文化財になった学校の門

津島を訪れる人の多くは、春の藤か、夏の川祭りの提灯船を目当てにしている。地元の高校の正門をわざわざ見にくる人は、ほとんどいない。けれども愛知県立津島高等学校の入口に立つ一対のコンクリートの柱は、大正12年(1923年)頃からこの場所にあり、平成29年(2017年)には国の文化財の登録簿に名を連ねた。

正式な登録名は長い。「愛知県立津島高等学校正門門柱(旧愛知県津島中学校正門)」という。要するに、現在の津島高校の前身校が使っていた頃に建てられた、大正期の鉄筋コンクリート造の門である。所在地は津島市宮川町、愛知県西部の津島市にあたり、所有者は愛知県。建設からおよそ百年を経た今も、生徒たちは毎朝この門をくぐっていく。

門の背後にある学校の歴史は古い。明治33年(1900年)4月に愛知県第三中学校として開校したのが始まりで、愛知県の旧制の「ナンバースクール」の一つであった。当時の津島町長の尽力によって誘致されたという。戦後の昭和23年(1948年)には地元の高等女学校と統合され、現在の男女共学校となった。門柱が建てられたのは学校の三十年目前後にあたり、その後の校地の変化をくぐり抜けてきた数少ない存在である。

門が保護される理由

日本は文化遺産を二つの異なる仕組みで守っており、この門を理解するうえでその違いが鍵になる。古いほうの仕組みが「指定」で、国宝や重要文化財という名で知られる区分を生み、最も高い価値をもつ物件に限られる。もう一つは平成8年(1996年)に始まった「登録」の制度で、規制はより緩やかであり、日常の風景をかたちづくる近代の建造物を守ることを主な狙いとしている。津島の門が属するのは後者であり、登録有形文化財(建造物)として、登録番号23-0487で平成29年6月28日に登録された。登録の基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」である。

この登録の性格をよく示しているのは、その成り立ちのほうだ。きっかけは研究者ではなく、卒業生や地域の人々が「古い校門にも価値があるのではないか」と愛知県教育委員会に声を寄せたことにあった。平成27年(2015年)に県立高校54校を対象とした調査を行ったところ、昭和23年以前に建てられ、なお現役の門として日々使われている門柱が13校に残っていることがわかった。多くの門は新しく取り替えられるか、敷地の片隅に記念碑として残されるにとどまっていた。県はその後の二年間、各校の校長と協議を重ねた。登録されれば、改修や補修の際に一定の手続きがかかるためである。各校はいずれも「使いながら守る」道を選んだ。名古屋大学の研究室が13校の調査に協力し、図面と写真を整え、平成29年6月に13校がまとめて登録された。県立高校の門柱が文化財として登録されたのは、このときが初めてのことだった。津島の門も、その13校のうちの一つである。

見どころ

近づいて眺めると、この門は近代日本の設計の静かな見本になっている。柱は鉄筋コンクリート造でモルタル仕上げ、平面はほぼ正方形である。二本の主柱はおよそ3.5メートルの高さで、これより低い脇柱はおよそ3.1メートル。全体は間口約10メートルにわたり、両端には東西の脇柱と低い土塁留が添えられている。なお高さの数値は資料によって差があり、津島市の文化財紹介ページは主柱・脇柱とも3.9メートルとしているため、寸法はおおよその目安として受け止めておきたい。

表面に目をやると、設計の筋道が見えてくる。どの柱も同じ語彙でまとめられているが、横方向の目地の間隔は上にいくほど変えてあり、背の高いコンクリートの柱が単調にならないよう工夫されている。柱頭部には抑えた幾何学模様が置かれ、本体は三層の構成で読み取れる。寺院の門や神社の鳥居の趣はここにはない。コンクリートがまだ日本で比較的新しい材料であった1920年代の、装飾を文様にまで切り詰めた幾何学的な造形である。

この門の最も魅力的な点は、一枚の写真には収まらない。門は、建てられた当時の役割を今も果たしているのだ。退役することも立入禁止になることもなく、ふつうの登校日に数百人の生徒がくぐっていく構造物を、この登録は守っている。百年前の門が同じ校庭へと開き続けているという連続性こそが、ここで肝心なところである。

訪れる前に一つ実用的な点を。ここは現役の学校の入口であり、観光地ではない。門柱は外の公道からはっきりと見え、撮影もできるが、校地そのものは一般の来訪者に開かれてはいない。津島のまち歩きの途中に挟む、短く費用のかからない立ち寄り先と考えるのがよい。

門の周辺

津島は半日ほどで気軽にまわれるまちで、門はその行程に自然につながる。少し歩けば、市の藤の名所である天王川公園がある。津島はかつて「藤浪の里」と呼ばれたほどの藤の地で、藤は今も市の花である。知っておくと面白い小さな符合がある。この学校の校章は、三稜の紋と、その土地柄に由来する下がり藤の意匠とを組み合わせたもので、門と庭園が一本の糸で結ばれているのだ。公園の藤棚はおよそ275メートルに及び、4月中旬から下旬にかけて花を咲かせる。この時期には尾張津島藤まつりが開かれ、夜には藤がライトアップされる。

さらに数分のところに津島神社が鎮座する。牛頭天王信仰の中心となる神社である。夏の祭礼である尾張津島天王祭は日本三大川祭りの一つに数えられ、その歴史はおよそ600年に及ぶ。中心となる車楽舟の行事は国の重要無形民俗文化財であり、ユネスコに登録された山・鉾・屋台行事の一部でもある。祭りの宵には、500個を超える提灯を掲げた巻藁船が水面へと漕ぎ出し、この地方で最も写真に撮られる光景の一つとなる。

行き方は分かりやすい。名鉄津島線で津島駅まで行き、公園や神社の方角へ徒歩約15分。高校も同じ地区にあるため、水辺と藤と神社をめぐる行程のなかに、門を無理なく組み込むことができる。

Q&A

Q門を間近で見るために中に入れますか。
A門柱は現役の高校の入口にあたるため、校地は一般の見学に開かれていません。手前の公道から門を眺め、撮影することができ、通常はそのかたちで見学されています。
Qなぜ単なる校門が文化財になるのですか。
Aこれは登録有形文化財であり、歴史的景観をかたちづくる近代の建造物を対象とする区分です。1920年代の初期の鉄筋コンクリート造でありながら現役で使われ続けてきた点が評価され、2017年に他の県立高校12校の門柱とともに登録されました。
Q門はどのくらい古いものですか。
A建てられたのは大正期の1923年頃です。学校自体はさらに古く1900年にさかのぼるため、門は創立そのものではなく初期の一章を示すものといえます。
Qこれは国宝や重要文化財ですか。
Aいいえ。それらの名称は最も価値の高い遺産を対象とする「指定」の制度によるものです。この門は別の「登録」の制度に属し、1996年に始まった、日常の歴史的な景観に寄与する建造物のための、より緩やかな保護です。
Q津島とあわせて訪れるのに良い時期はいつですか。
A天王川公園の藤が咲く4月下旬が最適です。もう一つの見どころは7月最終の週末で、天王祭が川を提灯船で満たします。

基本情報

名称愛知県立津島高等学校正門門柱(旧愛知県津島中学校正門)
所在地愛知県津島市宮川町三丁目80
指定区分登録有形文化財(建造物)、登録番号23-0487
登録年月日平成29年(2017年)6月28日
建設年代大正12年(1923年)頃
員数1基
構造鉄筋コンクリート造モルタル仕上げ、間口約10メートル、主柱約3.5メートル・脇柱約3.1メートル、東西脇柱及び土塁留付
所有者愛知県
アクセス名鉄津島線「津島」駅から徒歩約15分
公開状況現役校の入口。外の公道から見学可能、校地は一般非公開

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00011717
文化遺産オンライン(国立文化財機構)
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/289653
愛知県立津島高等学校(公式サイト)
https://tsushima-h.aichi-c.ed.jp/
津島市の歴史・文化遺産アーカイブ
https://www.tsushima-bunka.jp/map/kenzoubutu/map000479.html
天王川公園(津島市公式観光案内)
https://www.city.tsushima.lg.jp/shokai/kankouannai/tennougawakouen.html
尾張津島天王祭(Aichi Now/愛知県観光)
https://aichinow.pref.aichi.jp/events/detail/320/

最終更新日: 2026.06.16