中須東原遺跡 ― 日本海に開かれた中世の湊町を歩く

島根県西部、益田川の河口にほど近い砂丘の内側に、日本海貿易の最前線だった中世の港町の痕跡が静かに眠っています。中須東原遺跡(なかずひがしはらいせき)は、12世紀から17世紀にかけておよそ五百年にわたって栄えた湊町の集落跡で、中国・朝鮮半島・東南アジアと活発に物や文化をやり取りしていたことが、発掘調査によって鮮やかに浮かび上がってきました。

堺や博多のような大規模港湾と違い、中須は観光ガイドブックの定番からはやや外れた存在ですが、その学術的価値はきわめて高く、これまでに発掘された中世港湾遺跡のなかでも屈指の重要遺跡として注目されています。海外からの旅人にとっては、ありきたりではない日本の中世に触れられる絶好の場所と言えるでしょう。

潟湖の港町 ― 立地と地形の妙

中世の益田平野では、高津川が益田川に合流し、河口の前面に長く伸びた砂州が天然の防波堤の役割を果たしていました。砂州と陸地のあいだには潟湖(せきこ)と呼ばれる穏やかな水域が広がっており、日本海の荒波や強風を避けて船を停泊させるのに理想的な環境だったとされています。

この湊町が栄えた背景には、後背地の豊かさも見逃せません。高津川やその支流匹見川の上流域には中国山地の良質な木材が広がり、益田川上流の都茂鉱山からは鉱物資源が産出していました。これらは川を下って湊に集まり、外洋船に積み込まれて他地域へと運ばれていったと考えられています。一方で、外海からは大陸や東南アジアの陶磁器、銭貨、奢侈品がもたらされ、人とモノが活発に行き交う交易の拠点となりました。

中須東原遺跡は、こうした潟湖の岸辺、益田川左岸の砂丘後背地に立地しており、面積はおよそ4万2千平方メートルにおよびます。12世紀には早くも土地利用の萌芽が見られ、14世紀後半から16世紀にかけて最盛期を迎えました。この時期はちょうど、地元の有力豪族・益田氏が西石見一帯に勢力を広げ、領主としての地位を確立していった時代と重なります。

発掘で明らかになった湊町の姿

中須東原遺跡の本格的な発掘調査は、益田川左岸北部地区の土地区画整理事業にともなって行われました。その成果は、専門家の予想を超えるものでした。潟湖の岸沿いには、全長約40メートル・最大幅約10メートルにおよぶ大規模な礫敷(れきじき)遺構が確認され、これは船から荷を上げ下ろしする荷揚げ場跡とみられています。中世の港湾でこれほど明瞭な船着き場の痕跡が残るのは、全国的にも非常に稀です。

荷揚げ場の内側には、複数の掘立柱建物跡、鍛冶炉、鉄滓(てっさい)の廃棄場、墓、そして道路といった遺構が次々と検出されました。これらの道路跡の位置を、近接する中須西原遺跡の調査成果や明治初期の絵図と照らし合わせると、湊町は方形の街区を備えた計画的なまちとして整備されていた可能性が高いことが分かってきました。

出土遺物のなかでも目を引くのは、おびただしい量の貿易陶磁器です。中国陶磁が全体のおよそ8割を占めるなか、中国元朝期の鉄絵瑠璃釉大鉢のような稀少品も見つかっています。さらに15世紀代を中心に、朝鮮半島産の粉青沙器や象嵌青磁が出土遺物のおよそ1割強を占め、これに加えてタイやベトナム産の陶器まで含まれていることが確認されました。山陰の小さな湊が東アジア交易の網の目に組み込まれていたことを、考古資料が雄弁に物語っています。

国史跡に指定された理由 ― 文献と発掘が語り合う遺跡

中須東原遺跡は、平成25年(2013)11月15日の国の文化審議会で史跡指定の答申がなされ、翌平成26年(2014)3月18日に正式に国史跡に指定されました。益田市内では、スクモ塚古墳、益田氏城館跡に続く三例目の国史跡となります。

指定の決め手となったのは、まず中世の港湾遺跡として遺跡の構造そのものが良好な状態で残っていたことです。礫敷きの荷揚げ場、鍛冶場、街区、墓地までが一体的に把握できる事例は全国でもごく限られています。さらに、近接する中須西原遺跡と合わせて湊町の全体像を復元できる点も高く評価されました。

もう一つの大きな価値は、文献史料との突き合わせが可能な点にあります。地元の有力武家・益田氏が残した『益田家文書』には、水運や交易への深い関与をうかがわせる記述が数多くあります。たとえば永和2年(1376)の「益田本郷数年貢目録帳」には「大中洲 鍛冶名」の記載が見え、まさに発掘で見つかった鍛冶関連遺構と整合します。文書と遺構の両方から中世の港湾と交易を立体的に追えるという、希有な研究条件が整っているのです。

益田市は、保存のために区画整理事業の計画を一部変更し、遺跡の全面保存を選択しました。平成27年(2015)3月には管理団体にも指定され、現在は市の手で大切に守られています。

見どころと味わい方

中須東原遺跡は、復元された建物が並ぶテーマパーク型の史跡ではなく、保存された大地そのものが主役の遺跡です。多くの遺構は地下に静かに眠っており、現地では案内板を通じて当時の湊町の姿を読み解くスタイルになります。だからこそ、案内板の図と目の前の風景を重ね合わせたとき、海を渡って来た陶磁器や鉄を打つ音、行き交う人々の活気が、想像のなかで立ち上がってくる手応えがあります。

遺跡から少し足を伸ばすと、北西側に浄土宗の福王寺があります。境内には南北朝期の御影石製十三重層塔や、元徳2年(1330)銘の五輪塔など、湊町の最盛期と同時代の中世石造物がまとまって残されており、当時の信仰と暮らしの厚みを感じ取ることができます。

益田平野を見渡せる高台に上がってみるのもおすすめです。眼下に広がる田畑のあたりに、かつての潟湖と湊町の姿を重ねてみると、海と山と川がひとつにつながって機能した中世益田の地理が、身体的な感覚で理解できます。

あわせて訪ねたい益田の中世

中須東原遺跡は、日本遺産「中世日本の傑作 益田を味わう ―地方の時代に輝き再び―」の構成文化財のひとつです。中世の益田を本格的に体感したい方は、ぜひ一日かけて関連スポットをめぐってみてください。

同じく国史跡の益田氏城館跡は、湊町を治めた領主・益田氏の政治拠点であり、三宅御土居・七尾城などの遺跡群として今も残ります。市内の医光寺と萬福寺には、雪舟(1420頃〜1506頃)が作庭したと伝わる名園があり、晩年を益田で過ごしたとされる画聖と益田氏の関係をしのばせます。雪舟の墓と伝わる場所も市内にあり、絵画・庭園・遺跡が連なって中世益田の文化の厚みを今に伝えています。

港湾遺跡をもうひとつ見てみたい方には、同じく河口域に成立した今市遺跡が好対照です。また、出土品や解説をまとめて見たい場合は、益田市立歴史民俗資料館を最初に訪れると、地域の文脈を頭に入れたうえで現地を歩けます。

Q&A

Q中須東原遺跡とはどのような遺跡ですか。
A益田川河口左岸の砂丘後背地に立地する中世の港町の遺跡です。12世紀から17世紀にかけて存続し、14世紀後半〜16世紀に最盛期を迎えました。船着き場跡とみられる礫敷き遺構や鍛冶炉、街区が良好に残り、中国・朝鮮・東南アジアの陶磁器が出土しています。
Qいつ国史跡に指定されましたか。
A平成26年(2014)3月18日に国の史跡に指定されました。前年の平成25年(2013)11月の文化審議会答申を受けてのものです。益田市にとっては三例目の国史跡となります。
Qどのような遺物が見つかっていますか。
A中国陶磁が全体のおよそ8割を占め、これに朝鮮陶磁が約1割強、さらにタイやベトナム産の陶器が加わります。鉄滓や羽口など鍛冶関連の遺物、銭貨、土師質土器・須恵器・瓦質土器なども検出されており、国際交易と地場の生産活動を同時に物語っています。
Q現地に博物館や展示施設はありますか。
A遺跡そのものは保存された大地と案内板を中心とした史跡で、常設の展示施設は併設されていません。出土品や詳しい解説をご覧になりたい方には、益田市立歴史民俗資料館や、市が発行する子ども向けパンフレット『益田の歴史発見!中須東原遺跡』の利用がおすすめです。
Q益田氏とはどのような関係がありますか。
A益田氏は中世の益田を治めた有力武家で、湊町の最盛期にはその経営に深く関与していたと考えられています。『益田家文書』には水運や交易への関わりを示す記述が多く、文献と発掘成果を突き合わせることで、中世港湾の成立・展開や交易の内容まで具体的に追える点が、この遺跡の大きな価値です。

基本情報

名称 中須東原遺跡(なかずひがしはらいせき)
指定区分 国指定史跡(平成26年〔2014〕3月18日指定)
遺跡の種別 中世の港湾集落跡
時代 12世紀〜17世紀(最盛期:14世紀後半〜16世紀)
面積 約42,000平方メートル
所在地 島根県益田市中須町
管理団体 益田市(平成27年〔2015〕3月11日指定)
最寄り駅・空港 JR益田駅/萩・石見空港
問い合わせ 益田市教育委員会 文化財課(電話:0856-31-0623)

参考文献

中須東原遺跡 ― 文化遺産オンライン(文化庁)
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/271586
国指定文化財等データベース ― 中須東原遺跡
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/401/00003840
歴史・文化 ― 益田市
https://www.city.masuda.lg.jp/soshikikarasagasu/kyoikuiinkai/bunkazaika/3/3149.html
日本遺産ポータルサイト「中世日本の傑作 益田を味わう」
https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/stories/story100/
子ども向けパンフレット『益田の歴史発見!中須東原遺跡』 ― 益田市
https://www.city.masuda.lg.jp/soshikikarasagasu/kyoikuiinkai/bunkazaika/8/kankoubutu/3132.html
中須東原遺跡 ― 全国遺跡報告総覧(奈良文化財研究所)
https://sitereports.nabunken.go.jp/en/16555

最終更新日: 2026.05.14