟、片男波(砂嘴)、玉津島神社、鹽竈神社、妹背山、海禅院多宝塔、観海閣、三断橋、不老橋、奠供山、鏡山
アクセスJR和歌山駅・南海和歌山市駅から和歌山バス、玉津島神社前または不老橋下車

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)/和歌の浦
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/00003687
玉津島神社・鹽竈神社 公式サイト/国名勝「和歌の浦」
https://tamatsushimajinja.jp/pickup-wakanoura/
日本遺産ポータルサイト(文化庁)/絶景の宝庫 和歌の浦
https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/stories/story046/
和歌山県公式観光サイト/観海閣・妹背山
https://www.wakayama-kanko.or.jp/spots/detail_1063.html
日本遺産ポータルサイト(文化庁)/和歌の浦(妹背山・海禅院多宝塔)
https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/culturalproperties/result/3186/

最終更新日: 2026.05.29