甲府の市街地に残る桃山の一間社
穴切大神社本殿は、山梨県甲府市宝にある桃山時代の神社建築で、昭和10年(1935年)5月13日に指定を受けた重要文化財である。員数は1棟、構造は一間社流造、屋根は檜皮葺。指定番号は02026で、附として棟札3枚が指定されている。
一間社流造そのものは全国に無数にある形式で、それ自体が珍しいわけではない。見るべきは細部の処理のほうにある。正面には金具を打った両開きの扉が構えられ、その前面と両側面の三方には高欄を伴う板縁がめぐる。各所に彩色と彫刻が残り、木鼻には禅宗様の手法が用いられている。桃山期の社殿装飾がどこまで踏み込んだかを、小規模な一間社の枠のなかで確かめられる建物である。
建立年は判然としない。文化庁の国指定文化財等データベースは時代を「桃山」、西暦を1573年から1614年の範囲として記載するにとどまり、年代を特定していない。附指定の棟札3枚も創建年を示すには至っていない。様式判断から桃山期に置かれている、というのが現在の位置づけである。
湖水伝説と社名―穴を切る―
社名は地形の記憶を語に変えたものだ。『甲斐国社記・寺記』の伝えるところでは、かつて甲斐国中の大半は湖水であった。和銅年間(708年から715年)、時の国司がこれを水田に変えることを発起して朝廷に奏聞し、国造りの神である大己貴命に祈願したうえで、盆地南部の鰍沢口を開削して富士川へ水を落とした。この難事業が成った謝意として大己貴命を勧請したのが創祀と伝わる。「穴を切る」がそのまま社名になった。
地質学の側からは、部分的な裏づけがある。甲府盆地の形成は褶曲作用と火山活動によるもので、一度の排水事業で陸地化したわけではない。ただし古い時代の盆地には湖沼と湿地が広く分布し、鎮座地一帯の旧称「青沼」もそうした水域の多さに由来するとされる。山梨県内には同種の伝承が「蹴裂伝説」として数多く残っており、穴切大神社はそのうち最もまとまった一例を保持している。
当社は古く黒戸奈神社と称し、『延喜式』神名帳に載る黒戸奈神社の論社に数えられる。朝廷から穴切大明神の神号を賜ったと社記は記す。慶長8年(1603年)には黒印社領5石7斗余が安堵され、江戸期を通じて維持された。甲府城の南西、裏鬼門にあたる位置にあることから甲府勤番の武士たちの崇敬を集め、城の門のひとつは穴切御門と呼ばれた。明治5年(1872年)に郷社に列している。
見え方の制約と、境内の他の建築
訪問前に承知しておきたいのは、視線の制約である。重要文化財である本殿は境内の奥、拝殿と中門のさらに後方、瑞垣に囲まれて建つ。正面から正対することはできない。囲いの外から斜めに、屋根と上部の彫刻、向拝の彩色を見上げる形になる。
その分、参道が補ってくれる。境内入口の鳥居は住宅とマンションに挟まれた一方通行の細道に面しており、車では二度三度と通り過ぎることになりかねない。鳥居を抜けて参道を進むと随神門に突き当たり、ここで参道の向きが変わる。この随神門は寛政6年(1794年)の建立で、三間一戸の二層楼門。彫刻は諏訪立川流の初代・立川和四郎富棟の手によるものと伝えられ、甲府市の指定文化財となっている。参道右手には向唐破風造の神楽殿が建つ。本殿の前に立つ拝殿はコンクリート造の白い建物で、かえって古い木造部分を際立たせている。
地元の記憶は「災難を逃れた社」という点に集中している。昭和20年(1945年)7月6日夜からの甲府空襲で市街の大半が焼けたなか、当社は被災を免れ、その後の震災も切り抜けた。境内の彫刻の烏については、左甚五郎の作で、放っておくと飛び去るために鎖で繋いだという言い伝えがある。いずれも記録に裏づけがあるわけではなく、伝承として受け取っておきたい。
実際的な情報を挙げておく。境内は随時参拝可能で拝観料はかからない。JR甲府駅からは南西へ約1.2キロメートル、徒歩15分から20分ほど。境内には無料の駐車スペースが4台分ほどあるが、前面道路が狭い一方通行である点に注意したい。境内での撮影に制限は設けられていないものの、本殿は瑞垣の外からの撮影に限られる。社務所は随神門をくぐって左手にある。東へ徒歩10分ほどの位置に甲府城跡の舞鶴城公園があり、あわせて回りやすい。
Q&A
- 穴切大神社本殿は間近で見学できますか。
- 正面からは見られません。本殿は拝殿と中門の奥、瑞垣に囲まれて建つため、境内の側方または後方から斜めに眺めることになります。それでも屋根、組物、向拝の彩色は囲いの外から確認できます。
- 穴切大神社へのアクセスと拝観料を教えてください。
- 所在地は甲府市宝2丁目8番5号、JR甲府駅から南西へ約1.2キロメートル、徒歩15分から20分です。境内は随時参拝でき、拝観料は不要。無料駐車スペースが4台分ほどありますが、進入路は狭い一方通行です。
- 穴切大神社本殿はいつ建てられ、いつ指定されたのですか。
- 文化庁のデータベースは時代を桃山(1573年から1614年)とするのみで、建立年は特定されていません。指定は昭和10年(1935年)5月13日、指定番号02026の重要文化財です。
- 穴切大神社の祭神はどなたですか。
- 大己貴命、少彦名命、素戔嗚命の三柱です。大己貴命は大国主命とも呼ばれ出雲大社の祭神としても知られる神で、社伝では甲府盆地の湖水を落とす鰍沢口の開削を助けたとされます。
- 穴切大神社の境内には本殿以外にどのような建築がありますか。
- 寛政6年(1794年)建立の随神門と、向唐破風造の神楽殿があります。随神門は三間一戸の二層楼門で、彫刻は立川和四郎富棟の作と伝えられ、甲府市の指定文化財。いずれも参道上にあり、間近で見られます。
基本データ
| 名称 | 穴切大神社本殿(あなきりだいじんじゃほんでん) |
|---|---|
| 所在地 | 山梨県甲府市宝2丁目8番5号 |
| 指定区分 | 重要文化財(指定番号 02026) |
| 指定年 | 昭和10年(1935年)5月13日 |
| 員数 | 1棟(附 棟札3枚) |
| 寸法 | 一間社流造、檜皮葺。全体寸法は文化庁データベースに記載なし |
| 所有者 | 穴切大神社 |
| 公開状況 | 境内は随時参拝可・無料。本殿は瑞垣の外からの拝観に限られ、内部非公開 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)/穴切大神社本殿
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/840
- 文化遺産オンライン(文化庁)/穴切大神社本殿
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/193500
- 富士の国やまなし観光ネット(山梨県公式観光情報)/穴切大神社
- https://www.yamanashi-kankou.jp/kankou/spot/p1_8011.html
- 山梨の歴史を旅するサイト/穴切大神社
- https://www.yamanashi-kankou.jp/rekitabi/jisha/spot/017.html
最終更新日: 2026.08.11