日本海に面して建つ鰊漁の大邸宅
北海道小平町の鬼鹿、日本海の海岸沿いに、間口の長い木造の建物が海へ正面を向けて建っている。桁行はおよそ29メートル、片側は二階建てで、屋根は薄く割った板を葺いたこけら葺き。明治38年(1905年)頃、この海にニシンが大群となって押し寄せていた時代に、網元・花田家の住居兼仕事場として建てられたものだ。
番屋とは鰊漁場の拠点をいう。網元一家の住まいであると同時に、春ごとにやってくる雇い漁夫たちの寝泊まりする場所でもあった。花田家は道内屈指の規模を誇る鰊漁家で、最盛期には一族と季節労働者あわせて数百人がここで働いた。番屋の周囲には船倉や米蔵、網倉など多くの付属施設が浜の斜面に建ち並んでいたという。
建物は現在、小平町が所有し、一般に公開されている。道内に残る番屋としては最大の規模で、建造物として日本最北端の国指定重要文化財でもある。
ニシンの時代と花田家
建物を建てたのは花田伝作。十九世紀後半の鰊漁で財をなした地元の素封家である。最盛期には十八ヶ統もの定置網を経営し、北海道全体でも有数の漁家に数えられた。
春になると鰊群来(にしんくき)が訪れた。産卵期のニシンが浅瀬に押し寄せ、海面が乳白色に染まるほどの大群となる現象である。獲れたニシンは煮て搾られ、〆粕や魚油となって本州の綿花や藍の畑へ運ばれた。この交易が日本海沿岸の北海道に富をもたらし、残された壮大な木造建築は今も「鰊御殿」と呼ばれている。
実際に漁を担ったのは、ヤン衆と呼ばれる季節労働者たちだった。彼らは漁期のわずか数週間のためだけに北へ来て、この建物に寝泊まりし、囲炉裏端で立ったまま飯をかきこんでは舟へ戻っていった。忙しい時期には約200人がここに起居したという。昭和20年代になるとニシンはこの海からほとんど姿を消し、大きな漁場は次々と閉じられていった。
なぜ重要文化財に指定されたのか
この建物が国の重要文化財に指定されたのは、昭和46年(1971年)12月28日のこと。指定にあたっての評価は、おおむね三つの点を挙げている。北海道に残る大型の鰊漁場建築が今ではごく少ないこと、雇い漁夫の宿泊設備が珍しく良好に残っていること、そして巨材を惜しみなく用いた梁組が豪壮であること。
この最後の点には少し立ち止まりたい。木材はどこかの材木商から買い入れたものではない。町の背後にある大椴(おおとど)の山で伐り出し、平底の三半船で海上を運び、木挽の手で一本ずつ角材に挽いたものである。こうしてできた重厚な梁の骨組みが、一世紀を超える海辺の冬を経てなお屋根を支え続けている。
建築年代そのものも、解体修理のなかで明らかにされた。仏間の大引の下の束に書かれた墨書、ヤン衆寝台の羽目板に残された落書、そして壁紙の下張りに使われた明治37年・38年の古新聞。これらから親方の生活部分は明治38年頃のものと判断され、漁夫の生活部分はそれより二、三年早く建てられたと推定されている。
建物の内部を歩く
玄関は正面の中央にあり、一歩入ると建物は二つの世界に分かれている。一方は親方の領域で、きちんと天井を張った座敷や仏間が並び、造作も丁寧で二階を備える。もう一方は漁夫たちの空間で、大半は天井の高い土間と板間、窓辺には二段に組まれた寝台がずらりと続く。
漁夫側の中心は、三つの囲炉裏を切った広い板敷きの居間である。凍えるような海仕事を終えた二百人がここにひしめき、交代で飯を食い、炎が頭上の暗い小屋組を照らしていた——その光景を思い描いてみてほしい。数歩離れた静かな座敷との落差が、漁場の社会のありようを、どんな解説板よりもはっきりと伝えてくる。
漁夫の広間で見上げれば、構造がそのまま目に入る。太い柱、荷重を受けるために交差し積み重なる梁、煤で黒ずんだこけら葺き屋根の裏側。寝台のあいだには漁具や道具類が並び、ニシンがどう獲られ加工されたかを示しているが、多くの来訪者の記憶に残るのは、やはりこの空間の素のままの大きさだろう。
アクセスと周辺
建物は道の駅「おびら鰊番屋」と敷地を共有し、国道232号沿いにすぐ隣り合って建つ。道の駅には日本海の旬の魚を出す食堂、地元の海産物や特産品を扱う売店、無料の駐車場がそろう。留萌市街からは海沿いの道を北へ車で約30分の距離である。
国道をはさんだ海側にはにしん文化歴史公園が広がる。潮風を受けながら日本海に沈む夕日を眺めるのによい場所だ。園内には「北海道」の名づけ親として知られる幕末の探検家・松浦武四郎の像が立つ。番屋の玄関前には、モッコを背負った女性の銅像があり、ニシンの浜では女性も働いていたことを今に残している。
5月下旬には鰊番屋まつりが開かれ、この日は建物が無料開放され、会場には各種の催しや三平汁などの食が並ぶ。建物は季節によって開館時間が変わり、冬期は休館となるため、寒い時期に訪ねるなら開館日を事前に確かめておきたい。
Q&A
- そもそも「番屋」とは何ですか。
- 鰊漁場の拠点となる建物で、網元一家の住まいに、季節労働者の寝所・作業場・倉庫を兼ねたものです。花田家のものは道内に現存する番屋で最大の規模です。
- 建物はいつ頃のものですか。
- 親方の生活部分が明治38年(1905年)頃、漁夫の生活部分はそれより数年早いと推定されています。用材の伐り出しは明治20年代後半に始まったと考えられています。
- 中を見学できますか。
- できます。所定の入館料で内部が公開されており、親方の座敷と漁夫の寝所の双方を見ることができます。
- 一年中開いていますか。
- いいえ。季節ごとに開館時間が変わり、おおむね12月から3月の冬期は休館します。夏の最盛期を除き月曜は休みのことが多いので、事前の確認をおすすめします。
- 周辺に見どころはありますか。
- 隣接する道の駅と、国道をはさんだにしん文化歴史公園があります。公園は日本海に沈む夕日の眺めで知られています。
基本データ
| 名称 | 旧花田家番屋(きゅうはなだけばんや) |
|---|---|
| 所在地 | 北海道留萌郡小平町字鬼鹿広富35番地2 |
| 指定区分 | 重要文化財(建造物) 昭和46年(1971年)12月28日指定 |
| 時代 | 明治時代 明治38年(1905年)頃 |
| 構造形式 | 木造二階建、寄棟造(玄関入母屋造)、こけら葺。主屋は桁行約29.4m・梁間約22.7m、延床面積約906㎡ |
| 員数 | 1棟 |
| 所有者 | 小平町 |
| その他 | 平成13年(2001年)北海道遺産に選定。建造物として日本最北端の国指定重要文化財 |
| アクセス | 留萌市街から国道232号を北へ車で約30分。隣接する道の駅に駐車場あり |
| 入館料 | 大人400円、小・中学生150円(季節開館。冬期は休館) |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/39
- 文化遺産オンライン(国立文化財機構)
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/198969
- 国指定重要文化財 旧花田家番屋|おびら観光情報(小平町)
- https://www.town.obira.hokkaido.jp/kanko/detail/00002502.html
- 旧花田家番屋|HOKKAIDO LOVE!(北海道公式観光サイト)
- https://www.visit-hokkaido.jp/spot/detail_10529.html
最終更新日: 2026.06.05