里宮より古い場所に残る本殿
浅間神社摂社山宮神社本殿は、山梨県笛吹市一宮町一ノ宮にある神社本殿で、永禄元年(1558年)の再建になり、明治40年(1907年)8月28日に国の指定を受け、現在は重要文化財となっている。
甲斐国一宮である浅間神社の本社から東南へ二十丁余、およそ2キロ。清流山宮川の水源にあたる神山の麓に、この社殿は建つ。社伝は当地を創祀の地とし、貞観7年(865年)12月、三柱のうち木花開耶姫命が里宮へ遷座したと伝える。山宮には大山祇神と天孫瓊々杵命の二柱が残された。
遷座の背景には富士山の貞観噴火がある。『日本三代実録』は、貞観6年(864年)の噴火を受けて翌年に甲斐国へ浅間明神の祠を立て、祝・禰宜を置いて祭祀を行わせたと記す。国家の祭祀を担う社が、徒歩でしか到達できない山麓にとどまる理由はなかった。里宮への遷座は、その要請に応じたものと理解されている。
いま山宮に立つのは、武田の世の建物である。現本殿は永禄元年、武田信玄(晴信)による再建。附として棟札4枚が指定されている。
明治40年という指定年
指定の年が早い。明治40年8月の指定は、明治30年(1897年)制定の古社寺保存法による特別保護建造物としての認定にさかのぼる。昭和25年(1950年)に文化財保護法が施行された際、旧法下の認定物件は重要文化財へ引き継がれた。現在の区分はその結果である。
早期に取り上げられた理由は二つ考えられる。ひとつは年代の確かさ。棟札を伴って永禄元年という年紀が押さえられる社殿は、室町後期建築の編年における定点になる。もうひとつは形式である。
文化庁の台帳は「桁行二間、梁間一間、隅木入春日造、檜皮葺」と記す。春日造は妻入・切妻に向拝を付す形式で、通例は一間社、すなわち正面一間に収まる規模でつくられる。隅木入とは、隅に隅木を入れた変形で、山梨県内に類例が集まる。桁行二間はこの形式としては大きい部類にあたる。なお、当本殿を「一間社隅木入春日造」と記す資料もあり、記述に揺れがある。本稿は文化庁の記載を採った。
地元の解説はそろって木割の大きさを挙げ、堂々とした立ちと、比較的古調を保つ点を評価する。装飾が密度を増していく時期の社殿建築のなかで、この本殿は線が太い。
兜と紅葉の蟇股
この社殿を見に行く理由は蟇股にある。
正面の蟇股は複雑な花文で、特定の植物の写生ではなく図案として構成されている。側面に回ると彫刻が変わる。側面の蟇股はいずれも同じ意匠で、兜と紅葉を配する。
兜は社殿装飾の常套的な題材ではない。永禄元年に一国の社を再建した施主が誰であったかを考えれば、この意匠の含意は察しがつく。笛吹市の解説も、武士の心意気を示すものとして兜の紋様に触れている。秋の景物である紅葉と組み合わせた点に、単なる標識にとどまらない意匠上の判断がうかがえる。
社殿の傍らには老杉が二本並び立つ。夫婦杉と呼ばれ、笛吹市の指定を受けている。社の記述は千古の老杉と表現する。後世の植栽では代えられない構図を、この二本がつくっている。
参拝と祭事
山宮神社は常駐の社務所を持たない飛び地境内にある。住所は笛吹市一宮町一ノ宮1705。本社は同町1684で、社務所はそちらに置かれている。拝観料はなく、門も設けられていない。見学は外観のみで、本殿内部は公開されていない。
ただし放置された社ではない。毎月15日が恒例神祭日と定められ、3月15日前の日曜日には山宮神幸祭が行われる。里宮から山宮へ神輿が渡御する祭で、かつては3月15日に固定されていた。月次祭は3月と4月を除いて営まれる。祭日に合わせて訪れれば、建物が使われている状態を見られる。
本社は国道20号沿いに大鳥居を構え、駐車場も備える。山宮はそこから東南、山側へ入った位置にある。この一帯の公共交通は本数が限られ、本社から山宮まで徒歩で移動するには距離があるため、車かタクシーが現実的である。
外観の撮影を一律に禁じる掲示は確認できない。側面の蟇股は、低い角度から日が差す時間帯のほうが兜の輪郭が起きて見える。神幸祭の当日は祭事の妨げにならない位置を保ち、係の指示に従うこと。飛び地の山麓であるから、天候や道路状況の影響も受ける。事前に浅間神社社務所(0553-47-0900)へ確認しておくと確実である。
本社に立ち寄るなら、本殿脇の夫婦梅も見ておきたい。陰陽二花が寄って一顆を結ぶという樹齢200年を超える御神木で、陰暦4月第二亥の日に子授祈願祭が営まれる。4月15日の大神幸祭は甲斐国第一の大祭と称され、片道約6里、24キロに及ぶ行程をとる。
Q&A
- 浅間神社摂社山宮神社本殿はどこにあり、浅間神社とはどのような関係ですか。
- 山梨県笛吹市一宮町一ノ宮1705の飛び地境内にあり、甲斐国一宮・浅間神社の本社(同町1684)から東南へ約2キロの神山の麓に鎮座します。浅間神社の摂社であり、社伝では当地が創祀の地とされ、貞観7年(865年)に木花開耶姫命が里宮へ遷座したと伝えられます。
- 浅間神社摂社山宮神社本殿はいつ、誰によって建てられましたか。
- 現在の本殿は永禄元年(1558年)に武田信玄によって再建されたものです。附として棟札4枚が指定されています。明治40年(1907年)8月28日に国の指定を受け、現在は重要文化財に区分されています。
- 浅間神社摂社山宮神社本殿は見学できますか。拝観料はかかりますか。
- 拝観料は不要で、門もないため外観はいつでも見学できます。ただし常駐の社務所はなく、本殿内部は非公開です。毎月15日(3月・4月を除く)に月次祭が営まれており、その日に訪れると祭祀に使われている社殿を見ることができます。
- 浅間神社摂社山宮神社本殿の建築様式を教えてください。
- 文化庁の台帳では、桁行二間、梁間一間、隅木入春日造、檜皮葺と記録されています。春日造は通常一間社でつくられる形式のため、桁行二間は大きい部類にあたります。一部の資料は「一間社隅木入春日造」と記しており、記述に揺れがあります。本稿は一次資料である文化庁の記載に従いました。
- 浅間神社摂社山宮神社に関わる祭りはありますか。
- 3月15日前の日曜日に山宮神幸祭が行われ、里宮から山宮へ神幸します。かつては3月15日に営まれていました。あわせて本社では4月15日に大神幸祭(おみゆきさん)が行われ、甲斐国第一の大祭と称されます。
基本データ
| 名称 | 浅間神社摂社山宮神社本殿(あさまじんじゃせっしゃやまみやじんじゃほんでん) |
|---|---|
| 所在地 | 山梨県笛吹市一宮町一ノ宮(1705・飛び地) |
| 指定区分 | 重要文化財(建造物)/種別 近世以前・神社/指定番号00456/附 棟札4枚 |
| 指定年 | 明治40年(1907年)8月28日 |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 桁行二間、梁間一間、隅木入春日造、檜皮葺 |
| 所有者 | 浅間神社 |
| 公開状況 | 外観は常時見学可・拝観料不要。内部非公開。毎月15日に月次祭(3月・4月を除く)。問い合わせは浅間神社0553-47-0900 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁) 浅間神社摂社山宮神社本殿
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/883
- 笛吹市 浅間神社摂社山宮神社本殿【国指定】【一宮】
- https://www.city.fuefuki.yamanashi.jp/shisetsu/bunkazaihoka/011.html
- 甲斐国一宮 浅間神社 摂社 山宮神社
- https://asamajinja.jp/_setusya/
- 甲斐国一宮 浅間神社 年間祭事
- https://asamajinja.jp/_event/
- 富士の国やまなし観光ネット 甲斐國一宮浅間神社
- https://www.yamanashi-kankou.jp/kankou/spot/p1_4978.html
最終更新日: 2026.08.11