曲り家のなかにある「まっすぐな家」
遠野ふるさと村を歩く人の多くは、母屋と厩がL字につながった南部曲り家を目当てにやって来る。旧菊池喜右ヱ門家住宅は、その仲間ではない。部屋が一直線に並び、一つの長い寄棟屋根がそれを覆う。この地方で「直家(すごや)」と呼ばれた形式である。名高い曲り家の隣に立つこの家を見ると、曲り家がなぜ特徴的だったのかが逆によく分かる。この家には、厩のための翼がそもそも付かなかったのだ。
建てられたのは江戸後期、およそ1751年から1829年のあいだと考えられている。桁行は8間(約15メートル)、梁間は3間半で、長い側に入口を設けた平入である。平成6年(1994年)に解体・移築され、いまは附馬牛町上附馬牛の野外施設のなかで、田畑や水車、ほかの古民家とともに建っている。
屋内は左から右へと、間取りが素直に読める。まず土間と納戸、続いて日常の居間である常居(じょい)、その先に座敷と寝部屋が並ぶ。常居と座敷のまわりには濡縁がめぐり、山あいの谷に差す冬の光を受け止める。左手には物置をはさんで、切妻造で石を置いた屋根の厨房が別棟のようにつながる。
質素な家が国の登録を受けた理由
この住宅は平成18年(2006年)に登録有形文化財となった。適用された基準は「再現することが容易でないもの」。この一文には具体的な意味がある。これだけの規模の茅葺寄棟屋根を、手で組み、手で結び、昔ながらに刈って束ねた茅で葺く。その技術も材料も、いまでは手に入りにくい。登録が守ろうとしているのは、記念碑としての建物というより、旧南部藩領の農家が雪深い長い冬を越すためにどう建てたかという、生きた記録である。
その意味で、家の背面はよく見ておきたい。正面が光と濡縁に向かって開くのに対し、裏の壁はほとんど閉じられ、開口が少ない。この閉鎖的で古風なつくりは、この地方の古い農家に共通するもので、眺めよりも暖を逃がさぬことが優先された時代を示す。より大きく凝った家と比べると、喜右ヱ門家は民家の系譜のなかでも簡素な側に立つ。その簡素さこそが、登録の守る対象でもある。
訪れたら見てほしいところ
まずは屋根の稜線から。茅の葺き、深い軒、そして低く山に寄り添う棟。これらが、この家がどうやって雪を受け流すかを教えてくれる。次に、石を置いた厨房の屋根を探してほしい。板の上に平たい石を並べ、山風で覆いがめくれないよう押さえる。現代の建物では見られない、切り詰めた工夫である。
屋内では、常居と座敷の空気の違いに気づく。常居は暮らしの中心で、幾世代もの使用に磨かれている。座敷は客と儀礼のために保たれた場だ。部屋の連なりをたどれば、案内書がなくても一家の一日が想像できる。村には「まぶりっと」と呼ばれる案内役が常駐しており、この空間で一家がどう暖をとり、煮炊きし、眠ったかを気さくに語ってくれる。
家は再現された集落のなかにあるので、散策の時間をとりたい。桜、新緑、紅葉、雪と、季節ごとに景色は一変し、足元の未舗装の道もまた体験の一部である。
Q&A
- L字の曲り家とは何が違うのですか。
- 喜右ヱ門家は直家(すごや)で、部屋が一直線に並び、一つの寄棟屋根の下に収まります。突き出す翼はありません。曲り家はL字に張り出す部分があり、そこに土間や馬屋が入るため、人と馬が同じ建物で暮らしました。村では両方を並べて見られるので、違いがつかみやすいです。
- 建物は何時代のもので、元の場所に建っていますか。
- 江戸後期、おおよそ1751年から1829年のあいだに建てられたとされます。平成6年(1994年)に遠野ふるさと村へ移築されたため、現在は元の敷地ではなく、再現された集落のなかに建っています。
- 中に入れますか。
- 入れます。野外博物館である遠野ふるさと村で公開されている建物の一つです。村の開館はおおむね9時から17時、入村受付は16時まで(11月から3月は15時30分まで)です。季節で時間が変わることがあるため、出かける前に公式サイトで確認すると安心です。
- 行き方を教えてください。
- 村は遠野の中心部から北にあり、JR遠野駅、または釜石自動車道の遠野インターチェンジから車で20分ほどです。近くには坂の下方面へ向かう路線バスのふるさと村停留所もあります。
- 遠野がこうした農家で知られるのはなぜですか。
- 遠野は旧南部(盛岡)藩領のなかで馬を育てる土地で、農村建築もその暮らしとともに育ちました。また、この地は1910年刊の民俗学の古典『遠野物語』の舞台でもあり、地域の伝承が広く知られる由縁となっています。
基本情報
| 名称 | 旧菊池喜右ヱ門家住宅 |
|---|---|
| 所在地 | 岩手県遠野市附馬牛町上附馬牛5-89-1 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物)/登録日 2006年3月2日(告示 2006年3月23日) |
| 登録番号 | 03-0059 |
| 時代 | 江戸後期(およそ1751〜1829年)/平成6年(1994年)移築 |
| 構造 | 1棟。木造平屋建、茅葺、寄棟造。桁行8間・梁間3間半。建築面積 約129㎡ |
| 所有者 | 遠野市 |
| アクセス | 遠野ふるさと村(野外博物館)内。JR遠野駅から車で約20分 |
参考文献
- 文化庁 — 国指定文化財等データベース
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00005217
- 遠野ふるさと村 — 公式サイト
- https://www.tono-furusato.jp/
- 遠野時間 — 遠野市観光情報
- https://tonojikan.jp/kanko/furusatomura.php
最終更新日: 2026.07.06