永住寺開山堂及び位牌堂 開山を祀り、亡き人を迎える堂
愛知県新城市にある曹洞宗の寺院、永住寺。その本堂の北背後に、南北に長い切妻造の一棟が続く。前方には開山堂、その奥には位牌堂が収められ、二つの部屋が一直線に並ぶ。前の開山堂は寺を開いた僧を祀る場であり、奥の位牌堂には檀家の位牌が安置される。両者は一棟にまとめられ、明治26年(1893年)に建てられた。永住寺に残る伽藍建築のなかでは、もっとも新しい一棟である。
開山堂と位牌堂を一つの軸線上に並べる構成には意味がある。曹洞宗の寺院では、開山の僧を篤く祀り、その近くに代々の故人を集めて供養する。開山と後世の人々とを一棟の屋根の下につなぐこの配置は、その考え方を建築の形にしたものといえる。
古い伽藍のなかの明治の一棟
永住寺の起こりは永正10年(1513年)にさかのぼる。当地の領主であった菅沼定広の援助のもとに開かれたと伝わる。元亀4年(1573年)の戦乱で堂宇を焼失し、天正2年(1574年)に奥平定能が現在の裏野の地で再興した。以後、水野分長をはじめとする新城の領主たちが、堂を建て直し、また堂宇を加えていった。
開山堂及び位牌堂は、その後の時代に属する。建立は明治26年(1893年)。古い堂宇が改められていった時期にあたる。構造は木造平屋建で瓦葺、建築面積はおよそ107平方メートル。本堂の北側に接続して建ち、本堂から開山の座へ向かう参拝者は、開けた地面を横切るのではなく、意図された一連の空間を抜けて進むことになる。
堂内で目を留めたい点
前方の開山堂は奥行2間。前面の円柱の間に虹梁形の鴨居を渡し、仏壇の前には3連の虹梁を架ける。虹梁とは、緩やかに反りをもたせた梁である。仏壇の中央間には、火灯形に縁取った花頭口を設け、その奥に仏龕を張り出す。視線は自然と、開山を迎える正面へと導かれる。
奥に続く位牌堂は奥行7間とずっと深い。東西の両壁ぞいに位牌壇を設け、その上方に高窓を開く。窓からの光が、漆塗りの位牌の列に落ちる。引き締まった開山堂と、奥行きのある明るい位牌堂。この対比が、この建物のひそやかな見どころである。端から端まで、ゆっくりと歩いて確かめたい。
登録の理由
この堂は平成31年(2019年)に、登録有形文化財として国の登録簿に記された。登録基準は「造形の規範となっているもの」。これは国宝や重要文化財の指定とは異なり、傑出した唯一の作品というよりも、よく造られ、その種別の特徴をよく備えた建物を対象とする、より緩やかな保護の制度である。開山堂及び位牌堂の価値は、一棟だけにあるのではない。永住寺は、曹洞宗の修行寺がかつて必要とした堂宇を、ほぼ一式そろえて残している。その貴重な一群のなかに、開山堂と位牌堂は欠かせない要素として組み込まれている。
Q&A
- 開山堂と位牌堂は何が違うのですか。
- 前方の開山堂は、寺を開いた僧を祀る場で、その供養の中心となります。奥の位牌堂は、檀家の故人の位牌を、両側の壁ぞいの壇に段状に安置する場です。二室が一棟の屋根を共有するのは、開山と後世の人々とのつながりを示すためです。
- いつ建てられた建物ですか。
- 明治26年(1893年)の竣工で、永住寺に登録された伽藍建築のなかではもっとも新しい一棟です。寺そのものの開創は、はるかに古い永正10年(1513年)とされます。
- どのような文化財ですか。
- 国の登録有形文化財で、平成31年(2019年)12月に登録されました。登録制度は、国宝や重要文化財の指定に比べ、より緩やかな保護の仕組みです。
- 堂内に入って見学できますか。
- 永住寺は活動中の寺院で、開山堂・位牌堂は法要に用いられ、常時公開されているわけではありません。境内は訪れることができますが、この建物の内部の拝観は限られます。見学を希望される場合は、事前に寺へ問い合わせるのがよいでしょう。
- 永住寺へはどう行けばよいですか。
- 寺は新城市の中心部にあり、JR飯田線で向かうことができます。新城駅から、寺の建つ裏野の一帯までは近い距離です。
基本情報
| 名称 | 永住寺開山堂及び位牌堂 |
|---|---|
| 所在地 | 愛知県新城市字裏野3 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物) 2019年12月5日登録 |
| 登録番号 | 23-0537 |
| 年代 | 明治26年(1893年) |
| 構造 | 1棟 木造平屋建、瓦葺、建築面積約107平方メートル |
| 所有者 | 永住寺 |
| 公開状況 | 活動中の寺院。境内は拝観可、堂内の拝観は要事前確認 |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース 永住寺開山堂及び位牌堂
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00013121
最終更新日: 2026.06.24