及川家住宅(古軒)主屋:遠野の城下町に息づく明治の大型町家

岩手県遠野市——柳田國男の名著『遠野物語』(1910年)で世界に知られる「民話のふるさと」。その旧城下町の一角、六日町の街道沿いに、明治21年(1888年)から静かに時を刻み続ける一軒の町家があります。及川家住宅、屋号「古軒(ふるけん)」。令和4年(2022年)2月に国の登録有形文化財(建造物)に登録されたこの建物は、遠野の伝統的な町家建築の姿を今日に伝える貴重な存在です。現在は民宿として営業しており、宿泊を通じて文化財の空間を体感できる、全国的にも稀有な体験が待っています。

遠野城下町の歴史

遠野が城下町として歩み始めたのは、寛永4年(1627年)のことです。盛岡藩初代藩主・南部利直の命を受け、根城南部氏(八戸氏)の八戸直義が八戸から遠野に転封され、鍋倉城主として12,500石を治めることになりました。以後、明治維新まで約240年にわたり、遠野は遠野南部氏の城下町として存続しました。

城下町の町割りは、敵の侵入を防ぐための鉤型(クランク状)の道路や枡形の構造が特徴的で、商業地区は業種ごとに整備されました。穀町、大工町、材木町、そして六日町という地名には、今も城下町の面影が残っています。及川家住宅が佇む六日町は、かつて六のつく日に市が立った商業の中心地であり、街道沿いには商家が軒を連ねていました。

建築の特徴:中路地式通り土間の町家

及川家住宅主屋は、遠野地方に伝わる大型町家の典型を色濃く残す建物です。明治21年(1888年)に建てられた木造2階建て、切妻造鉄板葺の平入で、建築面積は約170平方メートルに及びます。

最大の建築的特徴は「中路地(なかろじ)」と呼ばれる、建物の中央を街道側から敷地奥まで貫く通り土間です。遠野の町家では、かつてこの中路地が馬の通り道として使われていました。南部藩領において馬は家族同然の存在であり、農村部の南部曲り家(L字型住居)に見られる人馬共生の思想が、城下町の町家にも中路地という形で反映されていたのです。

中路地を挟んで東西に座敷(客間)が配置され、西側の座敷から北に向かって住居部分が延びています。南端には「常居(じょうい)」と呼ばれる日常の居住空間があり、ここには2階まで吹き抜ける大きな空間が設けられています。正面1階には庇が張り出し、2階は出格子構えとなっており、商家としての風格を漂わせています。

昭和15年(1940年)に実施された遠野の町家調査の際にはこの住宅が調査対象として選ばれており、当時からその建築的価値が認められていたことがうかがえます。

登録有形文化財としての価値

及川家住宅主屋は、令和4年(2022年)2月17日に国の登録有形文化財(建造物)に登録されました。文化庁による解説では、「当地方の典型をよく残す大型町家」と評価されています。

登録の理由として特に注目されたのは、中路地式通り土間を中心とした遠野伝統の町家様式が良好な状態で保存されている点です。中路地を挟んだ東西の座敷配置、吹抜を持つ常居、2階の出格子構えなど、城下町の商家がどのような空間で暮らし、商いを営んでいたかを包括的に伝えています。

現在の当主は、「立派な建物だったから登録された訳ではなく、馬の通り道の付いた遠野の伝統的な町屋様式(中路地式通り土間)が評価された」と語っています。近代化によって失われつつある地域固有の建築文化を後世に伝える、という登録有形文化財制度の趣旨を体現する物件といえるでしょう。

見どころ・魅力

及川家住宅の最大の見どころは、常居の吹抜空間です。2階まで一気に吹き抜ける開放的な空間には、遠野地方でもめずらしくなった大きな神棚が飾られています。この神棚には地域特有の切り絵の正月飾りが施され、山の神が祀られています。山岳信仰が色濃く残る遠野ならではの信仰の姿を間近に見ることができます。

2階正面の出格子は、街道側から眺めると城下町の商家らしい威厳を感じさせます。中路地の空間は、現在は馬が通ることはありませんが、建物の中央を貫くその構造は、かつての城下町の暮らしと機能を今に伝えています。

昭和49年(1974年)・同54年(1979年)の改修、同60年(1985年)の一部移築を経ていますが、建物の本質的な構造と意匠は守られており、築135年を超えた今も現役の住まいとして、そして民宿として息づいています。

民宿古軒に泊まる

及川家住宅は現在「民宿古軒(ふるけん)」として営業しており、登録有形文化財に宿泊するという特別な体験が可能です。40数年前に自宅を改装して始まった小さな宿は、家庭的な雰囲気が最大の魅力です。

夕食のメインは遠野名物のジンギスカン。遠野のジンギスカン文化は昭和30年代から続く伝統で、良質なラム肩ロースを使った料理は多くの宿泊客の目当てとなっています。お酒の提供はありませんが、持ち込みが可能です。遠野は日本有数のホップ生産地でもあり、地元のクラフトビールを持参して楽しむのもおすすめです。

小規模な宿のため、4名程度から貸し切りになることも多く、他の宿泊客に気兼ねなく過ごせます。一人旅や素泊まりも歓迎されています。予約は電話のみで、毎月1日から3か月先までの予約を受け付けています。

周辺情報

及川家住宅は遠野の旧城下町の中心部に位置しており、民話と歴史の名所へのアクセスに優れています。

  • 遠野城下町資料館 — 遠野南部家伝来の刀剣・甲冑や生活用品を展示し、城下町の歴史を紹介。とおの物語の館との共通入場券あり。
  • とおの物語の館 — JR遠野駅から徒歩約5分。旧酒蔵を改装した施設で、映像や造形物を通じて遠野物語の世界を体感できる。柳田國男の書斎も移築展示。
  • カッパ淵 — 常堅寺の裏手にある、河童が棲むと伝わる小さな淵。きゅうりを餌にした河童釣りの風景は遠野を象徴する光景。
  • 伝承園 — 国指定重要文化財の旧菊池家住宅(南部曲り家)を中心とした野外博物館。遠野の農村文化を体験できる。
  • 鍋倉城跡(鍋倉公園) — 遠野南部氏の居城跡。なべくら展望台からは遠野盆地を一望できる。
  • 遠野市立博物館 — 日本初の民俗学専門博物館。遠野の自然・歴史・文化を総合的に展示。
  • 福泉寺 — 真言宗の大寺院。高さ17メートルの木造観音像は圧巻。

Q&A

Q及川家住宅(古軒)に宿泊できますか?
Aはい。現在「民宿古軒」として営業しており、宿泊が可能です。一泊二食付き・素泊まりいずれも対応しています。予約は電話のみの受付です。一人旅のお客様も歓迎されています。
Q外観だけの見学は可能ですか?
A建物の外観は街道沿いからいつでも自由にご覧いただけます。出格子や正面の佇まいは外からでも十分に鑑賞できます。ただし、吹抜の常居や神棚などの内部は宿泊者のみ見ることができます。
Q遠野へのアクセス方法を教えてください。
A東京方面からは東北新幹線で新花巻駅まで約3時間、そこからJR釜石線に乗り換えて遠野駅まで約50分です。遠野駅から民宿古軒までは徒歩約15分、またはバスセンター行きバスで六日町もしくは下組町バス停下車(運賃100円)です。
Qおすすめの訪問時期はいつですか?
A春から秋(4月〜11月)が快適です。夏は盆地ながら比較的涼しく過ごせます。冬は積雪が多く厳しい寒さとなり、築135年超の建物のため暖房には限りがあります。冬季に訪れる場合は十分な防寒対策をお忘れなく。

基本情報

名称 及川家住宅(古軒)主屋
文化財区分 登録有形文化財(建造物)、令和4年(2022年)2月17日登録
建築年 明治21年(1888年)/昭和49年・同54年改修・同60年一部移築
構造 木造2階建、切妻造鉄板葺、建築面積約170㎡
所在地 〒028-0525 岩手県遠野市六日町111
アクセス JR遠野駅より徒歩約15分/バスセンター行きバスで六日町または下組町下車(運賃100円)
現在の用途 民宿古軒(宿泊施設)
予約方法 電話のみ

参考文献

及川家住宅(古軒)主屋 — 文化遺産オンライン
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/543538
国指定文化財等データベース — 文化庁
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00014128
民宿古軒 公式サイト
https://minsyukufuruken.sakura.ne.jp/yado/
民宿 古軒 — 遠野時間(遠野市観光情報サイト)
https://tonojikan.jp/stay/minsyuku-furuken/
文化庁報道発表 — 登録有形文化財(建造物)の登録について (PDF)
https://www.bunka.go.jp/koho_hodo_oshirase/hodohappyo/pdf/93558001_03.pdf
民宿古軒 — 岩手県旅館ホテル生活衛生同業組合
https://www.iwate-navi.jp/4496
遠野市 — Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%A0%E9%87%8E%E5%B8%82

最終更新日: 2026.03.22