富谷山の中腹に建つ室町の塔

小山寺三重塔は、茨城県桜川市富谷にある寛正6年(1465年)建立の三重塔で、明治39年(1906年)4月に国の重要文化財に指定された。筑波山地の北側に位置する標高約365メートルの富谷山、その中腹に開かれた平場に立つ。

小山寺は天台宗の寺院で、山号は施無畏山と伝える。ただし地元でその名を口にする人はほとんどいない。通り名は本尊の十一面観音にちなむ富谷観音で、道を尋ねればその呼び方で返ってくる。

参道入口から仁王門まで、杉木立の下の石段を十分ほど上る。塔は前触れらしい前触れもなく現れる。想像していたよりも小ぶりだ、という反応をする人が多い。木の板を重ねた三層の屋根、初層は三間四方、鉄と青銅の相輪が細く樹冠へ伸びる。大きな建物ではない。ただ、五世紀半のあいだこの斜面に立ち続けている。

相輪の銘が伝える人名

文化庁の指定データでは、員数1基、構造及び形式等は「三間三重塔婆、とち葺」。とち葺は厚く割った木の板を重ねる屋根の葺き方を指す。年代は寛正6年、西暦1465年、室町中期にあたる。重要文化財指定は明治39年4月14日、指定番号00358で、これは国内の建造物指定としてきわめて早い時期に属する。当時の区分は明治30年制定の古社寺保存法にもとづく特別保護建造物であり、寺側は現在も明治39年の認定をその旧称で説明している。

屋根上の相輪に刻まれた銘が、造営に関わった人名を残している。大旦那は下妻城主の多賀谷朝経。工事にあたったのは大工の宗阿弥家吉と、その嫡子である。十五世紀の地方建築で棟梁の名が判明する例は多くない。施主と工匠の双方が一つの銘に残っていることが、地域的な希少性とは別の水準でこの塔を建築史の資料たらしめている。

様式は和様を基本とし、細部に禅宗様を加味する。平安期までに成熟した在来の様式に、十三世紀に禅宗とともに入った大陸系の意匠を混ぜる。室町中期にはそれ自体は珍しくない構成だが、ここで選ばれた具体的な手はよく見ておきたい。組物のあいだに置かれた蟇股の透彫、内部の須弥壇をめぐる高欄の親柱に載る逆蓮頭。細部に手を入れた場所がはっきりしている。

同年代の塔は東日本にほとんど残らない。並べて挙げられるのは栃木県芳賀郡益子町の西明寺三重塔で、寺の由緒はこの塔を関東以北で最古の三重塔と説明している。ただしこれは現存する遺構のなかでの評価であって完全な記録にもとづくものではないから、有力な伝えとして受け取っておくのがよい。

延元元年の木組と、境内の歩き方

昭和63年(1988年)から3年をかけて、塔は解体修理を受けた。日本の木造建築が受ける保存工事のうち最も踏み込んだ形式で、すべての仕口を確認できる唯一の方法でもある。この工事のさなか、延元元年(1336年)の墨書をもつ木組が見つかった。寺ではこれを、寛正の造営以前にすでに塔が建っていた証拠と受け止めており、由緒では初期のものを天平時代にさかのぼらせている。木組そのものが直接に示す事実はもう少し限定的だ。この場所には現在の建物より一世紀以上古い部材が用いられており、寛正6年の工事は新造ではなく再建だった、という点である。

境内には塔以外の見どころもある。本堂、仁王門、鐘楼はいずれも茨城県指定文化財で、木造十一面観音坐像をはじめとする彫刻数点も県指定を受けている。堂の近くには樹齢七百年以上と伝える大杉が立つ。寺の上手の山腹は富谷ふれあい公園として整備され、山頂の展望台からは旧岩瀬の町並みの向こうに、晴れた日には日光連山までが見える。

境内は参拝でき、塔は外観を見る形になる。内部は通常公開されていないので、近くで見たい場合は事前に寺へ問い合わせるとよい。外観の撮影に制限はないが、周囲の樹木が建物に迫っているため、抜けた画角を探すには少し粘る必要がある。上の山道沿いに駐車場があり、JR水戸線岩瀬駅からはタクシーが利用できる。仁王門から参道入口まで下るのに十分ほどかかる点は、迎えの車を頼む場合に頭に入れておきたい。紅葉は11月下旬から12月上旬。一年でいちばん人の多い時期である。

Q&A

Q小山寺三重塔はいつ、誰によって建てられたのですか。
A寛正6年(1465年)、室町時代中期の建立です。相輪の銘によれば、下妻城主の多賀谷朝経が大旦那となり、大工の宗阿弥家吉とその嫡子が工事にあたりました。
Q小山寺三重塔は内部を見学できますか。
A内部は通常公開されていません。境内から外観を拝観する形になります。外観の撮影に制限はありません。内部の拝観や特別公開を希望される場合は、事前に寺へお問い合わせください。
Q小山寺三重塔へのアクセス方法を教えてください。
A桜川市富谷の富谷山中腹にあり、JR水戸線の岩瀬駅からタクシーが利用できます。車の場合は山道沿いの駐車場が使えます。参道入口と仁王門のあいだは石段で徒歩十分ほどかかります。
Q小山寺三重塔はなぜ重要とされているのですか。
A室町時代の塔婆は東日本にほとんど残っておらず、同時代の遺構としては栃木県益子町の西明寺三重塔と並び称されます。加えて相輪の銘に施主と大工の双方の名が残っており、十五世紀の地方建築としては例の少ない記録性を備えています。
Q小山寺には三重塔のほかに何が見られますか。
A本堂、仁王門、鐘楼が茨城県指定文化財で、木造十一面観音坐像などの彫刻も県指定を受けています。境内には樹齢七百年以上と伝える大杉があり、寺の上手はふれあい公園として整備され、山頂の展望台から周辺の眺望が得られます。

基本情報

名称小山寺三重塔(おやまじさんじゅうのとう)
所在地茨城県桜川市富谷
指定区分重要文化財(建造物) 指定番号00358
指定年明治39年(1906年)4月14日
員数1基
寸法三間三重塔婆、とち葺 寛正6年(1465年)建立
所有者小山寺
公開状況境内は参拝可。塔は外観のみ拝観、内部は通常非公開

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁) 小山寺三重塔
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/259
文化遺産オンライン 小山寺三重塔
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/144325
桜川市 国指定文化財 小山寺三重塔
https://www.city.sakuragawa.lg.jp/education/bunkazai/city_bunkazai/kuni_bunkazai/page000490.html
富谷観音 小山寺 境内のご案内
https://oyamaji.sakura.ne.jp/contents/precincts/
観光いばらき 富谷観音 小山寺
https://www.ibarakiguide.jp/spot.php?mode=detail&code=719

最終更新日: 2026.08.06