シャトーカミヤ旧醸造場施設 ― 日本初の本格的ワイン醸造場、その煉瓦造の心臓部を訪ねて

JR常磐線・牛久駅東口から徒歩約9分。住宅地のなかにふいに現れるのは、まるでフランス・ボルドーの一角を切り取ったかのような風景です。重厚な赤煉瓦の壁、装飾的な時計塔、そして正面に刻まれた「CHATEAU D. KAMIYA」の文字――。ここは1903(明治36)年、実業家・神谷傳兵衛が完成させた日本初の本格的ワイン醸造場、シャトーカミヤ旧醸造場施設です。なかでも今回ご紹介する「醗酵室」と「貯蔵庫」は、ワイン造りの工程そのものを今に伝える中核的な建造物。事務室と合わせた3棟は2008(平成20)年に国の重要文化財に指定され、明治の夢が形となった姿を、私たちは今も同じ場所で目にすることができます。

神谷傳兵衛と牛久醸造場誕生の物語

この煉瓦の建物群の背景には、ひとりの傑出した実業家の夢があります。神谷傳兵衛(1856–1922)は三河国(現在の愛知県)に生まれ、若き日に横浜の外国人居留地でフランス人経営の洋酒商「フレッレ商会」に勤めていました。病に倒れた際にワインを勧められて健康を取り戻した傳兵衛は、その滋養効果に驚き、「日本人が手にしやすい価格で本物のワインを届けたい」という志を抱きます。

傳兵衛は浅草に「みかはや銘酒店」(後の神谷バー)を開業し、輸入ワインをベースとした「蜂印香竄葡萄酒」を成功させます。そして1894(明治27)年、養嗣子の傳蔵をフランス・ボルドー地方のカルボンブラン村にあるデュボワ商会の醸造場へ派遣。傳蔵は2年余りにわたり葡萄栽培、機械操作、醸造技術を学び、関連書籍や醸造用具、土壌サンプルを携えて帰国しました。

傳兵衛父子は、ボルドーに似た条件をもつ土地として茨城県稲敷郡の女化原(現在の牛久市)に着目。1898(明治31)年に23町歩を開墾して苗木6,000本を移植し「神谷葡萄園」を開設します。1901(明治34)年3月にはついに醸造場の建築に着手。総工費3万円余を投じて1903年9月、葡萄栽培から醸造、貯蔵、瓶詰出荷までを一貫して行う日本初の本格的ワイン醸造施設「牛久醸造場」が完成しました。

なぜ重要文化財に指定されたのか

2008年6月9日、シャトーカミヤ旧醸造場施設の3棟(事務室、醗酵室、貯蔵庫)は「最初期の本格的ワイン醸造場施設」として国の重要文化財に指定されました。指定理由には大きく2つの価値が示されています。

第一に、明治中期の本格的な煉瓦造ワイン醸造所の主要部がほぼ完存している点です。明治期に日本の近代産業を支えた煉瓦造建築は数多く建てられましたが、産業施設としての全体構成が建設当初の姿に近いまま残されている例は決して多くありません。シャトーカミヤはその希少な事例として、高い歴史的価値を有します。

第二に、醗酵室は当時のワイン醸造方式を建築自体が物語る貴重な建造物として、産業技術史上の重要性が認められています。各階に配された設備構成によって、ぶどうの受け入れから発酵、熟成へと続く工程の流れを今なお建物のなかで読み取ることができ、明治期の本格的ワイン造りの方法を伝える生きた資料となっているのです。

醗酵室の見どころ ― 神谷傳兵衛記念館として息づく心臓部

3棟のなかでもっとも深く体感できるのが、現在「神谷傳兵衛記念館」として一般公開されている醗酵室です。建築面積はおよそ436.75平方メートル、地上2階・地下1階の煉瓦造で、鉄板瓦葺き。西面と南面には突出部が附属し、全体としてどっしりとした風格を醸し出しています。

重力を活かした垂直構造の合理性

建物のなかへ一歩踏み入れると、まず感じるのはひんやりとした空気と、樽香のかすかな残り香です。醗酵室は、上層階で受け入れた葡萄を破砕し、発酵タンク、そして貯蔵へと重力で順送りに移していく垂直方向の動線で設計されました。ポンプによる移送を最小限に抑え、雑菌混入のリスクを下げるこの考え方は、現代の醸造でも通じる合理性をすでに具えています。

26基の大樽が並ぶ圧巻の空間

1階から地下1階にかけては、全26基の巨大な木製発酵樽がずらりと並び、訪れる人を圧倒します。樽の一部は階を貫いて据え付けられ、上から下まで連続する空間構成が見どころです。地下室の重厚で薄暗い雰囲気は、かつての醸造場の臨場感をそのまま伝え、産業遺産ファンや写真家にも人気のスポットとなっています。

記念館の展示

2階の記念館部分では、神谷傳兵衛の生涯、日本ワイン黎明期の歩み、フランスから直輸入した当時の醸造機械、そして牛久醸造場のワインがヨーロッパや北米の博覧会で受賞した数々のメダルが展示されています。館内の写真撮影は自由で、見学料も無料です。

貯蔵庫の見どころ ― ワインを育んだ静かな煉瓦の館

醗酵室の北側に接続して建つ貯蔵庫は、建築面積約404.58平方メートルの煉瓦造1階建て、鉄板瓦葺き(内装を除く)。3棟のなかでもっとも横長の建物で、樽のなかでワインがじっくりと熟成するために、年間を通じて温度が安定する空間として設計されました。一般公開は通常行われていませんが、過去にはレストランとして活用されてきた経緯があり、明治期に日本最初の本格的ワインを抱いた壁のなかで食事を楽しむことができる時期もあります。

外から眺める貯蔵庫の長い煉瓦のファサードは、縦長の細い窓と醗酵室西側との接続部分とが連なり、シャトーカミヤらしい「シャトー(城)」のシルエットを形作っています。敷地内でもっとも人気の写真スポットのひとつです。

設計者・岡田時太郎

この醸造場の設計を手掛けたのは建築家の岡田時太郎です。岡田は東京駅の設計で知られる辰野金吾の門下生で、長野県軽井沢の三笠ホテル(重要文化財)の設計者としても知られています。シャトーカミヤにおいて岡田が示したのは、輸入された洋風意匠と、ワイン醸造という産業上の機能要件とを高い水準で両立させる手腕です。事務室の意匠的な時計塔や装飾的な煉瓦積みは「シャトー」の名にふさわしい風格を演出する一方で、醗酵室や貯蔵庫は実用性を優先した素直な構成。それでいて3棟は明らかにひとつの調和した群として設計されており、明治建築の到達点を示す傑作と評されています。

東日本大震災からの復旧と継承

2011(平成23)年3月の東日本大震災では、3棟の煉瓦壁にも被害がありました。その後、文化財建造物の保存技術を専門とする公益財団法人の監修のもとで復旧工事が行われ、煉瓦躯体を補強しつつ、表面は当時のままの姿が保たれるよう細やかな配慮がなされました。100年を超える産業遺産が、現役の施設として今も活用され続ける――その背景には、こうした地道な保存の営みがあります。

見学情報

シャトーカミヤ(現:牛久シャトー)の敷地は無料で散策することができます。庭園や赤煉瓦のファサードを楽しみながら、神谷傳兵衛記念館(旧醗酵室)を訪ね、ショップでお土産を選び、レストランで食事をすることも可能です。場内ではオリジナルのワインやクラフトビールも販売されており、試飲も楽しめます。

アクセス

JR常磐線・牛久駅東口から徒歩約9分。東京・上野駅からは特急利用でおよそ50分の距離です。お車の場合は、圏央道つくば牛久ICが最寄りで、敷地隣接の有料駐車場「タイムズ牛久中央」を利用できます。

周辺観光

牛久シャトーを起点に、周辺には1日たっぷり楽しめる魅力的なスポットが揃っています。世界一の高さを誇るブロンズ立像「牛久大仏」(地上120m、ギネス世界記録登録)はクルマで約15分。河童伝説で知られる「牛久沼」と、その畔に建つ日本画家・小川芋銭のアトリエ「雲魚亭」(土日祝公開)も、近代日本の文化に触れたい方におすすめです。ショッピングなら「あみプレミアム・アウトレット」、自然散策なら「牛久自然観察の森」もあり、文化財見学の前後に組み合わせれば充実した1日になります。

Q&A

Q醗酵室と貯蔵庫の内部は見学できますか?
A醗酵室は「神谷傳兵衛記念館」として一般公開されており、通常10:00〜17:00のあいだ無料で見学できます。貯蔵庫は通常は内部の自由見学はできませんが、外観は近くからじっくり鑑賞でき、過去にはレストランとして利用されていた時期もあります。最新の状況は牛久シャトー公式サイトでご確認ください。
Qなぜ牛久が日本初のシャトー建設地に選ばれたのですか?
A理由は3つあります。第一に、女化原の土壌と気候がボルドー地方に似ており、傳蔵が学んできたフランス産葡萄の栽培に適していたこと。第二に、まとまった広さの土地を取得できたこと。第三に、1896年に開通した日本鉄道(現JR常磐線)牛久駅が近く、東京市場への輸送インフラを確保できたことです。
Q「シャトー」とはどういう意味ですか?
Aフランス・ボルドーでは、葡萄栽培から瓶詰めまでを自社の敷地内で一貫して行う醸造場にのみ「シャトー」の称号が認められます。シャトーカミヤはその条件を満たす日本初の施設として誕生し、事務室の正面に「CHATEAU D. KAMIYA」の文字が刻まれました。
Q建物見学のほかに楽しめることはありますか?
A敷地内には、牛久シャトーで醸造したワインと地元クラフトビールを楽しめるレストランや、屋外のバーベキューガーデンがあります。ショップでは牛久シャトーオリジナルのワイン、クラフトビール、ワインケーキなどに加え、茨城県内の特産品も購入できます。
Q日本遺産との関係は?
A2020(令和2)年6月、茨城県牛久市と山梨県甲州市が共同申請したストーリー「日本ワイン140年史~国産ブドウで醸造する和文化の結晶~」が日本遺産に認定されました。シャトーカミヤ旧醸造場施設3棟は、宮光園(甲州市)とともに、このストーリーを構成する中心的な文化財として位置付けられています。

基本情報

名称 シャトーカミヤ旧醸造場施設 貯蔵庫・醗酵室(重要文化財)
所在地 茨城県牛久市中央三丁目20番地4
所有 オエノンホールディングス株式会社
設計 岡田時太郎
竣工 1903(明治36)年9月
指定 国指定重要文化財(2008年6月9日指定)/近代化産業遺産(2007年)/日本遺産構成文化財(2020年)
醗酵室 煉瓦造、建築面積約436.75㎡、地上2階地下1階建、鉄板瓦、西面及び南面突出部附属
貯蔵庫 煉瓦造、建築面積約404.58㎡、1階建、鉄板瓦(内装を除く)、北面醗酵室に接続
アクセス JR常磐線 牛久駅東口より徒歩約9分
入場料 敷地内および神谷傳兵衛記念館(旧醗酵室の内部)の見学は無料

参考文献

牛久シャトー公式サイト「牛久シャトーについて」(オエノンホールディングス株式会社)
https://www.oenon.jp/ushiku-chateau/history/about/
文化遺産オンライン「シャトーカミヤ旧醸造場施設 貯蔵庫」
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/149411
文化遺産オンライン「シャトーカミヤ旧醸造場施設 醗酵室」
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/196870
茨城県教育委員会「シャトーカミヤ旧醸造場施設 3棟」
https://kyoiku.pref.ibaraki.jp/bunkazai/kuni-30/
日本遺産ポータルサイト「シャトーカミヤ旧醸造場施設3棟(牛久シャトー)」
https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/culturalproperties/result/4837/
牛久市「重要文化財(建造物)シャトーカミヤ旧醸造場施設保存活用計画」(PDF)
https://www.city.ushiku.lg.jp/data/doc/1742387507_doc_378_0.pdf
神谷傳兵衛の足跡 | 牛久シャトー公式サイト
https://www.oenon.jp/ushiku-chateau/history/chateaukamiya/
Wikipedia「牛久シャトー」
https://ja.wikipedia.org/wiki/牛久シャトー

最終更新日: 2026.04.29

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