二度運ばれてきた家

羽田八幡宮社務所離れ(旧羽田野家住宅主屋)は、愛知県豊橋市花田町にある江戸中期の住宅建築で、平成12年(2000年)に国の登録有形文化財となった。文化庁は建設年代を1661年から1750年の間としている。

今ある場所が建てられた場所ではない。文化9年(1812年)、この家はいったん解体され、渥美半島の百々村から運ばれてきた。太平洋に面した断崖の上にあった農漁村で、現在の田原市六連にあたる。移された先は羽田八幡宮の神主屋敷の敷地だった。そして1912年から1925年の間に二度目の解体を経て、境内の現在地に建て直されている。

釘を使わずに組んだ木の骨組みは、番付を振って外し、運び、また起こすことができる。日本の家屋が移築を重ねてきたのはそのためで、良い普請の家をわざわざ捨てる理由もなかった。ただ、この家の場合は距離と方向が変わっている。海辺の村から城下町へ、さらに一世紀近く後にもう一度動いて、それでも建っている。

ここに住んでいた神主

登録の解説文は、この建物を「羽田八幡宮文庫を主宰した神主の住宅主屋」と記す。その神主が羽田野敬雄である。明治15年(1882年)に85歳で没した。国学者として平田篤胤の門に入り、豊橋市の文化財保存活用地域計画は、平田国学が東三河に広まったのは敬雄を通してであったと記している。

嘉永元年(1848年)、敬雄は吉田の町人たちとともに神社の境内に文庫を開いた。閲覧所は松蔭学舎と呼ばれ、1万点を超える蔵書が閲覧に供され、貸し出しも行われた。その文庫の蔵と正門は、この住宅主屋と同じ日に登録されている。

羽田八幡宮社務所離れは、その話の暮らしの側にあたる。書物は隣にあった。ここは、書物を集めた人間が食事をし、眠り、客を迎え、『萬歳書留控』をはじめとする膨大な記録を書きつけた場所である。文庫は記憶される。その裏にあった家は、たいてい忘れられる。

建物は働き続けている。現在の社務所は昭和50年(1975年)の造営で、江戸時代のこの家はその離れとして脇に建つ。登録名にある「社務所離れ」という呼び名は、建てられてからずっと後に引き受けた役割を指している。

外から見て分かること

羽田八幡宮社務所離れは、木造平屋建、瓦葺、建築面積94平方メートルと記録されている。数字だけを見れば控えめな建物である。面白いのは各部の扱い方のほうだ。

まず屋根を見たい。片入母屋造とされる形で、入母屋造のうち一方の妻側だけを入母屋に造り、反対側は切妻のまま残す。左右が意図的に揃っていない。一度気づくと屋根全体の見え方が変わる。片方は改まった顔をしており、もう片方はそうではない。葺き方は桟瓦葺で、江戸後期以降の一般的な建物に広がった波形の瓦である。

南面には縁側がまわり、その先に土庇が出る。柱で支えた低い庇を土間状の細長い地面の上に架けたもので、装飾ではなく実用の造作にあたる。縁板を雨から守り、履物や道具を置き、干し物を並べられる乾いた場所ができる。庭と床の間に一段、境目が生まれる。

登録が特徴として挙げるのは内部である。10畳の主室と、その床の間と棚の構成。床と違い棚は改まった和室の標準的な装備だが、ここではその組み立て方が記録に値すると判断された。それがこの建物の登録基準につながっている。

「造形の規範」として登録された理由

登録有形文化財の制度は、一件ごとに登録基準を割り当てる。どの基準で登録されたかを見れば、評価者が何を重く見たかが分かる。羽田八幡宮社務所離れは第一の基準、すなわち造形の規範となっているものとして登録された。同じ敷地に建つ蔵と門の二件は別の基準で、国土の歴史的景観に寄与しているものとされている。

三件を前にしたとき、この違いは覚えておく価値がある。門と蔵は、場所を示し、その記憶を留めていることを評価された。この家は、造り方そのものを評価された。三件のうち普請の質で判断されたのはこの一件だけで、二度も解体されて組み直された村の民家に下された評価としては、いささか意外でもある。

なお「登録」と「指定」は別の制度で、日本の文化財保護の用語として置き換えはきかない。登録制度は平成8年(1996年)に設けられた比較的緩やかな保護の仕組みで、使われ、住まわれ、静かに失われていく近代以降の膨大な建物を対象とする。現状変更や取り壊しの前に届け出を求める一方、建物を使い続けることを前提とする。神社の実務に今も供されているこの家には、その枠組みが合っている。

見学の実際

羽田八幡宮は、豊橋駅西口から徒歩約8分の位置にある。豊橋駅には東海道新幹線、JR東海道本線、JR飯田線、名古屋鉄道が乗り入れる。豊橋鉄道の新豊橋駅からは徒歩約10分。車なら豊橋駅から県道388号経由で約5分、駐車場がある。

境内は開かれており、羽田八幡宮社務所離れの外観は予約も料金も要らずに見ることができる。内部は事情が異なる。建物は神社が使用中で、神社の公式サイトに内部の定期公開の案内はない。つまり10畳の主室と床棚は、記録の上では知られていても、通常は目にできない。社務所の受付は毎日午前9時00分から午後4時30分まで開いているので、その日の状況を確かめたいときはここで尋ねるのがよい。

境内での撮影は、参拝者が自分のカメラで撮る限りは特に問題がない。神社が定めているのは営業目的の撮影のほうで、写真館やカメラマンによる撮影は事前の申し込みを求められ、カメラマンに撮影許可証が渡される。撮影会を組むのであれば、先に社務所に連絡しておきたい。

三件の登録建造物のあいだを歩く時間はとっておきたい。門は参道に建ち、蔵とこの家はさらに奥で並んで建つ。その短い距離を歩くことが、これらがかつて一つの屋敷であったと理解する一番の近道になる。

Q&A

Q羽田八幡宮社務所離れは見学できますか。内部は公開されていますか。
A羽田八幡宮の境内から外観を見ることができ、予約も拝観料も要りません。内部は神社が使用中で、定期的な公開の案内は出ていません。その日の状況は、午前9時00分から午後4時30分まで開いている社務所で尋ねてください。
Q羽田八幡宮社務所離れへは豊橋駅からどう行きますか。
A豊橋駅西口を出て北西へ徒歩約8分です。豊橋鉄道の新豊橋駅からは徒歩約10分。車では豊橋駅から県道388号経由で約5分で、神社に駐車場があります。
Q羽田八幡宮社務所離れはなぜ文化財に登録されたのですか。
A平成12年(2000年)に、造形の規範となっているものという基準で登録されました。登録の解説文は、10畳の主室における床の間と棚の構成を特徴として挙げています。
Q羽田八幡宮社務所離れはいつの建物で、最初からこの場所にありましたか。
A文化庁は江戸中期、1661年から1750年の間の建設としています。二度移築されており、文化9年(1812年)に渥美半島の百々村から、さらに1912年から1925年の間に境内の現在地へ移されました。
Q羽田八幡宮社務所離れと羽田八幡宮文庫はどう関係していますか。
Aこの建物は、嘉永元年(1848年)に文庫を開いた神主・羽田野敬雄の住宅主屋です。文庫の蔵と正門は同じ敷地に建ち、平成12年(2000年)の同じ日に登録されました。

基本情報

名称羽田八幡宮社務所離れ(旧羽田野家住宅主屋)
所在地愛知県豊橋市花田町字斉藤56-3
指定区分登録有形文化財(建造物)、登録番号23-0050
指定年平成12年(2000年)登録
員数1棟
寸法木造平屋建、瓦葺、建築面積94平方メートル
所有者宗教法人羽田八幡宮
公開状況境内から外観をいつでも無料で見学可能。内部の公開案内なし。

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「羽田八幡宮社務所離れ(旧羽田野家住宅主屋)」
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00002044
羽田八幡宮 公式サイト(由緒・羽田八幡宮文庫について)
https://www.hadahachiman.jp/
羽田八幡宮 公式サイト(アクセス)
https://www.hadahachiman.jp/access/
豊橋市「豊橋市文化財保存活用地域計画」(令和7年〈2025年〉認定)
https://www.city.toyohashi.lg.jp/item/119328.htm

最終更新日: 2026.09.02