大鹿窪遺跡とは:富士山麓の縄文時代草創期の集落跡

大鹿窪遺跡(おおしかくぼいせき)は、静岡県富士宮市大鹿窪にある縄文時代草創期の集落跡で、平成20年(2008年)3月28日に国の史跡に指定された。

文化庁の記録では、指定時の所在地は富士郡芝川町である。富士宮市によると、平成22年(2010年)3月に芝川町が富士宮市と合併したことで、富士宮市の国指定史跡に加わった。

文化庁は、竪穴住居で構成される集落跡として最古段階の例であり、その数も当該期として国内最多であるとしている。

大鹿窪遺跡の立地

富士宮市によると、遺跡は富士山の南西部、北から南へ流れる芝川の左岸の、西向きの緩やかな斜面にあり、ほ場整備に伴う発掘調査で見つかった。富士山の溶岩である芝川溶岩流のすぐ上に位置する。

遺跡の中心部からは、東側の羽鮒丘陵越しに富士山を望むことができる。文化庁の解説も、遺跡の北方に富士山を仰ぎ見られると記している。

富士宮市によると、芝川溶岩流の年代は暦年代で約1万7千年前とされ、住居跡は約1万3千年前のものとされる。

大鹿窪遺跡の遺構と遺物

文化庁によると、当該期として国内最多となる14基の竪穴住居が確認された。壁面と外周には柱穴が巡り、床面中央に炉とみられる掘り込みをもつものもある。竪穴住居は、広場と推定される空間を中心に半円形に計画的に配置されている。

出土遺物は縄文土器と石器を中心に26,000点に及ぶ。土器は押圧縄文系、隆線文系、爪形文系など草創期の土器が主体で、石器には石鏃、尖頭器、有舌尖頭器などの狩猟具、植物の利用に使われた石皿、磨石、敲石などがあり、草創期を特徴づける矢柄研磨器も出土した。

文化庁は、縄文文化の成立期の居住の跡がこれまで洞窟や岩陰の遺跡で注目されてきた中で、開けた土地での集落の構造を知ることのできる稀少な例と評価している。富士宮市によると、史跡の範囲には周囲の環境が分かる溶岩や谷の地形も含まれている。

大鹿窪遺跡の見学方法

現地の見学条件について、公的な案内は確認できなかった。遺跡の範囲内で土を掘ったり、遺物を持ち帰ったりしてはならない。

問い合わせは富士宮市教育委員会へ。

Q&A

Q大鹿窪遺跡はいつ国の史跡に指定されましたか?
A平成20年(2008年)3月28日に指定されました。
Q大鹿窪遺跡はどのくらい古いのですか?
A縄文時代草創期の集落跡で、富士宮市によると住居跡は約1万3千年前のものとされます。
Q大鹿窪遺跡の竪穴住居の数は?
A文化庁によると14基で、当該期として国内最多です。
Q大鹿窪遺跡から何が出土していますか?
A押圧縄文系などの草創期の土器と、石鏃、尖頭器、石皿、磨石、矢柄研磨器などの石器が26,000点出土しています。
Q大鹿窪遺跡はどこにありますか?
A静岡県富士宮市大鹿窪、芝川の左岸にあります。

基本情報

名称大鹿窪遺跡(おおしかくぼいせき)
所在地静岡県富士宮市大鹿窪
指定区分史跡
指定年平成20年(2008年)3月28日指定
員数竪穴住居14基
寸法文化庁データベースに記載なし
所有者文化庁の記録に記載なし
公開状況公的な見学案内は確認できず

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「大鹿窪遺跡」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/00003569
文化遺産オンライン「大鹿窪遺跡」
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/164741
富士宮市「国指定史跡 大鹿窪遺跡」
https://www.city.fujinomiya.lg.jp/3010400000/p001930.html

最終更新日: 2026.09.28