参道の脇に南を向いて建つ塔
来迎院多宝塔は、茨城県龍ケ崎市馴馬町の天台宗寺院・来迎院の境内に建つ室町時代後期の多宝塔で、平成18年(2006年)12月19日に重要文化財に指定された。
寺地は稲敷台地の東端、市内北西から延びる舌状の高まりの裾にある。境内の西奥に本堂が東を向いて建ち、東側の前面道路から本堂正面へ向かう参道の北側に、この塔が南面して建つ。門を入って本堂へ歩き出すと、数歩のうちに右手にあらわれる。
来迎院の始まりは永正14年(1517年)にさかのぼると伝える。常陸国河内郡の逢善寺(現在の稲敷市小野)がこの地に草堂を開いたのが起こりで、弘治2年(1556年)に延暦寺から覚仙上人が第一世として入山し、境内が整えられた。その後の経緯を伝える史料は多くないが、江戸時代後期の普請にあたって東叡山寛永寺の援助を受けた記録が残っており、寛永寺との関係がうかがえる。
塔そのものに施主の名が残っている。屋根の上に立つ相輪の刻銘に、当地の守護で江戸崎城主であった土岐治英が弘治2年の造営を支援したことが記されている。文化庁はこの年を建立年としている。一方、茨城県教育委員会は同じ銘文を別に読む。相輪の先端の宝珠に「希代廟塔修繕之為檀越」とあり、「修繕」の語を重く見れば、塔は土岐治英が費用を出す以前から建っていたことになる、という見方である。どちらの読みも公表されており、決着はついていない。確実に言えるのは、弘治2年に手が入ったという一点である。
大工の名も分かっている。普請に関わったのは、現在のつくば市周辺を拠点に活動していた前嶋大工である。同じ一門の仕事には西蓮寺仁王門(天文12年/1543年)や薬王院本堂(天文20年/1551年)があり、来迎院多宝塔の細部意匠はそのいずれとも共通する形をとる。
国の指定を受けた理由
下層を方形、上層を円形とする多宝塔は、西日本では珍しくない形式だが、北へ行くほど数が減る。中世にさかのぼる遺構となると関東以北にはごくわずかしか残っておらず、その希少さが評価の中心にある。平成18年(2006年)の指定にあたって適用された基準は「流派的又は地方的特色において顕著なもの」であった。
指定が拾い上げているのは、ある時点の地方大工の手つきである。軸部の構成は和様を基調としながら、木鼻の彫りや細かな繰形には禅宗様の語彙が入り込む。16世紀の中央ではありふれた折衷だが、それを北関東の在地工房が施主と年代の分かる形でやってのけた例となると、話は別になる。
釣り合いも効いている。規模は大きくないが、方形の下層と円形の上層の取り合いに無理がなく、二段に積んだという印象を与えない。国指定以前から茨城県の指定有形文化財として保護されており、平成15年(2003年)に来迎院が刊行した保存修理工事報告書が、現在も部材について最も詳しい記録である。
見どころ
まず下層を見たい。方三間で、内外とも円柱を用い、四周に切目縁を廻す。各面の中央間は両開きの桟唐戸、その両脇間は二重の板壁で、外側を横板張、内側を縦板張とする。組物は一手だけ持ち出す出組、その上の軒は二軒繁垂木で、細い垂木が密に並ぶ。
内部では来迎柱が入側の柱筋から21センチメートルだけ後退して立ち、その前に須弥壇が据えられている。内部は弁柄塗。天井は場所によって性格が変わり、中央の方一間だけ鏡天井を張り、その周囲は化粧屋根裏として梁組と垂木をそのまま見せる。構造がそのまま意匠になっている。
塔のまわりを一周する価値があるのは上層である。下層の地垂木の上に渡した柱盤に、12本の円柱が円形に立ち、貫・長押・台輪で固められる。軸部の周囲には腰組で支えた縁が廻り、高欄が付く。縁の下で方形から円形へ移る部分は漆喰の亀腹がなだらかに受けている。組物は放射状に出る四手先で、円形平面である以上、一組ごとに角度がわずかずつ違う。その上にまた二軒繁垂木が廻り、相輪が立つ。
屋根は上下層ともこけら葺、薄い木の板を重ねて葺いたものである。ただし、これは手つかずで残ったものではない。安政7年(1860年)には上層の軒廻りを解体する修理と屋根の葺替えが行われ、昭和36年(1961年)にはこけら葺が鉄板葺に改められている。平成10年から13年(1998年から2001年)の保存修理で後世の改変が復され、現在の姿になった。そう知ってから軒先を見上げると、板葺特有のやわらかく毛羽立った縁が、残ったものではなく取り戻されたものとして見えてくる。
来迎院多宝塔の見学方法
来迎院の境内は開かれており、拝観料はかからない。来迎院多宝塔の外観は日中であれば自由に見学できる。拝観時間の定めは公表されていない。内部は非公開で、上層に上がることもできない。前節で触れた鏡天井や須弥壇、後退した来迎柱は、修理報告書の中でしか見られない部分である。
塔が参道に向かって南を向いているため、正面に光が回るのは午前遅くから午後にかけてである。境内での手持ちの撮影は個人の記録の範囲であれば通常問題にならないが、ここは檀家の墓地を抱える現役の寺院なので、三脚を立てる場合や公表を前提とする場合は寺務所に一声かけたい。
行き方は分かりやすい。関東鉄道竜ヶ崎線の終点である竜ヶ崎駅が南東におよそ徒歩20分の位置にあり、同線はJR常磐線と接続している。龍ケ崎市が運行するコミュニティバスも寺の近くを通るが、便数は多くないので、市の公式サイトで時刻を確かめてから向かうとよい。建物についての問い合わせは寺が受けている。
Q&A
- 来迎院多宝塔は誰でも見学できますか。拝観料はかかりますか。
- 見学できます。境内は開かれており拝観料もかからないため、日中であれば外観を自由に眺められます。境内の拝観時間は公表されていません。
- 来迎院多宝塔の内部は公開されていますか。
- 公開されていません。内部および上層には立ち入れません。鏡天井や須弥壇、後退して立つ来迎柱は保存修理工事報告書に記録されていますが、現地で見ることはできません。
- 来迎院多宝塔はいつ建てられたのですか。
- 相輪の刻銘に、弘治2年(1556年)に江戸崎城主・土岐治英が施主となったことが記されています。文化庁はこの年を建立年としますが、茨城県教育委員会は銘文を修繕の記録と読み、造営はさらにさかのぼるとの見方を示しています。
- 来迎院多宝塔へ電車で行くにはどうすればよいですか。
- 関東鉄道竜ヶ崎線の終点・竜ヶ崎駅から北西へ徒歩20分ほどです。龍ケ崎市のコミュニティバスも近くを通りますが、便数は多くありません。
- 来迎院多宝塔は写真撮影できますか。
- 境内での手持ち撮影は、個人で楽しむ範囲であれば通常認められています。信仰の場であり墓地も含むため、三脚の使用や公表を前提とする撮影は事前に寺務所へご確認ください。
基本データ
| 名称 | 来迎院多宝塔(らいごういんたほうとう) |
|---|---|
| 所在地 | 茨城県龍ケ崎市馴馬町 |
| 指定区分 | 重要文化財 |
| 指定年 | 平成18年(2006年)12月19日指定 |
| 員数 | 1基 |
| 寸法 | 三間多宝塔、下層は方形・上層は円形、こけら葺。総高は公表されていない |
| 所有者 | 来迎院 |
| 公開状況 | 境内は拝観無料で開放。外観は日中自由に見学可。内部は非公開 |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース「来迎院多宝塔」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/00004146
- 茨城県教育委員会 いばらきの文化財「来迎院多宝塔」
- https://kyoiku.pref.ibaraki.jp/bunkazai/kuni-29/
- 龍ケ崎市 龍ケ崎の文化財「多宝塔」
- https://www.city.ryugasaki.ibaraki.jp/kanko/bunka/bunkazai/2013081500749.html
最終更新日: 2026.09.06