道のまんなかに立つ、千年のケヤキ

群馬県東吾妻町の原町。二本の県道が交わる三叉路の中央に、三角形の安全地帯を占めて一本の老木が立っている。車は木を避けるように三方を回り込んでいく。これが国の天然記念物「原町の大ケヤキ」である。推定樹齢はおよそ千年。昭和8年(1933年)4月13日に指定を受けた。

ケヤキはニレ科の落葉高木で、寺社建築や指物の良材として古くから尊ばれてきた。現在の大ケヤキは樹高約17メートル、目通りに近い幹周で約9.1メートル。ただしこの数字は、かつての姿からはかなり縮んだ姿を表している。今そこに立つのは、もっと大きかった樹の、生き残った中心部分である。

町の骨格を定めた樹

道が舗装されるはるか以前から、このケヤキは老木だった。江戸時代の初めにはすでにうっそうと茂る大樹であり、その足もとに開かれた町は、この樹を基準として街路を引いたと伝わる。

町割りの由来は真田氏に関わる。北の尾根には真田氏の支城・岩櫃城があった。慶長19年(1614年)ごろ、岩櫃城代の出浦盛清が真田信幸の命を受けて原町の町割りを行ったという。言い伝えによれば、盛清は岩櫃城の背後にある夫婦岩と大ケヤキとを一直線に結び、その線を町の本通りとして、両側に町を開いた。翌年に岩櫃城が破却されると吾妻郡一帯は真田氏の統治下に定まり、この樹を基点とした町は恒久のものとなった。

大ケヤキにはもうひとつの役割があった。北東は鬼門にあたる方角とされ、災いの入り込む隅と考えられてきた。その方位に立つ大樹は守り手とみなされ、原町の人びともこのケヤキを鬼門除けとして畏敬した。樹はツキノキ(槻木)と呼ばれ、その名は土地そのものに移って、いまも交差点は「槻木」の名で通っている。

日本三大欅のひとつ

全国に知られた理由は、その規模にある。昭和7年(1932年)、植物学者の三好学がこの樹を調査し、樹種がケヤキであることを確かめた。記録された計測値は、根元の幹周16.89メートル、そこから1.5メートル上で10.97メートル。枝張りは東北方向へ22メートル、南へ14メートル半に及んだ。三好はこの大ケヤキを、東根の大ケヤキ、三恵の大ケヤキとともに「日本三大欅」に数えている。

昭和初期の指定時の解説は、地上およそ6メートルで幹が六つの大支幹に分かれ、目通り幹囲はおよそ14メートル、樹勢は旺盛で欅の巨樹として代表的なものだと記している。当時の数値といまの数値を並べると、樹がどれほど変わったかが見えてくる。衰えは数字にあらわれ、そして樹の前に立てば、誰の目にもあらわれている。

天然記念物の指定は、樹が永遠であることを約束するものではない。学術的にも、地域にとっても、国の保護に値するだけの存在であったことを記録するものである。原町の大ケヤキの場合、その評価は樹がまだ健やかであった時期に与えられ、以後の町による手入れのよりどころとなってきた。

いま見る大ケヤキ

訪れる人がいま出会うのは、老いの時期にあるケヤキであり、樹はそれを隠さない。昭和40年(1965年)ごろから樹勢の衰えが目立ちはじめた。原因のひとつは、その立地にあるとされる。周囲をすべて道路に囲まれた三叉路の中央で、根を張る余地がない。大きな支幹の多くは失われた。幹は大きな空洞を開き、その空洞の内側に下りた根が地に取りついて、辛うじて枯死を免れている。残る幹は鋼管で支えられている。

率直に言えば、痛々しく、風雪を経た姿である。それでも、どの部分にも読みとれるものがある。空洞の差し渡しからは、かつての幹の太さがわかる。葉をつけて残る一本の大枝は、春ごとに新緑を芽吹かせ、秋には色づく。根元には標柱と説明板があり、説明板には衰える前の、均整のとれた樹冠の写真が掲げられている。板を読んでから樹を見上げる。それが、失われたものと今に残るものとを最もよく掴む見方である。

町は先のことにも目を向けている。原木から育てたクローン苗が東吾妻町のスポーツ広場で生育されており、千年のケヤキの血筋は、親木が尽きたあとも受け継がれていく。

訪ねるにあたって

大ケヤキは東吾妻町原町の槻木交差点に開かれて立ち、季節を問わず、時間を問わず眺めることができる。門も拝観料もない。JR吾妻線のぐんま原町駅から徒歩でおよそ10分。車の場合は、路上に停めず近隣の店舗や駐車場を利用するのが通例である。

ひとつ実際的な注意がある。樹は生きた交通の中央に立っている。中央の安全地帯に渡るには横断歩道の信号を待つ必要があり、安全に眺めるなら、安全地帯か、樹に面した歩道からがよい。春は新緑、秋は紅葉が見どころだが、葉を落とした冬の骨格こそ、この樹の来歴を最も正直に見せてくれる。

原町の周辺

大ケヤキが骨格を定めた町は、歩いてみる価値がある。槻木交差点からのびる直線の通りは、町割りの伝承に語られるその軸そのものであり、町割りはいまもその線に従っている。東吾妻町は群馬県北西部、山と河岸段丘と温泉が連なる吾妻渓谷沿いに位置する。

真田氏とのつながりは、町の北にそびえる岩櫃山の岩櫃城跡にも続く。城跡は国の史跡に指定され、岩櫃山そのものも変化に富んだ人気の登山地である。谷をさらに進めば中之条の温泉地、その奥には静かな四万温泉の湯がある。先へ向かう人には、伊香保や榛名高原の一帯も車で気軽に届く範囲にある。

Q&A

Q原町の大ケヤキの樹齢はどれくらいですか。
A推定でおよそ千年とされています。古木の樹齢の例にもれず正確な数値ではありませんが、記録された大きさや、四百年前にすでに老樹であったとする記述とも矛盾しない見立てです。
Qなぜ道路のまんなかに立っているのですか。
A樹のほうが先にありました。17世紀に原町が開かれた際、街路は既にあったこのケヤキを基準に引かれ、その街路が後に県道となって交差点が樹の周囲に形づくられたのです。道が樹をどけたのではなく、樹が道の形を決めました。
Q樹のそばまで近づいても大丈夫ですか。
A近づけますが、注意は必要です。樹は交通のある三叉路の中央の安全地帯に立っています。横断歩道の信号で渡り、安全地帯か周囲の歩道から眺めてください。車道に立ち入らないようにしましょう。
Qなぜこれほど傷んだ姿なのですか。
A老齢の時期にあり、昭和40年代ごろから衰えが進んでいます。安全地帯という立地で根を張る余地がないことも一因とされます。多くの支幹が失われ、幹は空洞化しました。現在は鋼管で支えられ、空洞内に下りた根によって生命を保っています。
Q大ケヤキはなぜ天然記念物に指定されたのですか。
Aかつて全国でも指折りの太さを誇り、日本三大欅のひとつに数えられたケヤキの巨樹であったためです。その価値が認められ、昭和8年(1933年)に国の天然記念物に指定されました。

基本情報

名称原町の大ケヤキ(はらまちのおおケヤキ)
所在地群馬県吾妻郡東吾妻町原町391
指定区分国指定天然記念物 昭和8年(1933年)4月13日指定
樹種ケヤキ(ニレ科ケヤキ属)
推定樹齢約1,000年
大きさ樹高約17メートル、幹周(胸高)約9.1メートル
管理団体東吾妻町
アクセスJR吾妻線「ぐんま原町駅」から徒歩約10分
公開状況屋外に立地。常時自由に見学可、見学料なし

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/537
文化遺産オンライン(国立情報学研究所)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/190332
原町の大ケヤキ(公益社団法人 群馬県緑化推進委員会)
https://www.g-sinrin.jp/kyozyukoboku/原町の大ケヤキ/
原町の大ケヤキ(ウィキペディア日本語版)
https://ja.wikipedia.org/wiki/原町の大ケヤキ

最終更新日: 2026.05.22