旧大栄町屈指の豪農屋敷に残る表門と3棟の蔵

石橋家住宅は、千葉県成田市久井崎にある明治期(1868〜1911年)の豪農の屋敷で、門・南の蔵・東の蔵・土蔵の4件が平成11年(1999年)7月8日にそろって国の登録有形文化財に登録された。

読みは「いしばしけじゅうたく」。久井崎は、平成18年(2006年)に成田市へ編入された旧香取郡大栄町の区域にあたる。千葉県教育委員会は石橋家を旧大栄町でも指折りの豪農と紹介しており、登録当時に書かれた文化庁の解説も、町内屈指の豪農の館と表現している。

成田市によれば、4件はいずれも明治時代の建物で、修理と手入れを重ねながら豪農屋敷らしい構えを保ってきた。主屋は登録に含まれていない。

島根県出雲市平田町にも同じ名前の登録有形文化財「石橋家住宅」があるが、こちらは町家で、成田市の石橋家住宅とは別の物件である。

石橋家住宅の屋敷構え

文化庁の解説から4件の位置を拾っていくと、石橋家住宅の表構えは道路沿いに並ぶ3件でできていることが分かる。中央に門が立ち、その南に南の蔵、北に東の蔵が建つ。2棟の蔵はどちらも南北に棟を通した平入の土蔵で、長い側面を道路に向けている。

門と蔵のあいだも閉じている。門と南の蔵のあいだには通用口、門と東の蔵のあいだには袖塀が付き、門と左右の蔵がひと続きの正面をつくる。南の蔵は道路側と北側の壁の腰を簓子(ささらご)下見板張とし、門と東の蔵を含めた道路沿いの眺めを整えている。

4件目の土蔵は、東の蔵の北西、敷地の内側に東西の棟で建つ。南面に入母屋造の玄関を付けた座敷蔵で、通りに面した3件とは役割も意匠の手のかけ方も違う。

石橋家住宅の登録の内容

石橋家住宅の4件は第18回の登録にあたり、平成11年(1999年)7月21日に告示された。登録番号は門が12-0016、南の蔵が12-0017、東の蔵が12-0018、土蔵が12-0019と続く。

登録基準は、門・南の蔵・東の蔵の3件が「国土の歴史的景観に寄与しているもの」、土蔵が「再現することが容易でないもの」である。文化庁の記載による建築面積は、門が5.0平方メートル、南の蔵が31平方メートル、東の蔵が30平方メートル、土蔵が40平方メートル。年代はいずれも明治期とされ、それより細かな年は示されていない。

文化庁のデータベースでは4件とも所有者欄が空欄で、千葉県と成田市は所有者を個人としている。

石橋家住宅の見学と行き方

石橋家住宅は個人の住まいで、成田市は公開状況を非公開としている。敷地や建物の内部には入れない。門と南の蔵・東の蔵は道路に面しているので、外観は公道から眺められる。

見学は道路からにとどめ、門の内側へは立ち入らないこと。撮影も公道から見える外観に限り、住む人の暮らしが写り込まないよう気を配りたい。門の前に車を止めるのも避けたい。

石橋家住宅は、JR成田駅と京成成田駅から北東へ直線でおよそ12キロメートル離れた台地上の農村部にある。路線バスやコミュニティバスでの行き方は確かめられなかったため、車かタクシーで訪ねるのが現実的である。

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁):石橋家住宅門
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00001174
国指定文化財等データベース(文化庁):石橋家住宅南の蔵
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00001175
国指定文化財等データベース(文化庁):石橋家住宅東の蔵
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00001176
国指定文化財等データベース(文化庁):石橋家住宅土蔵
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00001177
千葉県教育委員会:石橋家住宅門ほか
https://www.pref.chiba.lg.jp/kyouiku/bunkazai/bunkazai/q111-025.html
成田市:【国登録有形文化財】石橋家住宅門 ほか
https://www.city.narita.chiba.jp/shisei/page0152_00063.html
千葉県:成田市の有形文化財(建造物)
https://www.pref.chiba.lg.jp/kyouiku/bunkazai/shitei/shichouson/narita-kenzou.html

最終更新日: 2026.10.02

基本情報

名称石橋家住宅(成田市)
所在地千葉県成田市久井崎215
指定登録有形文化財 4件
座標35.84854, 140.41113