旧藤村家住宅(田村家住宅)離れとは

旧藤村家住宅(田村家住宅)離れは、石川県野々市市本町2丁目の旧北国街道沿いの屋敷に残る明治前期(1868〜1882年)の木造平屋建の建物で、令和3年(2021年)に国の登録有形文化財に登録された。

主屋の南西に建ち、建築面積は124平方メートル。屋根は切妻造の桟瓦葺で、北側に下屋を下ろし、南側には土縁を設けている。明治11年(1878年)に明治天皇が北陸を巡幸した際、藤村家は休憩所にあてられた。文化庁の解説によれば、この離れはそのとき御小休所となった旧主屋の一部と伝えられている。

昭和12年(1937年)に田村家が主屋を建て替えたとき、離れは取り壊されずに残された。旧藤村家住宅の中で、屋敷の由緒にもっとも近い建物がこの離れである。

登録の理由と価値

登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」。旧藤村家住宅(田村家住宅)離れが評価されるのは、明治前期の上質な座敷を残していることに加え、天皇の巡幸という町の出来事と結びついた建物だからである。

野々市市は、通りに面した表門とこの離れが明治11年当時の姿を残していると紹介している。巡幸の休憩所に選ばれた家の座敷が、建て替えを経ても屋敷の中に保たれた例は多くない。昭和の主屋と並べて残したことで、旧藤村家住宅は二つの世代の住まいを同じ敷地で見比べられる屋敷になった。

見どころ

間取りは簡潔である。北西を玄関とし、北側を幅の広い板廊下、南側を12畳半の座敷と、それに続く続き間とする。広い板廊下を北に通し、座敷を日当たりのよい南の庭へ向ける構成で、客を通す部屋が屋敷の南面に並ぶ。

12畳半という広さは、野々市市も大きな部屋として触れている。市はこの座敷を仏間とも記しており、巡幸の折には家でいちばん格の高い部屋が使われたと考えられる。

細部でとりわけ目を引くのが、座敷境の彫刻欄間で、富士山を題材に彫り出されている。部屋と部屋の境に掲げる欄間は住まいの格を示す場所で、文化庁も野々市市も、この欄間を上質な設えの代表として挙げている。

見学方法

旧藤村家住宅(田村家住宅)離れは個人の住宅の一部で、内部は公開されていない。富士を彫った欄間や12畳半の座敷を一般の人が見る機会は設けられていない。

離れは主屋の南西、敷地の内側にあり、西辺と南辺を囲む土塀の内に入るため、道路からはほとんど見えない。文化庁データベースに北面の写真が載っているので、外観はそちらで確かめられる。屋敷への行き方と見学の条件は、旧藤村家住宅(田村家住宅)のページにまとめてある。

Q&A

Q旧藤村家住宅(田村家住宅)離れは明治天皇とどのような関係がありますか?
A明治11年(1878年)の北陸巡幸で藤村家は休憩所にあてられました。離れは、そのとき御小休所となった旧主屋の一部と伝えられています。
Q旧藤村家住宅(田村家住宅)離れはいつの建物ですか?
A明治前期(1868〜1882年)の建物です。昭和12年(1937年)に主屋が建て替えられた際も取り壊されずに残り、令和3年(2021年)に登録有形文化財となりました。
Q旧藤村家住宅(田村家住宅)離れの欄間はどのようなものですか?
A座敷境に彫刻欄間があり、富士山を題材にしています。文化庁と野々市市はいずれも、この欄間を上質な設えの例に挙げています。
Q旧藤村家住宅(田村家住宅)離れの中は見学できますか?
A見学できません。個人の住宅で内部は非公開です。敷地の内側に建つため、道路からもほとんど見えません。
Q旧藤村家住宅(田村家住宅)離れはなぜ登録有形文化財になったのですか?
A登録基準のうち「国土の歴史的景観に寄与しているもの」にあたるとして、令和3年(2021年)に屋敷の8件がそろって登録されました。

基本情報

名称旧藤村家住宅(田村家住宅)離れ
所在地石川県野々市市本町2丁目133
指定区分登録有形文化財(建造物)
指定年令和3年(2021年)2月26日登録
員数1棟
寸法木造平屋建、瓦葺、建築面積124平方メートル
所有者個人
公開状況非公開(敷地の内側にあり、道路からはほとんど見えない)

参考文献

国指定文化財等データベース:旧藤村家住宅(田村家住宅)離れ
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00013709
野々市市:国指定文化財(国登録有形文化財 旧藤村家住宅(田村家住宅))
https://www.city.nonoichi.lg.jp/soshiki/37/925.html
野々市市:旧藤村家住宅(田村家住宅)の登録有形文化財の登録について(報道発表資料PDF)
https://www.city.nonoichi.lg.jp/uploaded/attachment/21766.pdf

最終更新日: 2026.09.24