明治3年に始まった桐生の機屋
後藤織物は、群馬県桐生市東1丁目にある明治3年(1870年)創業の機屋(はたや)で、主屋・鋸屋根の工場・蔵・給水塔など11件の建造物が平成18年(2006年)3月27日にそろって国の登録有形文化財となった。登録番号は10-0159から10-0169まで連続している。
機屋とは、糸を仕入れて織物を織り、製品として出荷する織元のことをいう。後藤織物の敷地には、主人の住まいと来客を迎える座敷、染色に使う水と熱の設備、織る工場、糸や紋紙をしまう蔵が、1つの塀の内側にまとまって残る。桐生の機屋がどのような建物の組み合わせで成り立っていたかを、屋敷ひとつでたどれる場所である。
創業者の後藤定吉は嘉永元年(1848年)の生まれで、明治3年に旧今泉村の現在地に居を構えて機業を始めたと伝えられる。桐生市の解説によれば、定吉は早くから洋式染色の導入に取り組み、明治11年(1878年)には群馬県令の許可を得て、森山芳平らとともに前橋の群馬県医学校で化学染料による染色を聴講した。修業証書が今も残る。
織物そのものの改良にも名を残した。明治10年(1877年)に絹と綿を交ぜた揚柳縮緬を出し、明治12年(1879年)には中国製の南京繻子に対抗する観光繻子を工夫している。明治25年(1892年)には管捲機械を発明して特許を得た。
後藤家には、明治16年(1883年)2月から45日間の旅を記した「伊勢神宮参拝道中日記」も伝わる。参詣の途中で大坂造幣局に立ち寄って硫酸や硝酸鉄を買い求め、その製法を学び、京都の博覧会や西陣の機業も見て回っている。硫酸は生糸をアルカリで煮たあとの中和に、硝酸鉄は染色に用いる薬品である。信仰の旅が、そのまま技術の視察を兼ねていた。
後藤家は明治から主に帯地を織ってきた。令和3年(2021年)に創業家から後藤織物を譲り受けた民間企業が、機屋の構成を後世に伝えるための保存と活用にあたっている。平成27年(2015年)4月には、日本遺産「かかあ天下-ぐんまの絹物語-」の構成文化財の一つとなった。
11件がつくる織物生産の流れ
登録された11件は、明治前期の主屋から昭和24年(1949年)の旧釜場まで、建てられた時期がばらばらである。それでも桐生市は、この建物群の構成が染色・撚糸・製織という織物生産の仕組みをそのまま示していると評価する。時期の違う建物が、役割ごとに欠けずにそろっている点が要になる。
役割ごとに並べると次のようになる。
- 住まいと応接:主屋(明治前期、大正14年頃増築)、奥座敷(大正14年頃)
- 水と熱:井戸屋形と給水塔(ともに昭和8年頃)、旧釜場(昭和24年)
- 織る:工場(昭和23年、昭和24年・25年増築)
- しまう:倉庫(絹糸)、西蔵(紋紙)、東蔵(什器や布団)、物置(従業員の食料と薪炭)
- 構え:表門及び板塀(大正14年頃)
このうち大正14年(1925年)という年が何度も出てくる。主屋には明治33年(1900年)と大正14年の2枚の家相図が残り、大正14年の図には倉庫・釜場・物置・蔵・工場脇の便所・井戸の位置が現状と一致して描かれている。敷地の骨格は、この年までにほぼ固まっていたことになる。明治33年の図にはすでに細長い2棟が並んで描かれ、桐生市はこれを鋸屋根の工場と見ている。
構成は戦争で一度崩れた。昭和19年(1944年)、企業統制のもとで工場・釜場・寄宿舎の建物が日本機械株式会社へ譲り渡され、便所に至るまで供出された書類が残る。現在の工場と旧釜場は、戦後の再建である。文化庁の記録では工場の建築が昭和23年(1948年)、増築が昭和24年と昭和25年(1950年)とされ、桐生市の資料には昭和24年の「織物工場増築工事仕様明細書」が残ると記されている。
水の設備にも時代が出ている。桐生市の水道は昭和7年(1932年)に開設され、この地区にも引かれていた。それでも後藤織物は、染色に大量の水を使うため井戸水を汲み上げる給水塔を昭和8年(1933年)頃に設けた。汲み上げの動力は、工場のモーターからプーリーを介して取ったという。
敷地の歩き方
後藤織物は、桐生市の繁華街にある本町四丁目の交差点から東へ、渡良瀬川の方へ向かう道の北側にある。明治から続く織物工場の多い一帯で、南には森秀織物工場、東には旧森山芳平工場が近い。
南の道路に面して竹垣が続き、その奥に道から少し下がって表門が構える。門をくぐると、正面に南を向いた主屋が見える。門を入って右手(東)にあるのが絹糸の倉庫で、主屋の東には南を向いて旧釜場が建つ。
主屋の西には奥座敷が接続する。その北、主屋と工場の間に井戸屋形があり、さらに北西の工場の南西隅に給水塔が立つ。井戸から汲み上げた水は、この塔の上の水槽にためられた。
主屋と奥座敷の北には、鋸屋根の工場が東西に長く広がる。工場のさらに北に、西蔵と東蔵が東西に並ぶ。敷地の東の境には物置が「く」の字に折れながら南北に延びる。南の門から北の蔵まで歩くと、住まいから工場、工場から収蔵へと、仕事の奥行きがそのまま距離になっていることが分かる。
見学とアクセス
後藤織物は常時開いている施設ではなく、事前予約制の見学で敷地に入る。所有者であるテクスト桐生の案内では、見学は平日の午前9時から午後4時、料金は500円、予約の電話は0277-46-8636である(2026年9月24日確認)。
一方、桐生市の案内(令和6年(2024年)12月更新)は公開時間を午後1時から午後4時、月曜日から金曜日とし、土曜日・日曜日は要相談としている。料金の500円は両者で一致するが、時間帯は案内によって異なるので、予約の際に確かめておきたい。
駐車場は、所有者の案内では5台、桐生市の案内では「若干」とされ、台数が少ないため予約時に確認するよう求められている。電車の場合はJR両毛線の桐生駅から歩いて約20分、車で約10分。北関東自動車道の太田桐生インターチェンジからは車で約25分(群馬県の日本遺産ページによる)。住居表示は桐生市東1丁目11-35で、文化庁のデータベースには地番の東1丁目730などで載っている。
建物の撮影や室内の見学範囲について、公式の案内には記載が見当たらなかった。撮影を考えているなら、予約の際にあわせて尋ねるのが確実である。
参考文献
- 後藤織物(桐生市ホームページ)
- https://www.city.kiryu.lg.jp/kankou/bunkazai/1010700/kunitouroku/1007533.html
- 後藤織物 門・主屋・奥座敷・井戸屋形・給水塔(桐生市、PDF)
- https://www.city.kiryu.lg.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/007/533/01goto-pdf.pdf
- 後藤織物 工場・旧釜場・物置・展示室・東蔵・西蔵(桐生市、PDF)
- https://www.city.kiryu.lg.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/007/533/02-gotopdf.pdf
- テクスト桐生 後藤織物の見学案内
- https://www.texte-kiryu.com/
- 日本遺産 かかあ天下-ぐんまの絹物語- 後藤織物(群馬県)
- https://worldheritage.pref.gunma.jp/JH/sbt/kb011/
- 国指定文化財等データベース(文化庁) 後藤織物主屋
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00005410
- 国指定文化財等データベース(文化庁) 後藤織物工場
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00005412
- 国指定文化財等データベース(文化庁) 後藤織物給水塔
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00005417
最終更新日: 2026.09.24
基本情報
| 名称 | 後藤織物 |
|---|---|
| 所在地 | 群馬県桐生市東一丁目729-2、730 |
| 所有者 | テクスト桐生株式会社 |
| 指定 | 登録有形文化財 11件 |
| 座標 | 36.41123, 139.34604 |