根本家住宅南倉とは

根本家住宅南倉は、千葉県我孫子市都部にある慶応3年(1867年)建築の木造2階建の倉で、令和3年(2021年)10月14日に国の登録有形文化財となった。

根本家住宅南倉は、屋敷の入口の南側に建つ。北の通りから敷地の東の縁を南へ進み、西へ曲がって屋敷に入る、その曲がり角の南の側である。建築面積は40㎡で、入口の反対側に立つ北倉(27㎡)より大きい。登録番号は12-0316。

慶応3年という年代

根本家住宅の4棟のうち、江戸時代の年号で建築年がはっきり特定されているのは根本家住宅南倉だけである。主屋は「江戸末期」と幅をもって記され、北倉は明治33年(1900年)、屋敷社は明治時代後期の建築とされる。

慶応3年(1867年)は、江戸幕府が大政奉還によって政権を朝廷へ返した年にあたる。翌年には元号が明治へ改まる。根本家住宅南倉は、名主の家が江戸時代の村の仕組みの中で役目を果たしていた、その最後の年に建てられた倉ということになる。

根本家住宅南倉のつくり

屋根は切妻造・桟瓦葺。外壁は柱をあらわす真壁造で漆喰塗とし、腰には下見板張を回す。南面に窓をあける。

根本家住宅南倉の特徴は西側にある。西面に下屋を付けて戸口を設け、その南の側を室として区切っている。倉本体の内部は1階・2階とも一室だが、この下屋の区画によって、倉の外まわりに小さな部屋がひとつ加わった形になる。何に使われた部屋かは、公的な解説には記されていない。

根本家住宅南倉が登録された理由

根本家住宅南倉の登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」である。文化庁は、屋敷の一画をつくる建物として評価している。

33年後に建てられた北倉は、屋根・壁の仕上げ・下屋の戸口の取り方までこの南倉とよく似ている。入口の両脇に揃いの倉が並ぶ屋敷の表構えは、先に建っていた根本家住宅南倉が基準になってできあがったと考えられる。

根本家住宅南倉の見学について

根本家住宅南倉は個人の屋敷の中にあり、公開されていない。下屋の区画や倉の内部を見学できる機会は、2026年9月時点で確認できなかった。

文化庁の国指定文化財等データベースには「外観 西面」と「内観 2階」の写真がある。根本家住宅南倉の特徴である西側の下屋は、西面の写真でその張り出し方を確かめられる。

Q&A

Q根本家住宅南倉は見学できますか?
A見学はできません。根本家住宅南倉は個人の屋敷内にあり、一般公開は行われていません。外観と2階内部の写真が文化庁のデータベースに掲載されています。
Q根本家住宅南倉はいつ建てられましたか?
A慶応3年(1867年)です。大政奉還の年にあたり、根本家住宅の登録4棟の中では江戸時代の年号で建築年が特定されている唯一の建物です。
Q根本家住宅南倉の下屋にはどんな特徴がありますか?
A西面に付けた下屋に戸口を設け、その南側を室として区切っています。倉本体の各階は一室なので、この区画が南倉の平面上の特徴になっています。
Q根本家住宅南倉の大きさはどのくらいですか?
A木造2階建で、建築面積は40㎡です。向かい合う北倉(27㎡)よりひと回り大きい倉です。
Q根本家住宅南倉はいつ登録有形文化財になりましたか?
A令和3年(2021年)10月14日です。「国土の歴史的景観に寄与しているもの」という基準で、主屋・北倉・屋敷社と同じ日に登録されました。

基本情報

名称根本家住宅南倉
所在地千葉県我孫子市都部字宿通93-1
指定区分登録有形文化財(建造物)
指定年令和3年(2021年)
員数1棟
寸法建築面積40㎡、木造2階建
所有者個人
公開状況非公開(個人住宅の敷地内)

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「根本家住宅南倉」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00013963
文化庁 国指定文化財等データベース「根本家住宅北倉」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00013962
文化遺産オンライン「根本家住宅南倉」
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/587143
我孫子市 あびこ電脳考古博物館「根本家住宅」
https://www.city.abiko.chiba.jp/kouko/siteibunkazai/nemotokejyuutaku.html

最終更新日: 2026.09.25