城下のへりに残る農家

金沢の旧市域を少し外れ、浅野川に近い浅野本町まで足を延ばすと、建物の表情が変わってくる。隙間なく続いていた町家の列が途切れ、もっと幅広く、どっしりとした構えの家が現れる。浅永家住宅主屋は、そうして残った一軒である。瓦葺の切妻屋根を載せた木造二階建で、正面を東に向け、朝の光を受けて建つ農家だ。

建てられたのは江戸末期、おおよそ天保から慶応にかけての時期にあたる。その後、明治の中ごろに大きく手を入れる改造が行われた。建築面積は約264平方メートル。一戸の住宅としては広い。

この家の値打ちは、どこか一か所の名高い意匠にあるのではない。市街が外へ外へと広がっていくなかで、その都市に取り囲まれながら、田園の住まいの形をいまに残している、その残り方そのものにある。

家の造り

間取りには古い理屈が通っている。構造の芯となる身舎の足もとを、下屋と呼ばれる差し掛けの屋根が取り巻き、軒を外へ張り出して壁面を雨雪から守る。出入りは長辺側ではなく、屋根の妻側から入る。妻入と呼ばれる形で、北陸の大型の農家がこのましく用いた配置である。

内部は、表側を広いニワが占める。これは庭ではなく、土を突き固めた土間の作業場だ。縄をなったり、穀物をあつかったり、道具の手入れをしたりと、雪に閉ざされる長い冬のあいだ、農家の暮らしはこの土間を中心に回った。その奥に、ひときわ広い床上部が続く。冷たい地面から床を上げた、起き臥しの空間である。

見上げれば、架構が大工の意気込みを語っている。差物と呼ぶ太い水平材が柱を貫いて骨組みを締め上げ、大梁が二階と屋根の重みを受ける。町家ではめったに試みられない、骨組みをそのまま見せた豪壮な室内だ。

通りに向いた正面は、それ自体が静かなひとつの構成になっている。白い漆喰の壁が、露出した柱や小屋組の濃い木肌と向き合い、淡い塗り壁と古びた木が対照をなす。周囲の建物のなかで、この家がきわだって見えるのは、その対比のためである。

「指定」ではなく「登録」ということ

浅永家住宅主屋は、登録有形文化財である。この言いまわしには意味がある。日本は歴史的な建物を二つの道筋で守っており、両者は取り違えられやすい。

古くからの、はるかに選び抜かれた道が「指定」だ。重要文化財や国宝はこちらから生まれ、厳しい規制と、修理への手厚い支援がともなう。もう一方の「登録」は新しい仕組みで、平成八年(1996年)に始まった。指定の高いハードルは越えないものの、日々の景観をかたちづくっている、はるかに数の多い歴史的建物を受け止めるために設けられた。登録は所有者に求めるものが少なく、自由を多く残す。家族はその家に住みつづけ、暮らしに合わせて手を加えてよい。大きく改める前に届け出ればよく、一つ一つに許可を求める必要はない。

この家が国の登録簿に載ったのは平成16年(2004年)3月2日、第41回の登録においてであった。登録番号は17-0095。三つの登録基準のうち、第一の基準、すなわち国土の歴史的景観に寄与しているものとして登録された。言いかえれば、近代の市街が覆いかぶさる前、金沢周辺の土地がどのような姿で、どのように営まれていたか。その記憶をこの農家が支えていることを、登録は認めたのである。

まわりとともに見る

訪ねる前に、ひとつ押さえておきたいことがある。ここは人が住んでいる個人の住宅であり、一般には公開されていない。見学ツアーもなければ開館時間もなく、なかを歩くことはできない。味わえるのは、町並みの一部としての外観と、いまも古い建物が点在する一帯のなかでこの家が果たす役割である。

その一帯こそが見どころだ。浅野本町は浅野川に近い。金沢の中心を挟む二本の川のうち、おだやかなほうの流れである。この川沿いを行けば、金沢でもとりわけ情緒の深い界隈へとまっすぐつながっていく。少し歩けばひがし茶屋街に出る。金沢三茶屋街のうち最も大きな旧茶屋町で、出格子の茶屋が軒を連ね、そのひとつ「志摩」は茶屋建築の資料館として内部を公開している。

川を渡れば主計町だ。木の正面と石段の小路がつづく、川べりのせまやかな一画で、古くから文学作品の舞台になってきた。浅野川に架かる三つの橋はそれぞれに趣を異にし、なかでも浅野川大橋は、それ自体が登録有形文化財でもある。川上の農家とは、よく似合う取り合わせだろう。あわせて眺めれば、この界隈が幾世紀にもわたってどう暮らされてきたか、その輪郭が浮かんでくる。

Q&A

Q浅永家住宅主屋の中に入れますか。
A入れません。人が住む個人の住宅で、一般には公開されていません。外観は公道から眺められますが、住人のプライバシーに配慮し、敷地内には立ち入らないでください。
Q登録有形文化財と指定文化財は何が違うのですか。
A指定は、重要文化財や国宝を生む古くからの選別的な制度で、規制が厳しいのが特徴です。登録は1996年に設けられた新しい仕組みで、より幅広い歴史的建物を、ゆるやかな規制のもとで守ります。所有者が使いつづけ、手を加えながら価値を保てる点が大きく異なります。
Q建物はどのくらい古いのですか。
A主屋の建築は江戸末期、おおよそ1830年から1867年にかけてとされ、明治中期(1868〜1911年)に大きな改造を受けています。国の登録簿に載ったのは2004年です。
Q代わりに近くで何を見ればよいですか。
A浅野川、ひがし茶屋街と主計町の旧茶屋町、そして川に架かる歴史ある橋が、いずれも徒歩圏にあり、自由に訪ねられます。ひがし茶屋街の「志摩」は内部を見学できます。
Q農家がなぜ守る価値があるとされたのですか。
Aこの家のような大型の妻入農家は、とりわけ拡大する都市のへりでは少なくなっています。豪壮な木の架構と、いまに残る土間の作業場は、この地方で農家がどう建て、どう暮らしたかを記録しています。歴史的景観に寄与するものとして登録された理由がここにあります。

基本情報

名称浅永家住宅主屋(あさながけじゅうたくしゅおく)
所在地石川県金沢市浅野本町一丁目211
区分登録有形文化財(建造物)
登録2004年(平成16年)3月2日登録(同年3月29日告示)/第41回登録/登録番号 17-0095
登録基準国土の歴史的景観に寄与しているもの
員数1棟
年代江戸末期(1830〜1867年)、明治中期(1868〜1911年)改造
構造木造2階建、瓦葺、建築面積約264平方メートル
公開状況個人住宅のため非公開。外観は公道から見学可

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)「浅永家住宅主屋」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00003965
金沢市の登録有形文化財一覧(金沢市公式ホームページ)
https://www4.city.kanazawa.lg.jp/soshikikarasagasu/bunkazaihogoka/gyomuannai/3/1/1/4291.html
ひがし茶屋街(金沢市観光協会)
https://www.kanazawa-kankoukyoukai.or.jp/spot/detail_10212.html

最終更新日: 2026.06.20