岩盤を削り出した滝石組――常徳寺庭園を訪ねる

山口県の北部、山口市阿東の山あいに、蔵目喜(ぞうめき)と呼ばれる小さな集落がある。狭い谷を流れる町川に沿って奥へと進むと、かつての銅・鉛鉱山町の最奥部に、出銅山常徳寺の山門が現れる。本堂の東側に広がる池泉観賞式庭園は、東西約22メートル、南北約13メートルの池の中央に中島を浮かべ、背後には高さ約7メートルの砂岩の巨岩が屏風のように立ち上がる。この岩盤の南裾を彫り込んで渓谷風の滝石組に仕立てた手法は、現在知られている限り日本に他例がない。常徳寺庭園が平成12年(2000年)12月27日に国の名勝に指定された最大の理由はここにある。

池泉は現在涸れている。平成8〜10年に実施された発掘調査で、埋没していた池底や全長約23メートルの遣水、排水路の遺構が検出され、作庭以降に大きく2度の改修を受けていたことが判明した。今ここで見られるのは、長く荒廃の中に埋もれていた室町後期の原型が、平成の発掘によって甦った姿である。

雪舟作庭伝承をめぐって

常徳寺庭園には、室町時代の禅僧画家・雪舟(1420〜1506)が作庭したという伝承が残る。江戸時代後期の地誌『防長風土注進案』には「雪舟之築庭常徳寺境内にあり 但年月不詳、方今は破壊して築石池のかたちわつかに残り候」と記されており、19世紀半ばの時点ですでに庭が荒廃していたこと、そしてこの伝承が存在していたことがわかる。

同書はその一方で、この伝承を疑う一文も残している。常徳寺の創建は天正年間(1573〜1591)と伝えられ、雪舟の没年から半世紀以上後にあたるからだ。だが境内には、鎌倉時代末から南北朝期に遡るとされる安山岩製の宝塔や、中世から江戸時代の古墓・石塔群が現存し、天正以前にも何らかの宗教施設が営まれていた可能性が指摘されている。庭園の景観構成――背景の石灰岩崖、中景の砂岩岩盤、近景の池泉という三層の構図――が、雪舟筆『秋冬山水図』冬景図(東京国立博物館蔵)の構図と類似することも、研究者によって早くから指摘されてきた。雪舟本人が作庭に関与したかは別として、この庭がその系譜に連なる作庭意匠であることは確かである。

国の名勝に指定された理由

指定の根拠となったのは、おもに三つの特徴である。第一は、自然の岩盤そのものを庭の主役に据えた点である。庭石を運び込むのではなく、もとからその場所にあった砂岩の巨岩を遠山石に見立て、その南裾を加工して渓谷風の滝石組に仕立てている。同種の作庭技法は、全国でも他に類例が知られていない。

第二は、水源の特殊性である。池への給水は南方を流れる町川から遣水を通して行われていたが、町川の水源は、境内の南東にある「こうもり穴」と呼ばれる鍾乳洞からの湧水である。鍾乳洞から湧き出る清水を取り込むという発想は、霊水を聖なる場に引き入れる中世以来の感覚に通じる。本堂前に置かれた舟型石、そして鍾乳洞内にあるとされる平らな「座禅石」――雪舟筆『慧可断臂図』の構図との類似が指摘される石――の存在も、この庭の宗教的な含意を補強している。

第三は、室町後期の作庭様式が後世の改修を経てなお残っている点である。中島の西側汀線で板石を横に据える技法、護岸石組に縦長の大石を要所に立てて単調なリズムを破る手法、いずれも室町期の池泉庭園に特徴的なものだ。山口県内の中世庭園で発掘調査によって規模・構造・作庭時期が確認されたのは本庭園が初めてであり、その資料的価値は極めて高い。

見どころと観賞のしかた

庭園は本来、本堂の東隣にあった書院から座って観賞することを想定して作られている。発掘では書院跡とみられる礎石の痕跡(東西約8メートル、南北約11メートルの平坦地)も確認された。この位置に立つと、庭の構図は三層の遠近として読める。背景には石灰岩の崖が屹立し、中景には砂岩の岩盤と渓谷状の滝石組、そして近景に池と中島が広がる。雪舟の山水画の遠近法との類似が指摘されるのは、この三層の構図である。

池畔をゆっくり巡ると、護岸の組み方の妙が見えてくる。石灰岩、砂岩、玢岩、流紋岩質凝灰岩、流紋岩など、いずれも近隣で採れる石材を高さ約50〜90センチに積み、要所に縦長の大石を据えて変化をつけている。中島は当初、東西約8メートル、南北約7メートルの規模であったが、後世の改修で東方向に拡張され、最終的に東西約15メートルにまで広がった。西側の汀線寄りでは、板石を横に使う室町様式が今も残る。中島南西端の石は、もとは立てて据えられていたものが前方に倒され、現在は亀頭石のような姿で水面に向かって寝そべっている。

本堂の背後には、庭の景観を生んだ地質がそのまま続いている。「こうもり穴」の入口は安全のため積石で塞がれているが、雨上がりには、洞口から町川に注ぐ湧水が勢いよく噴き出すさまを見ることができる。この水こそが、かつて池を満たしていた。

周辺を歩く

常徳寺の建つ蔵目喜は、中世から昭和初期まで操業されていた旧鉱山町である。蔵目喜銅山は『三井蔵田検地帳』(慶長15年・1610年)に防長両国の主要鉱山の一つとして名を連ねる。戦国期には毛利元就のもとへ蔵目喜産の鉛玉が送られた記録があり、古代の貨幣鋳造所であった国指定史跡周防鋳銭司跡(山口市)にも、ここで採れた銅が用いられたとする説がある。境内の裏山や周辺の集落には、間歩(坑道)跡や鉱滓捨場、石垣を伴う屋敷跡などが今も残る。庭園を観たあと、町集落の小径をひと巡りすれば、1000年近く稼働していた鉱山町の輪郭が浮かんでくる。

山口市内に滞在するなら、宮野にある常栄寺庭園(通称「雪舟庭」、国指定史跡及び名勝)と組み合わせて訪ねるのがよい。同じく雪舟作庭の伝承をもつ二つの庭園を続けて観ることで、雪舟の名を冠する作庭様式の幅が見えてくる。阿東エリア内では、JR山口線沿いの長門峡、徳佐八幡宮のしだれ桜(見頃は4月上中旬)、温泉のある道の駅「願成就温泉」などが点在する。さらに北へ車で約1時間走れば、城下町・萩がある。蔵目喜から東に進めば、かつて石州津和野(現・島根県津和野町)への往還が通っていた峠を越え、津和野へも抜けられる。

Q&A

Q通年で公開されていますか。拝観料は必要ですか。
A通年公開、拝観料は無料です。決まった開園時間はありません。常徳寺は地元の檀家と兼務住職によって維持されている現役の寺院ですので、境内では静かに振る舞い、節度をもって参拝してください。
Qどうやって行けばよいですか。
A所在地は山口市阿東蔵目喜1498。中国自動車道の鹿野ICまたは小郡ICから車でおよそ60分です。蔵目喜まで入る公共交通は便数が限られ、徒歩圏内に駅はありません。山口駅または新山口駅でレンタカーを借りる方法が現実的です。
Q池には水が張られていますか。
A現在、池泉は涸れています。町川からの導水路が使われなくなっているためです。ただし、発掘調査によって往時の通水経路はすでに明らかになっており、滝石組、護岸、中島といった石組の構図は、水がなくても十分に読み取れます。
Q作庭は本当に雪舟によるものですか。
A江戸後期の地誌に伝承が記されているのみで、直接の証拠はありません。常徳寺の伝承上の創建(天正年間)は雪舟の没年(1506年)より後にあたります。一方で、境内には鎌倉末〜南北朝期にさかのぼる石塔があり、当地に古くから宗教施設があった可能性も指摘されています。雪舟の作風に通じる構成と評価されてはいますが、文献的に確定されたものではありません。
Q「こうもり穴」には入れますか。
A入坑はできません。安全のため、入口は積石で塞がれています。ただし、境内南側の道からは洞口を望むことができ、雨が降った翌日などには、洞内から町川へと湧水が噴き出す様子を見られることもあります。

基本情報

名称常徳寺庭園(じょうとくじていえん)
所在地〒759-1343 山口県山口市阿東蔵目喜1498
指定区分国指定名勝(平成12年12月27日指定)
指定基準一.公園、庭園
時代室町時代後期
庭園様式池泉観賞式庭園
庭園面積約2,000平方メートル
池の規模東西約22メートル × 南北約13メートル
拝観料無料
公開時期通年(時間制限なし)
管理宗教法人常徳寺・山口市(国指定文化財管理団体)
問い合わせ山口市阿東地域交流センター 083-956-0116
アクセス中国自動車道 鹿野IC・小郡ICから車で約60分

参考文献

常徳寺庭園 — 国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/3275
常徳寺庭園 — 文化遺産オンライン
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/140084
常徳寺庭園 — 山口県の文化財(山口県観光スポーツ文化部)
https://bunkazai.pref.yamaguchi.lg.jp/bunkazai/detail.asp?mid=110043
常徳寺庭園 — 山口市の歴史文化資源
https://www.city.yamaguchi.lg.jp/rs/rekibunshigen/r1227.html
常徳寺庭園 — 雪舟回廊(山口市文化交流課)
https://sessusummit.jp/sesshukairou/gardens/garden06/

最終更新日: 2026.05.20