屋敷を締めくくる素朴な塀

塀一が改まった玄関まわりで意匠を見せるのに対し、塀二は外周を閉じる地道な役を担う。敷地南辺、東籾蔵の西から始まり、南西隅からは西物置へと続いて廻る。延長はおよそ四十メートル、木造の軸組に鉄板葺の屋根を載せる。

塀一と同じく真壁造で、柱を半間ごと、すなわちおよそ九十センチ間隔に建てる。ただし仕上げは意図して簡素である。透かし欄間のような見せ場はない。ここは屋敷の背と側面にあたり、塀もそれにふさわしい装いをとっている。

区間ごとに変える実用の仕上げ

仕上げは廻る場所で変化する。南辺西半は腰を竪板張りとし、その上を中塗り仕上げとする。土壁を塗り重ねる工程のうち、最後に白い上塗りを掛けず中塗りのままを表面とする手法である。残りの区間は腰から上まで竪板張りで通す。飾り立てず、長く保ち、敷地の縁を一本の清らかな線として見せることを旨とした造りである。

この抑制こそが要点である。塀二が評価されたのは、約九百坪、三千平方メートル近い広大な敷地の縁を整える働きによる。これほどの広さの屋敷地は、連続した手入れの行き届いた境界がなければ周囲に溶け込んでしまう。塀二は、屋敷をひとまとまりに保つ線を引いている。

建築は明治末期。明治三年(1870年)から建つ主屋を囲む外構が整えられていった時期の普請である。

水と向き合った景観の一部として

塀二は平成十八年(2006年)、蔵や塀一と同じく、国土の歴史的景観に寄与するものとして登録有形文化財に登録された。平成八年(1996年)に設けられた登録制度は、重要文化財の指定に比べて緩やかであり、届出と指導を基本として、平凡だが趣のある建造物が失われるのを防ぐ。

素朴な四十メートルの塀がなぜその列に加わるのか。それは何を囲っているかを見れば分かる。赤木家は円山川のほとりの大庄屋で、屋敷は氾濫を繰り返す川に備えて造られている。玄武岩の石垣で敷地をおよそ二メートルかさ上げし、川側にはかつて流れを和らげる竹林を育て、蔵の軒下には万一に備えて小舟を吊るしていた。屋敷は一度も浸水しなかったと伝わる。塀二はその水に強い屋敷構えの外縁であり、囲われた屋敷は「砂防の父」赤木正雄(1887–1972)の生家でもある。生涯を治水・砂防に捧げた彼の働きにより、SABOは砂防分野の国際語となった。

Q&A

Q屋敷を見学できますか。
A赤木家住宅は個人の住宅で、原則として非公開です。敷地内の「砂防の父 赤木正雄展示館」を事前予約のうえ訪ねれば、屋敷の様子を見学できます。金・土曜の開館で、最新の予定は事前にご確認ください。
Q塀一とはどう違いますか。
A塀一は玄関側に廻り、透かし欄間と焼き杉竪板で意匠を見せます。塀二は南辺・側面を囲い、竪板張りと中塗りで簡素に仕上げ、屋根も瓦ではなく鉄板葺です。
Q中塗り仕上げとは何ですか。
A土壁は何度も塗り重ねて仕上げます。その中間の層が中塗りです。白い上塗りを掛けず中塗りのままを表面とすることで、質感のある実用的な外観となり、外周の塀に向きます。
Q長さと経路に意味はありますか。
A約四十メートルにわたり、蔵や敷地の隅をつないで、約九百坪の屋敷地を一つの囲いとしてまとめます。広大な敷地の縁を画し、整えることがその役割です。

基本情報

名称赤木家住宅塀二(あかぎけじゅうたくへいに)
所在地兵庫県豊岡市引野972
指定区分登録有形文化財(建造物) 登録年月日:平成18年(2006年)3月2日/告示:同年3月23日
登録番号28-0236
員数1棟
時代明治末期(1868–1911)
構造及び形式木造、鉄板葺、延長約40m。真壁造、柱を半間ごとに建て、南辺西半は腰を竪板張り・上を中塗り仕上げ、その他を竪板張り仕上げ
公開状況個人住宅のため原則非公開。敷地内「砂防の父 赤木正雄展示館」(金・土、事前予約制)で屋敷の様子を見学可。最新情報は要確認

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「赤木家住宅塀二」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00005326
但馬の百科事典(公益財団法人たんしん地域振興基金)「赤木家住宅」
https://tanshin-kikin.jp/tajima/564
たじま旅ネット(但馬観光協会)「『砂防の神様』と言われた男、『赤木正雄』博士」
https://tajima-tabi.net/publictopics/376148
土砂災害防止広報センター「砂防の父 赤木正雄展示館」
https://www.sabopc.or.jp/category/砂防の父 赤木正雄展示館/

最終更新日: 2026.06.22