間口2.0メートルの腕木門

旧堀田廣之家住宅門は、愛知県津島市祢宜町にある木造・瓦葺の門で、明治45年(1912年)に始まった屋敷の造営にともなって建てられ、平成28年(2016年)に登録有形文化財に登録された。間口は2.0メートル、袖塀を伴う。

形式は一間腕木門である。腕木門は、左右2本の主柱から前後へ腕木を突き出し、その先で桁を受けて屋根を支える形式で、屋根を支えるための柱を別に立てない。門としてはもっとも簡素な部類に入り、武家屋敷の表門のような格式を主張しない。旧堀田廣之家住宅門が間口2.0メートル、つまり一間分しかないのも同じ性格の表れで、大八車が通れる幅ではなく、人が出入りするための門である。

屋根は切妻造桟瓦葺。両開きの板戸が吊られている。

木の控柱を石に置き換える

旧堀田廣之家住宅門でもっとも目を引くのは、主柱の後方に添えられた控柱である。腕木門は屋根の重みを主柱1本で受けるため、前後の傾きに弱い。そこで主柱の背面に控柱を立てて支えるのが定石で、通常はこれも木で作る。この門ではそれが石材に置き換えられている。

木の控柱は地面と接する部分から腐る。石ならその心配がない。明治の終わりに新築された住宅で、構造上もっとも傷みやすい一点だけを石に替えるという判断は、当時の施主と棟梁が耐久性をどこまで具体的に考えていたかを示している。屋敷の西辺に煉瓦塀を回して防火を図ったことと、発想の筋は同じである。門をくぐる前に、柱の足元を見てほしい。

主屋との間には袖壁が取り付く。その腰は簓子下見板張、つまり横板を重ねて縦の桟で押さえる張り方で仕上げられている。文化庁の解説文は、この袖壁の腰板張について、他の建造物と意匠を統一して調和を図るものと述べる。同じ板張は蔵の外壁にも、通りの西寄りに立つ板塀の腰にも使われており、旧堀田廣之家住宅門はその繰り返しの東端にあたる。

通りに向いた顔の中での位置

屋敷は北側で祢宜町通りに面している。その北の面を西から東へたどると、まず延長12メートルの板塀が続き、その東寄りに潜門が一所開く。板塀が尽きたあたりに主屋があり、さらに東へ寄ったところに旧堀田廣之家住宅門が立つ。敷地の西辺には煉瓦塀が回る。つまり通りに向いた面には出入口が2か所あり、大きいほうがこの門である。

登録の理由として文化庁が挙げているのは「国土の歴史的景観に寄与しているもの」という基準である。主屋が造形の規範として評価されているのに対し、門・板塀・煉瓦塀は通りの景観をつくる要素として登録された。旧堀田廣之家住宅門を単体の建造物として見るより、板塀から煉瓦塀まで続く一連の外構の一部として見るほうが、この評価の意図に近い。

なお、この門の施工時期を直接に記した記録は、津島市立図書館が公開した堀田廣之文庫の資料には見当たらない。同じ資料からは、煉瓦塀が大正2年(1913年)1月14日に完成し、板塀が同年5月から6月にかけて仕上げられ、主屋の内部造作が大正3年(1914年)5月に終わったことが分かる。門もこの一連の工事のなかで建てられたと考えるのが自然だが、正確な時期は今後の調査を待ちたい。

見学の可否とアクセス

旧堀田廣之家住宅門は非公開の住宅の門であり、くぐることはできない。津島市の文化遺産アーカイブもこの屋敷の公開状況を「非公開」と明記しており、敷地への立ち入りも内部の見学もできない。特別公開や事前申込の制度は設けられていない。

ただし、この門は通りに面して立っているため、外観は歩道からそのまま観察できる。屋敷の5件の登録物件のうち、旧堀田廣之家住宅門は板塀・煉瓦塀と並んで、訪ねた人が実際に細部まで見られる数少ない対象である。腕木の出、桁の納まり、桟瓦の勾配、板戸の木口、そして石の控柱。門の前に立てば、いずれも手の届く高さにある。撮影は公道上からであれば妨げられないが、住人の生活があるので、開いた門扉の奥へレンズを向けるのは控えたい。

最寄り駅は名鉄津島線・尾西線の津島駅で、西へおよそ1キロメートル、徒歩15分ほど。津島神社へ向かう道筋にあたる。西隣の堀田家住宅(重要文化財)は津島市の所有で、土曜日・日曜日・祝日の午前10時から午後3時まで公開されている(一般300円、小中学生100円。2026年8月確認)。江戸時代中期の町家である本家の入口と、明治の終わりに建てられた旧堀田廣之家住宅門とを見比べると、同じ家系が2世紀の隔たりを置いてどう構えを変えたかが分かる。

Q&A

Q旧堀田廣之家住宅門は見学できますか。通りから見えますか。
A屋敷は非公開でくぐることはできませんが、門は祢宜町通りに面して立っており、外観は歩道から間近に観察できます。津島市の文化遺産アーカイブも公開状況を「非公開」としています。
Q旧堀田廣之家住宅門の「腕木門」とはどんな形式ですか。
A左右2本の主柱から腕木を前後に突き出し、その先で桁を受けて屋根を支える形式です。屋根専用の柱を立てないため簡素で、この門は間口2.0メートルの一間腕木門です。
Q旧堀田廣之家住宅門の控柱が石でできているのはなぜですか。
A腕木門は主柱1本で屋根を受けるため背面に控柱を添えますが、木の控柱は地面と接する足元から腐ります。石材に替えることでその弱点を避けたものと考えられます。
Q旧堀田廣之家住宅門はいつ建てられたのですか。
A文化庁のデータベースは年代を明治45年(1912年)としています。門の施工日を直接記した記録は公開資料には見当たりませんが、大正2年(1913年)から大正3年(1914年)にかけての一連の工事のなかで建てられたと考えられます。
Q旧堀田廣之家住宅門へのアクセスは。最寄り駅からどのくらいですか。
A名鉄津島線・尾西線の津島駅から西へ約1キロメートル、徒歩15分ほどです。門は祢宜町通りに面し、主屋の東側に立っています。

基本データ

名称旧堀田廣之家住宅門
所在地愛知県津島市祢宜町68
指定区分登録有形文化財(建造物)
指定年2016年登録
員数1棟
寸法木造、瓦葺、間口2.0メートル、袖塀付
所有者不明(文化庁データベースに記載なし)
公開状況非公開(外観は道路から見学可)

参考文献

国指定文化財等データベース 旧堀田廣之家住宅門(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00011320
文化遺産オンライン 旧堀田廣之家住宅門
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/221247
津島市の歴史・文化遺産 旧堀田廣之家住宅(津島市教育委員会)
https://www.tsushima-bunka.jp/map/kunitouroku/map000462.html
堀田廣之文庫展 資料(津島市立図書館)
https://www.lib.tsushima.aichi.jp/wp/wp-content/uploads/201706_hotta_re.pdf
重要文化財「堀田家住宅」について(津島市)
https://www.city.tsushima.lg.jp/shokai/bunka/bunkazai/jyuuyoubunnkazai.html

最終更新日: 2026.08.31