本丸附段に残る二重二階の多聞櫓
金沢城三十間長屋は、石川県金沢市丸の内71番地の金沢城本丸附段に建つ二重二階の多聞櫓で、江戸時代末期に再建され、昭和32年(1957年)6月18日に国の重要文化財に指定された。
城郭では、石垣上に長く延びて塀と倉庫を兼ねる建物を多聞櫓と呼ぶ。金沢城ではこれを「長屋」と称した。町屋の長屋と同じ語である。三十間という名は長さに由来するが、実際の長さは二十六間半、約48メートルで、名のほうがやや大きい。名称は場所に付き、それを名付けた建物より長く生き残る。
この位置には江戸時代初期にも長屋が建っていたが、宝暦9年(1759年)の大火で城の大半とともに焼失した。石垣の土台だけが百年近く空のまま残されたのち、現在の建物が建てられている。文化庁のデータベースは年代を万延元年(1860年)と記載する。一方、石川県と金沢市はいずれも安政5年(1858年)とする。現地の説明や案内書ではどちらの年も見かける。この食い違いは公開情報の上では整理されていない。
年次はともかく、再建の目的は火薬庫であった。それ以前、この場所には食器類が納められていたと伝わる。器から火薬へ。この転換は、前田家が一八五〇年代の情勢をどう読んでいたかを示している。
金沢城でこの一棟が持つ意味
金沢城は加賀百万石、すなわち徳川将軍家を除けば最大の石高を有した前田家の居城である。城は繰り返し焼けた。明治14年(1881年)の火災で残存部分の大半が失われ、江戸期の建物としては石川門、鶴丸倉庫、そしてこの三十間長屋の三棟だけが焼失を免れた。
指定の理由は、この一行に尽きる。現在の園内で目を引く菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓・鼠多門は、文献にもとづき伝統技法で建てられた入念な復元建築である。三十間長屋は復元ではない。実物であり、金沢城に現存する唯一の長屋建築でもある。
指定番号は01408。構造は二重二階の多聞櫓、南面入母屋造、北面切妻造、鉛瓦葺と記録される。現存例のなかで、この長さは実際に珍しい。
鉛瓦について一言。金沢城の建物はこの瓦で葺かれ、経年した表面は淡い灰白色になる。遠目には解け残った雪のように見える。籠城の際に鋳潰して鉄砲の弾にするための備蓄だった、という説が根強く語られてきた。実際的な説明としては、北陸の冬の凍結と融解の繰り返しに、土瓦より鉛瓦のほうが耐えるという点が挙げられる。両説とも流布しているが、後者のほうが妥当と考えられている。
壁の意匠は金沢城に共通する組み合わせを踏襲する。上部は白の塗籠壁、腰には海鼠壁。方形の平瓦を斜めに張り、目地に漆喰を蒲鉾状に盛り上げる仕上げで、石川門にも同じ手法が用いられている。二階の腰にも鉛瓦葺の庇が付く。
見どころと訪問の実際
この建物は見落としやすい。本丸附段の樹林に囲まれ、園内の主要動線からは外れた位置にある。復元櫓群を目指す来園者は、三十間長屋へ向かう小径の前をそのまま通り過ぎていくことが多い。それも今のこの建物の性格の一部だろう。石川門は人を集める。こちらは集めない。
間違った側から近づくと、裏側を見ることになる。入口は天守のあった方向、つまり城内側に向いており、そちらが背面にあたる。表は石垣側の長い立面で、城下を見下ろしていた面である。意匠はそちらに集まる。背面には出窓が三箇所。中央の出窓は基礎石積みの上に載り、屋根は入母屋造。両脇の出窓は、石川門の出窓と同じ唐破風の屋根とする。回り込んで見たい。
内部公開は季節限定である。金沢城公園では重要文化財建造物の特別公開を実施しており、石川門と三十間長屋が対象となる。4月から11月までの土曜・日曜と行楽期、9時30分から15時30分まで。内部にはボランティアガイドが常駐する。令和8年度(2026年度)の公開期間は4月1日から11月30日まで。土蔵(鶴丸倉庫)の公開は当面見合わせとなっている。
内部は急な階段、段差、そして暗さを覚悟したい。雨の日の二階は相当に暗いという来訪者の証言がある。照明のない十九世紀の火薬庫であって、博物館の展示室ではない。暗さは手落ちではなく、建物そのものの条件である。階段に不安のある方は外観の見学にとどめる判断も選択肢になる。
金沢城公園は7時開園、園内への入場は無料で、復元櫓群の観覧は別料金となる。金沢駅からバスで「兼六園下・金沢城」バス停まで約10分、そこから徒歩数分。駅から歩けば35分ほどかかる。兼六園は隣接している。
屋外の撮影に制限はない。鉛瓦は、表面が灰色に平板化する正午より、午後遅くの斜光で石垣側の立面を狙うほうが表情が出る。
Q&A
- 金沢城三十間長屋の内部は見学できますか。
- 特別公開の期間中は内部に入れます。金沢城公園では4月から11月の土曜・日曜と行楽期、9時30分から15時30分まで公開し、内部にボランティアガイドが常駐します。期間外は内部非公開ですが、外観は開園時間中いつでも見学できます。
- 金沢城三十間長屋はいつ建てられたのですか。資料で年代が違うのはなぜですか。
- 文化庁の国指定文化財等データベースは万延元年(1860年)と記載し、石川県と金沢市はいずれも安政5年(1858年)としています。現地案内や書籍では両方の年が見られます。いずれにせよ、宝暦9年(1759年)の大火で失われた長屋の再建にあたります。
- 金沢城三十間長屋はなぜ重要文化財なのですか。復元建築とは違うのですか。
- 明治14年(1881年)の火災を免れた江戸期の建物三棟のうちの一つで、ほかは石川門と鶴丸倉庫です。金沢城に現存する唯一の長屋建築でもあります。昭和32年(1957年)6月18日指定。近くの菱櫓・五十間長屋は現代の復元建築であり、性格が異なります。
- 金沢城三十間長屋の屋根はなぜ白く見えるのですか。
- 鉛瓦で葺かれているためです。経年した鉛の表面は淡い灰白色になります。籠城時に鋳潰して弾丸にする備蓄だったという説が語られてきましたが、実際には北陸の冬の凍結・融解に土瓦より耐えるという利点が大きいと考えられています。
- 金沢城三十間長屋へは金沢駅からどう行きますか。
- バスで「兼六園下・金沢城」バス停まで約10分、そこから園内を徒歩数分です。駅から歩くと35分ほど。建物は本丸附段の樹林の中、主要動線から外れた位置にあるため、案内表示に注意してください。
基本情報
| 名称 | 金沢城三十間長屋 |
|---|---|
| 所在地 | 石川県金沢市丸の内71番地 |
| 指定区分 | 重要文化財(建造物) 指定番号 01408 |
| 指定年 | 昭和32年(1957年)6月18日指定 |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 二重二階多聞櫓、南面入母屋造、北面切妻造、鉛瓦葺。長さ約26間半(約48メートル) |
| 所有者 | 国(文部科学省) 管理団体:石川県 |
| 公開状況 | 内部は4月~11月の土日・行楽期に特別公開(9時30分~15時30分)。外観は開園時間中見学可。 |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース 金沢城三十間長屋
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/761
- 石川県 金沢城石川門・三十間長屋
- https://www.pref.ishikawa.lg.jp/kyoiku/bunkazai/kenzoubutu/9.html
- 金沢市 金沢城三十間長屋
- https://www4.city.kanazawa.lg.jp/soshikikarasagasu/bunkazaihogoka/gyomuannai/3/1/2/5003.html
- 金沢市観光協会 金沢城公園 重要文化財特別公開
- https://www.kanazawa-kankoukyoukai.or.jp/event/detail_52389.html
- 石川県 金沢城公園
- https://shiro-niwa.pref.ishikawa.lg.jp/kanazawa-castle/
最終更新日: 2026.08.13