瀬戸内海の離島に佇む鎌倉時代の石造美術

愛媛県越智郡上島町の魚島に鎮座する亀井八幡神社の境内に、国指定重要文化財の宝篋印塔(ほうきょういんとう)が静かに佇んでいます。花崗岩で造られたこの石塔は、総高約227cm(基壇を含めると約247cm)を誇り、鎌倉時代後期(13世紀末〜14世紀初頭)の作と推定されています。

人口わずか約110人の小さな漁師の島に、なぜこれほど貴重な文化財が残されているのか——。その問いかけ自体が、中世の瀬戸内海が宗教・交易・文化の重要な交差点であったことを物語っています。離島であるがゆえに、開発の波から守られ、約700年もの歳月を経て今なおその姿を留めているのです。

宝篋印塔とは

宝篋印塔は、仏教の経典「一切如来心秘密全身舎利宝篋印陀羅尼経」を納めるための塔として生まれた、日本独自の発展を遂げた石造塔の一種です。中国・呉越国の銭弘俶がインドのアショーカ王の故事に倣い、八万四千基の小塔を造って各地に祀ったことが起源とされています。

日本では鎌倉時代中期以降に石造の大型宝篋印塔が盛んに造立されるようになりました。構造は上から相輪(宝珠・請花・九輪など)、笠(四隅に隅飾を持つ)、塔身、基礎、基壇で構成されます。主に供養塔や墓碑塔として、五輪塔とともに多く造られ、特に貴族や武家など上位の階層で用いられる傾向がありました。

重要文化財に指定された理由

亀井八幡神社の宝篋印塔は、昭和29年(1954年)3月20日に国の重要文化財に指定されました。その指定理由にはいくつかの重要な要素があります。

第一に、塔の形式や手法が鎌倉時代後期の供養塔の特色を明確に備えている点です。塔身に刻まれた梵字(サンスクリット文字)をはじめ、笠の段形式や隅飾の角度など、この時代の石造美術の特徴を正確に伝えています。

第二に、瀬戸内海の離島という辺境の地にありながら、これほど完成度の高い石造塔が残存していることの学術的価値です。中世における瀬戸内海域の文化的ネットワークの広がりを示す貴重な物証となっています。

第三に、花崗岩製の塔が海洋性気候にさらされながらも良好な保存状態を保っていることです。各部材がほぼ完存しており、鎌倉時代後期の石造宝篋印塔の研究において重要な資料となっています。

篠塚伊賀守重広の伝説

この宝篋印塔には、南北朝時代の武将・篠塚伊賀守重広(しのづかいがのかみしげひろ)の墓であるという伝承が残されています。篠塚重広は新田義貞の側近として知られ、「新田四天王」の一人に数えられた勇将です。その剛力無双の武勇は、南北朝の動乱を描いた『太平記』に七度も登場するほどでした。

歴史の記録によれば、興国3年(1342年)、南朝方の勢力が四国で敗れた後、篠塚重広は『太平記』に「隠岐島」と記された島へ落ち延びたとされています。この「隠岐島」が魚島であるという説があり、もともと島内の篠塚公園にあった宝篋印塔が篠塚伊賀守の墓として長く信仰されてきました。

現在では、塔の様式から鎌倉時代後期の作であり、篠塚重広が活躍した南北朝時代より前のものと考えられているため、篠塚伊賀守の墓ではないとする見方が主流です。しかし、この伝説は魚島と中世日本の激動の歴史との結びつきを今に伝える貴重な口承文化であり、宝篋印塔は現在、篠塚公園から亀井八幡神社境内に移設されて大切に保存されています。

見どころ・魅力

宝篋印塔そのものの鑑賞が最大の見どころです。塔身の四面に刻まれた梵字は、四方の仏を象徴するもので、鎌倉時代の石工の精緻な技が感じられます。笠の階段状の刻みや、隅飾の繊細な角度の変化など、細部にまで目を凝らしてご覧ください。

宝篋印塔を守る亀井八幡神社も、見応えのある社殿を有しています。元禄6年(1693年)に創建されたと伝わり、総檜造り・銅板葺きの堂々たる社殿は、当時の魚島の漁業による繁栄ぶりを偲ばせます。平地がほとんどない魚島にあって、8,000平方メートルを超える平らな境内地が整備されていることも驚きです。

鳥居から社殿へ向かう約100メートルの参道は、クスノキやウバメガシの大木に覆われ、神聖な雰囲気に包まれています。狛犬が鳥居の手前で参拝者を迎え、島の人々の暮らしを今も見守り続けています。

魚島という島の魅力

宝篋印塔を訪れることは、魚島そのものを体験することでもあります。今治市の東北東約30kmの燧灘に浮かぶ魚島は、上島町の島々の中でも特に非日常感と海の美しさが際立つ島です。

島の名前が示すとおり、漁業が盛んで、デベラ(干しカレイ)漁やたこ壺漁が有名です。港に並ぶたくさんのたこ壺は、離島ならではの風景を見せてくれます。篠塚公園には村上水軍の財宝伝説も残り、歴史ロマンに溢れた島です。

島唯一の宿泊施設「魚島観光センター」では、近海で獲れた新鮮な魚を使った食事を楽しむことができます。魚島港から徒歩1分というアクセスの良さも魅力です。

周辺情報

魚島へのアクセスは、因島の土生港(中央桟橋)または弓削島の弓削港から町営フェリー「ニューうおしま」を利用します。弓削港からは約50分、土生港からは約1時間の船旅です。便数は1日4便と限られていますので、事前に時刻表を確認しての計画的な訪問をおすすめします。

弓削島・生名島・岩城島を橋で結ぶ「ゆめしま海道」は、サイクリングに最適なルートです。しまなみ海道から少し足を延ばして、上島町の島々を巡る旅と組み合わせると、瀬戸内海の離島文化をより深く味わうことができます。

しまなみ海道沿いの因島からは、土生港を拠点に魚島への日帰り訪問も可能です。広島県尾道市や愛媛県今治市を起点とした島旅の一環として、ぜひ魚島の文化遺産と離島の暮らしに触れてみてください。

Q&A

Q魚島へのアクセス方法を教えてください。
A因島の土生港(中央桟橋)または弓削島の弓削港から、上島町営フェリー「ニューうおしま」で渡ります。弓削港から約50分、土生港から約1時間です。1日4便の運航ですので、最新の時刻表を上島町公式ホームページでご確認ください。
Q宝篋印塔の拝観料や拝観時間はありますか?
A拝観料は無料です。亀井八幡神社の境内にあり、拝観時間の制限もありません。年中無休でいつでもご覧いただけます。
Q魚島に宿泊施設はありますか?
A島内唯一の宿泊施設として「魚島観光センター」があります。魚島港から徒歩1分の場所にあり、1泊朝食付き7,000円から利用できます。近海の新鮮な魚介を使った食事が楽しめます。客室数に限りがあるため、事前の予約をおすすめします。
Q魚島港から亀井八幡神社までどのくらいかかりますか?
A魚島港から亀井八幡神社まで徒歩約10分です。島は小さいため、公共交通機関は不要です。
Q宝篋印塔は篠塚伊賀守のお墓なのですか?
A地元では長く篠塚伊賀守重広の墓と伝えられてきましたが、現在の研究では、塔の様式から鎌倉時代後期の作と判断されており、南北朝時代に活躍した篠塚伊賀守の墓ではないとする見解が主流です。ただし、この伝承は魚島と中世の歴史を結ぶ貴重な文化遺産として大切にされています。

基本情報

名称 亀井八幡神社宝篋印塔(かめいはちまんじんじゃほうきょういんとう)
文化財指定 国指定重要文化財(昭和29年〈1954年〉3月20日指定)
時代 鎌倉時代後期(13世紀末〜14世紀初頭)
材質 花崗岩
法量 総高約227cm(基壇を含めると約247cm)
所在地 〒794-2540 愛媛県越智郡上島町魚島一番耕地
所有者 亀井八幡神社
拝観料 無料
拝観時間 制限なし(年中無休)
アクセス 魚島港より徒歩約10分(弓削港または土生港よりフェリー「ニューうおしま」)
お問い合わせ 上島町魚島総合支所 産業建設課 TEL: 0897-78-0011

参考文献

亀井八幡神社宝篋印塔 – 文化遺産オンライン
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/176622
魚島 | 瀬戸内かみじまトリップ(上島町公式観光WEBサイト)
https://www.kamijima.info/uoshima/
亀居八幡神社 – いよ観ネット(愛媛県観光情報)
https://www.iyokannet.jp/spot/293
亀井八幡神社宝篋印塔 – JAPAN 47 GO
https://www.japan47go.travel/ja/detail/61fe12ed-324d-42d8-8414-e3861674d0fd
篠塚重広 – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AF%A0%E5%A1%9A%E9%87%8D%E5%BA%83
宝篋印塔 – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9D%E7%AF%8B%E5%8D%B0%E5%A1%94
【ニューうおしま】土生港~弓削港~魚島港 – 上島町公式ホームページ
https://www.town.kamijima.lg.jp/site/access/5640.html
波乱の生涯 | 大信寺
https://www.daishinji.net/トップページ/篠塚伊賀守/波乱の生涯/

最終更新日: 2026.03.22