城跡公園のかたわらに建つ木造ビザンチンの聖堂

かつて吉田城があった豊橋公園の南、家並みのうしろに白い木造の建物が立ち上がる。目を引くのは、尖った屋根と小さなドームを戴く八角形の高い鐘塔である。これが豊橋ハリストス正教会の聖堂、聖使徒福音者馬太(マトフェイ)聖堂だ。馬太とは十二使徒の一人マタイを指す。木造のビザンチン様式による東方正教会の聖堂という、日本では稀な建物で、大正二年(一九一三)十二月に竣工し、いまや愛知県内に現存する正教会の聖堂としては最も古い。平成二十年(二〇〇八)、歴史的価値の高さが認められて重要文化財に指定された。

平面は、世界の正教会の聖堂に共通する形式に従う。西の正面から東へ一直線に、玄関、啓蒙所、信徒の立つ聖所、そして最も奥の至聖所が並ぶ。至聖所は聖障(イコノスタス)で仕切られている。正教の慣わしで、聖なる場と至聖の場とを分ける、聖像を描いた仕切りである。構造は木造一階建て、外壁は下見板張り、屋根は銅板葺きで、当初は亀甲葺きであった。玄関の上には八角形の鐘塔が尖頭の屋根とクーポラを戴き、聖所の上には葱坊主形のドームが載る。街路から見てビザンチンと分かる、あの輪郭である。

内部は壁も天井も白い漆喰で仕上げられ、天井の中心飾りから照明器具が吊られ、聖所はペンデンティブを介してドームへと立ち上がる。文化庁は、この聖堂を、正教会の定型的な平面と、木造正教会聖堂の完成した姿と呼べる構成・細部意匠の双方において評価している。その来歴は、設計者と目される一人の司祭建築家と固く結びついている。

河村伊蔵と山下りんの聖像

この聖堂は、確かな根拠のもとに河村伊蔵の設計と考えられている。修道名をモイセイという。慶応年間の一八六六年、知多半島の内海に生まれた正教会の聖職者で、教会の営繕も担った人物である。彼は豊橋に先立って大阪の聖堂を設計しており、豊橋の信徒数が少なかったことから、新しい聖堂は大阪の設計をやや縮小してほぼそのまま用いた。大阪の聖堂は第二次世界大戦で焼失したため、二棟のうちより完全な姿を残すのが豊橋ということになる。河村は函館の復活聖堂をはじめ、各地の木造正教会聖堂に関わり、その仕事は日本の木造正教会聖堂の頂点とも評される。彼が現場をいかに注意深く見守ったかは記録に残る。大正二年には年間およそ百六十三日を豊橋で過ごし、年の前半はほぼ常駐していた。建築史の静かな糸をたどれば、彼の孫は近代の建築家・内井昭蔵であった。

聖堂は、この教会の初代司祭マトフェイ影田神父の叙聖三十五周年を記念して建てられた。設計は、日本の正教伝道の創始者である聖ニコライが所蔵していた正教会聖堂の設計参考図譜をもとにし、施工は地元の工務店が担った。成聖式は大正四年(一九一五)に行われた。聖障はロシアから届くはずだったが、第一次世界大戦のためにとどこおり、仮の聖障が用いられ、正式なものが据えられたのは大正十五年(一九二六)のことである。

内部を見るべきものにしているのが、聖像である。いくつかは、ロシアに学んだ日本人最初のイコン画家・山下りんの手になる。彼女は聖ニコライの斡旋によって留学した画家で、ここには『主の昇天』『ハリストスの降誕』の壁画がある。神使長ガウエル(ガブリエル)とミハエル(ミカエル)を描いた二図は、日露戦争の捕虜となったロシア人画家の筆による。聖堂の鐘は戦時中の金属供出で失われ、昭和三十一年(一九五六)に小ぶりなものが新たに吊られた。

保存修理、そして訪ね方

聖堂は、この地方の大地震、豊橋空襲、たび重なる台風を耐え抜き、戦後復興を歩む市民にとって親しい目印となってきた。二〇一〇年代には傷みが目立ち始め、平成三十年(二〇一八)の台風二十四号では銅板屋根の一部が落下し、漆喰にひびが入った。令和三年(二〇二一)一月から、建立以来初の全面的な保存修理が始まった。約四十六か月、総額およそ二億千百万円を投じた事業で、国・愛知県・豊橋市が補助した。屋根は全面的に葺き替えられ、腐朽した木部が補修され、漆喰は塗り直され、建物の性格を損なわない形で耐震補強が加えられた。工事は令和六年(二〇二四)に完了し、修理を終えた聖堂は令和七年(二〇二五)に再び公開された。葺き替えたばかりの銅板屋根は本来の茶色に戻り、その後の歳月をかけて再び緑へと変わっていく。

聖堂は豊橋市八町通にあり、豊橋公園のすぐ南、安久美神戸神明社と隣り合う。豊橋駅から豊鉄の路面電車に乗り、市役所前の電停から徒歩約三分、あるいは駅から徒歩で約二十分の道のりである。

営業中ならぬ、現役の教会であるから、見学は礼拝の営みに沿う。個人の参観者は、おおむね週末の礼拝の時間内であれば内部を見ることができる。ただし予定が急に変わることもあるため、訪ねる前に教会の最新の案内を確かめておきたい。結婚式や成人式の前撮り、コスプレなどの撮影は、有償無償を問わず禁じられている。多くの場合、この建物は静かに味わうのがふさわしい。参道から、そして礼拝の許すときには、ドームの下、白い漆喰の聖所のなかから。

Q&A

Qこの建物は何ですか。
A豊橋ハリストス正教会の聖堂で、使徒・福音者マタイ(馬太)に捧げられています。大正二年(一九一三)の建立で、木造ビザンチン様式の東方正教会の聖堂。愛知県内に現存する正教会の聖堂では最古です。平成二十年(二〇〇八)に重要文化財に指定されました。
Q誰が設計したのですか。
A知多半島出身の正教会の司祭建築家・河村伊蔵(モイセイ)の設計と考えられています。先に大阪の聖堂を設計しており、豊橋はそれをやや縮小してほぼ踏襲しました。大阪の聖堂は第二次世界大戦で失われています。
Q内部に美術品はありますか。
Aあります。日本人最初のイコン画家・山下りんによる『主の昇天』『ハリストスの降誕』の壁画があり、神使長ガブリエルとミカエルの二図は日露戦争の捕虜となったロシア人画家の筆です。至聖所と聖所は、大正十五年(一九二六)据付の聖障で仕切られています。
Q内部は見学できますか。
A現役の教会です。令和六年(二〇二四)に全面修理を終え、令和七年(二〇二五)に再公開されました。個人であれば、おおむね週末の礼拝時間内に内部を見学できます。予定が変わることもあるため、事前に教会の案内をご確認ください。式典やコスプレなどの撮影は禁止です。
Qアクセスは。
A豊橋市八町通、豊橋公園のすぐ南にあります。豊橋駅から豊鉄の路面電車に乗り、市役所前の電停から徒歩約三分、または駅から徒歩約二十分です。

基本情報

名称豊橋ハリストス正教会聖使徒福音者馬太聖堂
所在地愛知県豊橋市八町通三丁目15番地
指定区分重要文化財(平成二十年〔二〇〇八〕六月九日指定)
竣工大正二年(一九一三)十二月
構造木造・一階建・銅板葺。正面に八角鐘楼、聖障付。建築面積約一八二平方メートル
設計司祭建築家・河村伊蔵(モイセイ)と推測される
聖像山下りんほかによるイコン
所有豊橋ハリストス正教会
アクセス豊鉄路面電車 市役所前から徒歩約三分/豊橋駅から徒歩約二十分
見学令和七年(二〇二五)に修理を終えて再公開。週末の礼拝時間内に内部見学が可能

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁) 豊橋ハリストス正教会聖使徒福音者馬太聖堂
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/00004275
文化遺産オンライン 豊橋ハリストス正教会聖使徒福音者馬太聖堂
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/177462
豊橋観光コンベンション協会 豊橋ハリストス正教会
https://www.honokuni.or.jp/toyohashi/spot/000039.html
愛知県 豊橋ハリストス正教会聖使徒福音者馬太聖堂 指定資料
https://www.pref.aichi.jp/uploaded/attachment/9741.pdf

最終更新日: 2026.06.24