旧津島家住宅(斜陽館)――銀行家が建てた大邸宅と、太宰治が生まれた家
青森県五所川原市金木町の表通りに、煉瓦塀をめぐらせた木造二階建ての家が西を向いて建つ。階下11室、2階8室を数える大邸宅で、明治40年(1907)6月、金木銀行を営む大地主・津島源右衛門が竣工させた。その2年後、この家で六男が生まれる。戸籍名を津島修治といい、のちに太宰治の名で小説を発表することになる人物である。
建物は津島家が暮らした当時の姿を残し、平成16年(2004)に国の重要文化財に指定された。多くの人が知るのは、後年つけられた別の呼び名のほうかもしれない。旅館時代の名「斜陽館」である。
津島家と建築の経緯
津島家は明治初期以降、金貸し業や各種の商いで急速に財を蓄え、200町歩を超える田畑を持つ津軽有数の大地主となった。六代目当主で婿養子の源右衛門は、明治30年(1897)に金木銀行を設立して頭取を務め、県会議員、衆議院議員、貴族院議員と政治の世界にも進んだ。
明治40年に建てた住宅は、その地位を反映している。階下は住まいであると同時に仕事場でもあった。玄関を入った左手には「店」と呼ばれた金融執務室が置かれ、向かいには事務室があった。その奥に家族の居住空間が続く。付属の建物や、泉水を配した庭園まで含めた宅地は約680坪、およそ2,200平方メートルに及ぶ。
太宰治がこの家で生まれたのは明治42年(1909)6月19日、11人きょうだいの第10子にあたる。中学進学のため青森へ移るまで、13歳ごろまでをここで過ごした。大きく格式の高い家のなかで感じた裕福さと、家族とのへだたりは、後の作品に繰り返しあらわれることになる。
重要文化財に指定された理由
旧津島家住宅は、平成16年(2004)12月10日に重要文化財(建造物)に指定された。指定の対象は5件、すなわち主屋(明治40年)、文庫蔵(明治38年)、中の蔵、米蔵、そして煉瓦塀である。施工は弘前の名棟梁・堀江佐吉の工房によるもので、第五十九銀行などを手がけた佐吉の四男・斉藤伊三郎が大工棟梁を務めた。
評価されているのは、二つの様式の組み合わせ方である。長い通りにわ(土間)や段差をもった座敷の配列など、津軽の伝統的な町家の形式を踏まえながら、「店」や2階の応接室には洋風の意匠を取り入れた。良材として知られる青森ヒバを、米蔵に至るまで全体に用いている。蔵や煉瓦塀、庭園を含む屋敷構えがよく残る大規模で質の高い近代住宅として、20世紀初頭の地方の富裕層の暮らしぶりを具体的に知ることのできる例といえる。
建物の見どころ
主屋は西を正面とし、前面の南寄りに入母屋屋根の玄関を構える。階下は二つの領域に分かれる。南側には幅の広い通りにわが走り、北側には前後3室ずつ、計6室が並ぶ。前列に前座敷・茶の間・常居、後列に仏間・小座敷・小間が置かれた(室名は資料によって差がある)。
来館者が足を止めるのは、東側の広い板の間である。天井を張らずに小屋組のトラスをそのまま見せており、当時の個人住宅としては珍しい構造の見せ方になっている。もう一つは玄関脇の階段で、洋風に仕上げられ、2階の洋間の応接室と7室の和室へとつながる。
展示室となっているのは蔵のほうである。太宰が着用していた二重廻しのマント、執筆用具、直筆原稿や書簡、初版本のほか、外国語に翻訳された著作なども並ぶ。見学の所要は30分から1時間ほどをみておくとよい。
旅館「斜陽館」から記念館へ
太平洋戦争後、農地改革によって家を支えてきた田畑を失った津島家は、昭和23年(1948)にこの屋敷を手放した。昭和25年(1950)からは旅館として営業を始める。新たな所有者は、太宰晩年の名作『斜陽』(昭和22年刊)と、襖に記された詩文の「斜陽」にちなんで「斜陽館」と名づけた。以後46年ほどのあいだ、太宰の愛読者は作家が生まれた家に泊まることができた。
平成8年(1996)に旧金木町が建物を買い取り、当時の様子に復元したうえで、平成10年(1998)に太宰治記念館「斜陽館」として開館した。平成17年(2005)の市町村合併により所有は五所川原市へ移り、現在はNPO法人かなぎ元気倶楽部が管理・運営にあたっている。
金木のまちあるき
金木はゆっくり歩きたいまちである。津軽三味線の発祥地とされ、記念館の隣には津軽三味線会館があって生演奏が催される。両館の共通券も用意されている。少し足をのばせば、春には桜でにぎわう芦野公園があり、ここは幼い太宰が親しんだ場所でもある。子守のタケと訪れた雲祥寺も近い。
まちを通るのは津軽鉄道で、昔ながらの車両そのものが見どころとなっている。冬季に走るストーブ列車はことに知られる。五所川原市街では、毎年8月に巨大な立佞武多(たちねぷた)が練り歩き、立佞武多の館では通年で実物を見ることができる。
Q&A
- ここが本当に太宰治の生家なのですか。
- そうです。本名を津島修治という作家は、明治42年(1909)6月19日にこの家で生まれ、中学進学のため青森へ移る13歳ごろまでここで暮らしました。
- なぜ「斜陽館」と呼ばれるのですか。
- 旅館だった昭和25年(1950)につけられた名です。太宰の小説『斜陽』と、屋内の襖に書かれた詩文の「斜陽」にちなみます。ただし文化財としての正式名称は「旧津島家住宅」です。
- 中は見学できますか。どのくらいかかりますか。
- 記念館として一般公開されています。座敷や蔵の展示を見て回るのに、30分から1時間ほどが目安です。
- 太宰の読者でなくても楽しめますか。
- 建築だけでも見ごたえがあります。板の間の小屋組をあらわした天井、洋風の階段、青森ヒバをふんだんに使った造作など、近代の大邸宅として鑑賞する価値があります。
- 行き方を教えてください。
- 津軽鉄道の金木駅から徒歩約7分です。津軽鉄道は五所川原でJRの路線に接続しています。
基本情報
| 名称 | 旧津島家住宅(太宰治記念館「斜陽館」) |
|---|---|
| 所在地 | 青森県五所川原市金木町字朝日山412番地1 |
| 指定区分 | 重要文化財(建造物)/平成16年(2004)12月10日指定 |
| 指定対象 | 主屋(明治40年)、文庫蔵(明治38年)、中の蔵、米蔵、煉瓦塀 |
| 規模 | 木造二階建て/階下11室・2階8室、宅地約680坪(約2,200平方メートル) |
| 建築 | 津島源右衛門(建主)/堀江佐吉の工房、棟梁は斉藤伊三郎 |
| 所有者 | 五所川原市(運営:NPO法人かなぎ元気倶楽部) |
| 開館時間 | 9:00〜17:00(最終入館16:30)/休館日 12月29日。時間・料金は変更の場合があるため、来館前に確認のこと。 |
| アクセス | 津軽鉄道 金木駅から徒歩約7分 |
References
- 文化遺産オンライン(文化庁):旧津島家住宅 主屋
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/149081
- 国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/00003887
- 太宰治記念館「斜陽館」(太宰ミュージアム 公式)
- https://dazai.or.jp/modules/contents/class-a01history.html
- かなぎ元気倶楽部(記念館運営)
- https://kanagi-gc.net/
- 五所川原市:太宰治記念館「斜陽館」
- https://www.city.goshogawara.lg.jp/kyouiku/bunka/syayokan.html
- 青森県観光情報サイト Amazing AOMORI
- https://aomori-tourism.com/itineraries/detail_31.html
最終更新日: 2026.06.03
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