小早川氏城跡/高山城跡/新高山城跡/三原城跡とは:山間の要害から海陸の要衝へ移った小早川氏の三つの城跡
小早川氏城跡/高山城跡/新高山城跡/三原城跡(こばやかわししろあと)は、広島県三原市高坂町・本郷町などにある、戦国大名小早川氏の高山城跡・新高山城跡・三原城跡からなる城跡で、昭和32年(1957年)12月11日に国の史跡に指定された。
文化庁によると、小早川氏は祖の土肥遠平が沼田荘の地頭となってから代々この地を継ぎ、南北朝時代にはすでに城郭を築いて土豪として重きをなしていた。
文化庁は、これらの城跡が、山間の要害に拠っていた豪族が海陸の要衝に移っていく様相を一貫して示すものであり、それぞれ特徴ある城構えとあわせて歴史上価値ある遺跡であるとしている。
小早川氏城跡/高山城跡/新高山城跡/三原城跡を構成する城跡
文化庁によると、高山城跡は沼田川の東岸にそびえる山の頂上部に営まれた山城で、沼田の平地を眼下に見渡せる。頂上部を南北に貫く「御殿」と呼ばれる凹地を挟んで、北に本丸などの郭、南に千畳敷などの郭が空堀で隔てられて一列に並び、南北朝時代の城の姿をよく残している。
新高山城跡は沼田川を挟んで高山城跡に相対する西岸の山に営まれた山城である。三原市によると、天文21年(1552年)に小早川隆景が築き、高山城から本拠を移した。本丸・中の丸・釣井の段など7つの郭からなる内郭部を外郭部が守る構造で、本丸と釣井の段に石垣が残り、釣井の段には井戸が6基ある。文化庁は、石垣や虎口の枡形がよく残り、その変遷を知るうえで特に貴重であるとしている。
小早川氏城跡/高山城跡/新高山城跡/三原城跡の見どころ
文化庁によると、三原城は小早川隆景が築城に着手し、天正11年(1583年)2月には完成していた、南に海を望む平城である。本丸を中心に東西に水濠を隔てて二之丸・三之丸などの郭を設けた。隆景は慶長2年(1597年)に城中で没し、その後、福島氏、浅野氏の広島城の支城として明治維新に至った。
文化庁によると、山陽鉄道の敷設で本丸の一部などが壊され、海岸の埋め立てや市街地の発展によって、今日ではその全貌をとどめていない。
小早川氏城跡/高山城跡/新高山城跡/三原城跡の見学方法
見学の条件についての公的な案内は確認できなかった。
問い合わせは三原市文化課文化財係(0848-64-9234)へ。
Q&A
- 小早川氏城跡はいつ史跡に指定されましたか?
- 昭和32年(1957年)12月11日に指定されました。
- 小早川氏城跡はどの城跡からなりますか?
- 高山城跡、新高山城跡、三原城跡の三つです。
- 新高山城は誰が築いたのですか?
- 三原市によると、天文21年(1552年)に小早川隆景が築きました。
- 三原城はどんな城ですか?
- 南に海を望む平城で、天正11年(1583年)2月には完成していました。
- 小早川氏城跡の価値は?
- 山間の要害から海陸の要衝へ移る豪族の様相を一貫して示す遺跡とされます。
基本情報
| 名称 | 小早川氏城跡/高山城跡/新高山城跡/三原城跡(こばやかわししろあと) |
|---|---|
| 所在地 | 広島県三原市高坂町・館町・本町・城町・本郷町 |
| 指定区分 | 史跡 |
| 指定年 | 昭和32年(1957年)12月11日指定 |
| 員数 | 高山城跡、新高山城跡、三原城跡 |
| 寸法 | 文化庁データベースに記載なし |
| 所有者 | 文化庁の記録に記載なし |
| 公開状況 | 公的な見学案内は確認できず |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース「小早川氏城跡」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/2333
- 文化遺産オンライン「小早川氏城跡」
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/172995
- 三原市「新高山城跡」
- https://www.city.mihara.hiroshima.jp/soshiki/50/139862.html
最終更新日: 2026.09.30