須藤家住宅主屋 ― 関東大震災のあとに建て直された、房総の茅葺民家

大正12年(1923)9月、関東大震災は房総半島の南端を激しく揺らし、海沿いに点在していた木造の農家を数多く倒した。被災した須藤家が、現在の南房総市千倉町大貫で住まいを建て直したとき、地元には一つの言い伝えが残る。倒れた家の瓦礫から、まだ使える材を選り出し、新しい家の骨組みに組み直したというのだ。こうしてできた平屋の茅葺住宅は、そこからおよそ百年を経て今も建ち、平成18年(2006)に国の登録有形文化財となった。

門があるわけでも、名園が付くわけでもない。見学の窓口もない、ごく普通の住まいである。それでも国の台帳に名を連ねるのは、安房地方の家のつくりを素直に残しているから、そして同じ姿の家がもう数えるほどしか残っていないからだ。

いつ、どこに建てられたか

須藤家住宅主屋は、千葉県南房総市千倉町大貫、敷地の奥寄りに南を向いて建つ。木造平屋建で、屋根は寄棟造の茅葺。桁行は5間、梁間は4間半、間口およそ9メートル・奥行きおよそ8メートルで、建築面積は約85平方メートルにあたる。

建築年代は大正末期とされる。大正という時代は大正15年(1926)で幕を閉じるから、震災後に建て直されたという伝承とも無理なく重なる。百年を経た今も須藤の家名がこの建物に結びつき、いまも個人の住まいとして使われている。公開を前提とした施設ではない。

区分についても触れておきたい。登録有形文化財は、平成8年(1996)に設けられた比較的新しい仕組みである。国宝や重要文化財のように厳しく規制して手厚く守る指定制度に対し、こちらは届出と指導・助言を中心とした、ゆるやかな保護にとどまる。開発や暮らしの変化のなかで急速に失われていく、農家・商家・蔵といった近代以降の建物を幅広く後世へ残すための制度だ。須藤家住宅は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」という基準で登録されている。要は、かつてこの土地の田舎にあたりまえに広がっていた風景を、今に伝える一軒として認められたということになる。

何が評価されたのか

この家の値打ちは、何か一つの珍しい意匠にあるのではない。地域の建て方を一通りそろえて残している、そのまとまりにある。注目したい点が三つある。

一つめは棟だ。茅葺の棟は竹を用いて仕上げられており、これは安房・南房総の家に共通する特徴である。棟の納め方が他地域と異なるのだ。茅の葺き面はきれいに整えられ、棟から軒先へと長い曲線がよどみなく流れている。茅葺は数十年ごとに葺き替えを要する、いわば生きている屋根で、その手入れが行き届いた姿を見られること自体が珍しくなってきている。

二つめは軒だ。この家は軒の四方をせがい造とする。せがい造は、壁の柱の上から腕木を前に突き出し、その先に出桁を載せて、軒を壁の線よりずっと外まで張り出す技法をいう。深い軒は建物の正面に濃い陰影をつくり、外壁を吹き降りの雨や潮風から守る。せがい造はもともと格式のある家に用いられたつくりで、小ぶりな住宅の輪郭に思いがけない堅牢さを与えている。

三つめは、屋根が下りてくるにつれて素材が変わるところだ。主屋根は茅、しかし正面の下屋根は桟瓦で葺かれている。視線は上の柔らかな茅から、下の硬い焼き物の瓦へと移っていく。人が出入りする高さで、瓦の裾が雨を受け止める。理にかなった組み合わせである。

見どころ

内部は、専門的には広間型三間取と呼ばれる平面をとる。一つの大きな広間を中心に据えた、古い時代の素直な間取りだ。あらたまった部屋は西側に並ぶ。8畳の客間と、それに寄り添う6畳の座敷を、南北に配している。来客や儀礼のためにとっておく一画で、その置き方からは、この家がふだんの暮らしとあらたまった場をどう分けていたかが読み取れる。

外から眺めるなら、味わうべきは全体の釣り合いだろう。少し離れて立つと、まず屋根が目を引く。低く広がる寄棟の斜面が竹で納めた棟で合わさり、その大きな塊が深いせがいの軒に浮いて見える。かつてこの地の村々を埋めていた輪郭であり、今では点々と残るばかりだ。古材の木目を読むように、ゆっくりと眺めたい家である。

周辺をめぐる ― 千倉と南房総

須藤家住宅が建つ千倉は、房総半島の温暖な南端にある一帯で、平成18年(2006)に周辺と合併して南房総市となるまでは独立した町だった。古くから花の産地として知られ、温暖な冬を生かして、冬の終わりから春にかけては白間津の海沿いの畑がストックやポピー、菜の花で埋まる。花摘みを楽しめる農園もいくつかある。

程近くには高家神社が鎮座する。料理の神を祀る神社として、全国でもほぼここだけといってよい。祭神は磐鹿六雁命で、料理人や料理店、醤油の醸造家などが各地から参拝に訪れる。年に三度、5月17日・10月17日・11月23日には庖丁式が奉納される。長い包丁と金属の箸だけを使い、手を触れずに魚をさばく儀式だ。

海岸を半島の最南端までたどると、野島埼灯台に出る。明治2年(1869)に初点灯した白い八角形の塔で、日本でも有数の古さを誇る洋式灯台である。登れる灯台のひとつで、回廊からは太平洋が一面に開ける。ここには須藤家と響き合う事実がある。初代の灯台もまた大正12年の震災で倒れ、のちに鉄筋コンクリートで建て直された。同じ災害が、海辺の壮大な公共施設と、内陸の静かな民家の両方をつくり変えたのである。

食事をとるなら、千倉は現役の漁師町だから、港近くの寿司屋や海鮮料理店が一番の楽しみになる。道の駅ちくら潮風王国は、地の魚や農産物を買う拠点として使い勝手がよい。

Q&A

Q須藤家住宅の中は見学できますか。
Aできません。登録有形文化財ですが、同時に個人の住まいであり、一般には公開されていません。内部見学も受付も来訪者向けの設備もありません。一般のお宅と同じように扱い、お住まいの方のプライバシーを尊重してください。
Qでは、知っておく意味はどこにありますか。
A南房総の茅葺民家として、竹を用いた棟や四方のせがい造の軒をそろえて残す、手入れの行き届いた貴重な一軒だからです。千倉という土地の建築と歴史を理解するうえで、周辺の公開された見どころとあわせて知っておく価値があります。
Q「登録有形文化財」とは何ですか。
A平成8年(1996)に設けられた区分で、おおむね築50年以上を経て歴史的景観に寄与している建物を対象とします。国宝や重要文化財ほど強い規制はなく、届出と指導・助言を基本とするゆるやかな保護です。
Q千倉エリアへの行き方は。
A最寄り駅はJR内房線の千倉駅です。東京駅からは京葉線で蘇我へ出て内房線に乗り換え、所要はおよそ2時間半。車なら東京湾アクアラインと富津館山道路を経て、海沿いまでわずかな距離です。
Q周辺をめぐるなら、いつ頃がよいですか。
A冬の終わりから春が代表的な時季で、海沿いの花畑が見頃を迎え、気候も最も穏やかです。初夏には地元のびわが旬を迎え、高家神社の庖丁式は5月・10月・11月にあたります。

基本情報

名称須藤家住宅主屋(すどうけじゅうたくしゅおく)
所在地千葉県南房総市千倉町大貫543
区分登録有形文化財(建造物)
登録番号12-0066
登録年月日平成18年(2006)10月18日
時代・年代大正末期(1912~1926)/伝承では関東大震災(1923)後に建て直し
員数1棟
構造・形式木造平屋建、寄棟造、茅葺、建築面積約85㎡(桁行5間、梁間4間半)
特徴広間型三間取/西側に8畳客間・6畳座敷/軒四方をせがい造/正面下屋は桟瓦葺
公開状況個人の住宅のため非公開

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース ― 須藤家住宅主屋
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00005766
文化遺産オンライン(文化庁) ― 須藤家住宅主屋
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/118644
千葉県 ― 南房総市の文化財:須藤家住宅主屋
https://www.pref.chiba.lg.jp/kyouiku/bunkazai/bunkazai/q111-068.html
南房総市観光協会 ― 高家神社
https://www.cm-boso.com/takabe.html

最終更新日: 2026.06.20