武家屋敷から移されたと伝わる門
石田家の敷地南正面、道に面して横たわる細長い建物の中ほどに、門口が穿たれている。長屋門と呼ばれるこの形式は、門そのものを、かつて使用人の部屋や収納、番所を備えた棟の中に組み込むものである。木造平屋建、桁行十二間半、梁間二間半、入母屋造の桟瓦葺で、建築面積は約百十二平方メートル。主屋に次ぐ、敷地内で最も大きな一棟にあたる。
この門には、明治前期に武家屋敷を譲り受けて移築したものと伝えられる由緒がある。廃藩置県ののち、福井城下の武家屋敷の多くが取り壊されたが、その建物のなかには移築されて各地で再用されたものもあったと考えられている。もし石田家のこの門がその一つであれば、福井城下の武家建築の稀少な遺存例となる。地元の文化財の記録も、その可能性を高いものとみている。
登録の理由
長屋門は平成十八年、主屋と三棟の土蔵とともに登録有形文化財となった。長屋門は格式の標である。この規模の門を構える資格は、相応の家柄を示すものであり、庄屋を務め、のちに村政を担った石田家にとって、門は屋敷の入口で来訪者を迎え、主屋に至る前にその立場を告げる役割を果たした。
棟の中央三間を門とする。間口はおよそ十尺、約三メートルで、門柱のあいだに両開の門扉を釣り込み、西側には日常の出入りのための潜戸を設ける。壁は白漆喰で仕上げ、表側に小さな格子窓を開き、腰まわりを押縁下見板で守る。
見どころ
門は公道に面して建つため、通りがかりに全容を捉えられる唯一の石田家の建物である。高さより長さの勝る入母屋屋根の伸びやかな流れが、その奥に控える屋敷全体の調子を定めている。白漆喰と黒い下見板の対比、表を走る小さな格子窓は、農家の門というより武家の門の抑えた格式を帯びており、その出自の由緒に重みを添える。
主開口の西にある潜戸に目を留めたい。家人が実際に出入りしたのはこの小さな戸で、大扉はハレの機会にのみ開かれた。屋敷の奥は個人の住居で公開されていないため、門は道から眺めるのがよい。
Q&A
- 長屋門とは何ですか。
- 門と細長い長屋の棟を一体とした形式で、使用人の部屋や収納、番所などを備えました。その規模は家格を示す目安でした。
- 本当に武家屋敷から移したのですか。
- 明治前期に武家屋敷を譲り受けて移築したと伝えられています。文書で確定した事実というより有力な言い伝えであり、可能性が高いものとして受けとめるのが妥当です。
- なぜ武家の建物がここに来たのですか。
- 廃藩置県後、福井城下の武家屋敷が数多く取り壊され、その建物が移築されて地方の旧家に再用された例があったためと考えられています。
- どのくらいの大きさですか。
- 建築面積は約百十二平方メートル。桁行十二間半、梁間二間半で、入母屋造の桟瓦葺です。
- 近くで見られますか。
- 敷地南正面の公道から眺められます。奥の住居は個人のもので非公開です。
基本情報
| 名称 | 石田家住宅長屋門(いしだけじゅうたくながやもん) |
|---|---|
| 所在地 | 福井県福井市川尻町33-87 |
| 区分 | 登録有形文化財(建造物)/登録年月日 2006年10月18日 |
| 時代 | 明治前期(1868-1911)。武家屋敷からの移築と伝わる |
| 構造・形式 | 木造平屋建、瓦葺、建築面積約112㎡。桁行十二間半・梁間二間半、入母屋造、中央三間を門とし潜戸を設ける |
| 員数 | 1棟 |
| 登録基準 | 国土の歴史的景観に寄与しているもの |
| 公開状況 | 個人住居につき非公開。外観のみ |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁) — 石田家住宅長屋門
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00005834
- 公益財団法人 歴史のみえるまちづくり協会 — 石田家
- https://www.fukui-rekimachi.jp/category/detail.php?post_id=27
最終更新日: 2026.07.04