松山城とは
松山城は、慶長7年(1602年)に加藤嘉明が築城を始めた、愛媛県松山市丸之内の勝山(標高132メートル)の平山城で、山頂に本丸、中腹に二の丸、西の山麓に三の丸を置く(松山市)。天守など江戸時代の21棟が国の重要文化財、昭和に木造で復元された16棟が登録有形文化財である(文化庁)。
松山市によれば、二之丸は蒲生忠知の時代に完成したとされる。その後は松平家のもとで明治維新まで伊予松山15万石の中心であり、明治政府による廃城を免れた。
37棟の構成
重要文化財の21棟は、天守1棟、櫓6棟、門7棟、塀7棟で、文化庁の記録では昭和10年(1935年)5月13日に旧法により指定された。天守は三重三階、地下一階付で、松山市によれば安政元年(1854年)に再建された。乾櫓・野原櫓・隠門・隠門続櫓は江戸時代前期の建築とされる(文化庁)。
天守は小天守・櫓と通路でつながる連立式である(松山市)。このうち小天守・南隅櫓・北隅櫓・十間廊下・多聞櫓・玄関多聞櫓・玄関・筋鉄門・内門の9棟が令和元年(2019年)、筒井門と東西の続櫓の3棟が令和4年(2022年)、太鼓門と南北の続櫓、太鼓櫓の4棟が令和6年(2024年)に登録有形文化財となった(文化庁)。各棟の構造は、それぞれのページで扱っている。
焼失と木造復元
松山市の保存活用計画によれば、昭和8年(1933年)の放火で小天守・南北の隅櫓・十間廊下などが焼失し、昭和20年(1945年)の空襲で太鼓門・太鼓櫓などが、昭和24年(1949年)の放火で筒井門とその続櫓が失われた。
失われた建物は昭和43年(1968年)から昭和48年(1973年)にかけて木造で復元された(松山市)。天守まわりの9棟は、昭和10年に文部省が作成した基本設計図と仕様書に基づいている(松山市)。太鼓門北続櫓は戦災の前にすでに失われていたが、石垣の形状などから存在を判断して復元された(文化庁)。
見学について
松山市によれば、天守の観覧は9時〜17時(8月は17時30分、12月〜1月は16時30分まで)で、入場は閉門の30分前まで、料金は大人520円・小学生160円、休みは12月の第3水曜日である。山頂の広場は無料で、5時(11月〜3月は5時30分)から21時まで開いている。
交通はJR松山駅から路面電車で大街道まで行き、徒歩5分でロープウェイ乗り場、ロープウェイを降りて徒歩10分である(松山市)。登城道は急坂で、門や櫓の敷居も高いまま残り、天守の内部は江戸時代の建物のため階段が急である(松山市)。
参考文献
- 松山城天守(国指定文化財等データベース)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/3318
- 松山城について知りたい(松山市 よくある質問)
- https://info-faq.city.matsuyama.ehime.jp/faq/show/1042?site_domain=default
- 史跡松山城跡保存活用計画 第1章(松山市)
- https://www.city.matsuyama.ehime.jp/shisetsu/koen/riyou-iji/hozonkatuyoukeikaku.files/Matsuyamajo-01.pdf
- 史跡松山城跡保存活用計画 第3章(松山市)
- https://www.city.matsuyama.ehime.jp/shisetsu/koen/riyou-iji/hozonkatuyoukeikaku.files/Matsuyamajo-05.pdf
- 松山城の建造物の国登録有形文化財への登録(松山市 報道資料)
- https://www.city.matsuyama.ehime.jp/hodo/h30/201903/kunibunkazaitouroku.files/shiro_shintoroku.pdf
最終更新日: 2026.10.19
基本情報
| 名称 | 松山城 |
|---|---|
| 所在地 | 愛媛県松山市丸之内 |
| 所有者 | 松山市 |
| 指定 | 重要文化財 1件・登録有形文化財 16件 |
| 座標 | 33.84472, 132.76610 |