山へ運ばれた別邸

清芳山荘の本館は、いまを囲む山とは遠く離れた場所で生まれた。大正2年(1913年)、第10代日本銀行副総裁・木村清四郎の別邸として東京に建てられ、のちに江原家が譲り受けた。昭和11年(1936年)に杉並へ、そして昭和60年(1985年)に赤城山の南麓へと移築され、現在に至る。

木造平屋建で建築面積は188平方メートル。西の玄関から入ると東へ続き間の座敷が連なり、南西に洋室を配する。清芳山荘という名は、木村清四郎の「清」と、家を受け継いだ江原芳平の「芳」を合わせたもの。二人の交わりが名に刻まれている。

上質な近代和風

令和7年(2025年)3月、上質な近代和風住宅として登録有形文化財となった。和室と洋間を並べ置く近代の住まいのかたちである。座敷には床・床脇・付書院がそろい、良材が用いられている。

洋室には木製のマントルピースが据えられる。天井や窓の建具には、井桁と菱を組み合わせた意匠が施され、見上げるほどに細部が見えてくる。

訪ねる

敷地の入口には長屋門が構える。木の看板の揮毫は、群馬出身の元首相・中曽根康弘による。門から母屋までは歩いて2分、車でも少し走る。それほど敷地は広い。

現在、本館は江原家の敷地で営まれる文化ホテル「清芳山荘」の中心となっている。1日数組だけを迎える宿で、主室はおよそ40畳、庭は四季で表情を変える。室内に座れるのは、日帰りの客ではなく泊まり客である。

Q&A

Q木村清四郎とはどんな人物ですか。
A第10代の日本銀行副総裁を務めた人物です。この建物は大正2年に彼の別邸として建てられ、のちに江原家に受け継がれました。
Q「清芳山荘」の名の由来は。
A木村清四郎の「清」と、建物を受け継いだ江原芳平の「芳」を合わせた名です。二人の縁が名に込められています。
Q一般に見学できますか。
A本館は宿泊施設「清芳山荘」の中心の建物で、宿泊者に予約制で公開されています。日帰りでの見学は行っておらず、受け入れ組数にも限りがあります。
Q何度移築されましたか。
A二度です。昭和11年に東京から杉並へ、昭和60年に赤城山へ移されました。大正2年の建物が山の庭に建つのはそのためです。

基本情報

名称江原本家清芳山荘(旧木村清四郎邸)
所在地群馬県前橋市富士見町赤城山字竜ノ口1825-39他
指定区分登録有形文化財(建造物) 登録番号10-0353
登録年月日令和7年(2025年)3月13日
構造・形式木造平屋建、瓦葺、建築面積188㎡
年代大正2年(1913年)/昭和11年・昭和60年移築
所有群馬ビル株式会社(私有)
公開宿泊施設「清芳山荘」本館として宿泊者に公開(要予約)

参考文献

国指定文化財等データベース — 江原本家清芳山荘(旧木村清四郎邸)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00015279
群馬県 文化遺産課 — 群馬の文化財
https://www.pref.gunma.jp/page/5190.html
赤城宿 清芳山荘 — 施設案内
https://akagi-shuku.com/hotels/seiho-sanso/

最終更新日: 2026.07.03