新興住宅地の夜を照らしたコンクリートの柱

千葉県流山市松ケ丘、天台寺門宗の小さな寺院・陽廣院の境内に、高さ四・四メートルほどのコンクリート柱が立っている。柱の表面には縦の浅い溝が刻まれ、頂部には丸い電灯がひとつ。一見すると庭園の装飾品のようにも見えるが、これは国の文化財として登録された街路灯であり、しかも同じ型のなかで完全な当初の姿を残す唯一の一基である。

名は松ケ丘一号型街路灯。昭和三十二年(一九五七年)頃に造られた。その来歴に名のある建築家や貴顕の名前は出てこない。これは戦後の暮らしの記憶に属するもので、東京近郊の土地が次々と住宅地へと姿を変え、新しく移り住んだ人々が自分たちの手で夜道を照らす方法を考えなければならなかった時代の産物である。

できたばかりの団地を照らすために

松ケ丘の住宅団地は、昭和三十一年(一九五六年)から第一期の入居募集が始まった。当時、宅地のまわりはまだ森に囲まれ、現在のような公共の街路灯はどこにもなかった。そこで、のちの自治会の前身にあたる組合が、防犯と夜道の安全のために、自分たちで照明を造ることにした。

昭和三十一年から三十二年にかけて、こうしたコンクリート製の街路灯が団地内の要所に計二十基以上設置された。手近で耐久性のある素材を用いた、実際的な問題への実際的な答えである。それでいて柱には西洋風建築の柱を模したフルーティング(縦溝)が施され、生活のための構築物としては意外なほど意匠への気配りが見てとれる。

時の流れはこれらの灯に厳しかった。電柱に防犯灯が取り付けられるようになると、古いコンクリートの街路灯は役目を終え、一基また一基と忘れられていった。設置から半世紀あまりを経た現在、松ケ丘の地区内で確認できるのは八基。そのうち当初の形状を完全に保つのはただ一基のみである。その唯一の現存例が、平成二十五年(二〇一三年)に陽廣院の境内へ移設され、この型を代表する基準となった。

「指定」ではなく「登録」

この街路灯が国の登録有形文化財となったのは、平成二十九年(二〇一七年)六月二十八日のことで、登録番号は12-0226。ここで、その地位の意味を確認しておきたい。よく知られた国宝や重要文化財とは、保護のしくみがやや異なるからである。

国宝・重要文化財は国が能動的に選び出して手厚く保護する「指定」の制度である。これに対して「登録」は、平成八年(一九九六年)に始まった、届出を基本とする比較的緩やかなしくみで、おおむね築五十年以上を経た建造物、とりわけ近代以降のものを主な対象とする。建物や構築物を厳重に囲い込むのではなく、活用しながら良好な状態で次の世代へ引き継ぐことを目指している。素朴なコンクリート製の街路灯が国宝の基準を満たすことはないが、登録制度は、こうした近代の日常的な遺産にこそ評価と一定の保護を与えるために生まれた。

登録の理由として挙げられたのは「造形の規範となっているもの」、すなわちその形が一つの基準としての価値をもつという基準である。価値の所在は素材の稀少さにあるのではなく、それが記録しているものにある。戦後郊外の住民が自ら築いた生活基盤であり、純粋に実用的な対象に注がれたささやかな意匠への志である。

見どころ

近づいて眺めると、その魅力は細部に宿る。柱を縦に走る浅い溝はフルーティングと呼ばれ、ギリシア・ローマ建築の円柱に用いられた手法だが、ここでは石工ではなく地元の人々の手によって灰色のコンクリートへと置き換えられている。やや重く頑丈な比率が、かえって味わいを生んでいる。

頂部には丸い電灯が載り、しかも今も点灯する。日が暮れると明かりが灯る様子は、松ケ丘に最初に移り住んだ家族たちが目にしたものとそう変わらない。柱に目をやると、製造会社名を刻んだ鉄製の小さな蓋が見つかる。これを開けると電球のスイッチが現れる。鑑賞のために設計された記念碑ではなく、周囲に暮らす人々が手入れをしながら使い続けた実用品であったことがうかがえる。

交通量の多い路傍ではなく静かな寺の境内に立つため、ゆっくりと向き合える。これほど落ち着いて眺められる街路灯は、そう多くない。

陽廣院とまちのめぐり

陽廣院そのものにも少し足を止めたい。天台寺門宗に属するこの寺は、正保年間(一六四〇年代)の開基と伝わり、加賀藩四代藩主・前田光高の菩提を弔うため、その戒名(陽廣院殿)にちなんで名づけられたという。当初は京都に建てられ、のちに江戸の深川を経て、現在の流山の住宅地へ移ったと伝えられる。境内はこぢんまりとしてよく手入れされており、駐車場も備え、御朱印もいただける。

街路灯が立つのは流山市の南東部で、JR常磐線・南柏駅から歩いておよそ七分。市内の他の見どころと合わせて一日を過ごすのにちょうどよい。少し足をのばせば、日本の白みりん発祥の地のひとつである旧市街・流山本町がある。ここには一茶双樹記念館があり、みりん醸造を営んだ秋元家の旧宅が保存されている。秋元家五代目当主は、旅の俳人・小林一茶と交流をもち、その活動を支えた人物として知られる。素朴な街路灯と古いみりんのまち。この二つを結ぶことで、流山という普通の都市が自らの働く過去をどう記憶しているかが、まっすぐに見えてくる。

Q&A

Q見学はできますか。料金はかかりますか。
A街路灯は陽廣院の境内に立っており、日中であれば自由に見学できます。拝観料はかかりません。ただし現役の寺院ですので、特に法要の際などは静かに見学してください。
Q今でも実際に点灯しますか。
Aはい。照明としての機能は保たれており、昭和三十年代に団地を照らしていた頃と同じように、日が暮れると明かりが灯るとされています。
Qこの街路灯は何基残っているのですか。
A昭和三十一年から三十二年頃に二十基以上が設置されました。現在も松ケ丘地区で八基を確認できますが、当初の姿を完全にとどめるのは陽廣院の一基のみで、文化財として登録されているのもこの一基です。
Qなぜ街路灯が文化財になるのですか。
A造形の価値と、それが記録しているものの価値が評価されたためです。流山の戦後の住宅開発の初期に造られたものはほとんど残っておらず、住民自身が築いたこの街路灯は、新興の郊外がどのように自らを整えていったかを示す数少ない実物となっています。平成八年に始まった登録制度は、こうした近代の日常的な遺産を評価するために設けられました。
Qどうやって行けばよいですか。
A最寄り駅はJR常磐線の南柏駅で、徒歩約七分です。住宅街の中にあり観光案内の表示はほとんどないため、まずは陽廣院を目印に向かうとよいでしょう。

基本情報

名称松ケ丘一号型街路灯(まつがおかいちごうがたがいろとう)
所在地千葉県流山市松ケ丘二丁目330-85(陽廣院境内)
区分登録有形文化財(建造物)
登録年月日平成二十九年(二〇一七年)六月二十八日(登録番号 12-0226)
登録基準造形の規範となっているもの
年代昭和三十二年(一九五七年)頃/平成二十五年(二〇一三年)移設
員数1基
構造・形式コンクリート造、高さ約4.4メートル、フルーティングを施した柱身、頂部に丸い電灯
所有者宗教法人陽廣院
アクセスJR常磐線・南柏駅から徒歩約7分
公開無料/寺院境内・日中

References

文化庁 国指定文化財等データベース
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00011646
文化遺産オンライン(国立文化財機構)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/274982
流山市 松ケ丘一号型街路灯
https://www.city.nagareyama.chiba.jp/tourism/1013087/1013089/1018235.html
流山市観光協会 一茶双樹記念館
https://nagareyamakankou.com/tourism-information/issa-souju/

最終更新日: 2026.06.20