台風の島に建てられた鉄筋コンクリートの校舎

旧山尋常高等小学校校舎は、鹿児島県大島郡徳之島町山字兼久田にある昭和4年(1929年)建築の鉄筋コンクリート造2階建校舎で、令和3年(2021年)10月14日に国の登録有形文化財に登録された。現在の徳之島町立山小学校の敷地奥に南面して建ち、建築面積は約65平方メートルにすぎない。

65平方メートル。教室と玄関と階段室を収めれば、それでほぼ埋まる広さである。

注目すべきは規模ではなく構造材のほうだ。昭和4年といえば、鹿児島本土から南へ約490キロ離れた離島では、学校建築は木造が当たり前だった。鉄筋コンクリート造を選べば、セメントと鉄筋を船で運び、現場で練り、型枠を組める職人を確保しなければならない。手間を承知で建てられたこの校舎は、島内に現存する鉄筋コンクリート造学校建築として最も古い。

正面に立つと設計の意図が読み取れる。隅の柱は壁に埋め込まず、柱型として外にあらわしている。入口の上には浅い庇が張り出す。壁面には等間隔に横目地が刻まれ、小さな箱形の建物に水平方向のリズムを与えるとともに、雨水を切る役目も果たしている。遠隔地の施工者が手に負えないような装飾は、どこにも見当たらない。

内部の構成こそ、この建物の要点である。大正から昭和初期の学校建築は、廊下を建物の外側に開放的に取るのが通例だった。温暖な本土では合理的だが、年に何度も横なぐりの雨が吹きつける島では具合が悪い。ここでは玄関と階段室を建物前面の壁の内側に納め、1階も2階も奥を教室に充てている。子どもたちは天候にさらされることなく階を移動できた。

校舎として使われ続けたわけでもない。昭和19年(1944年)5月から昭和21年(1946年)1月までは陸軍の兵舎に転用された。その後ふたたび授業の場に戻り、現在は郷土資料を展示する施設として使われている。

登録の経緯と評価された点

日本の建造物文化財には、指定と登録という二つの制度がある。指定は限られた件数に強い規制と手厚い保護を与える仕組みで、登録は平成8年(1996年)に始まった、おおむね築50年を超える建造物を幅広く受け止めるための制度だ。登録有形文化財は所有者の活用の自由度が高く、外観を大きく変える際に届出を要する程度の規制にとどまる。使い続けながら残すことを前提とした枠組みである。

文化審議会が本件の登録を答申したのは令和3年7月16日。同年10月14日に登録番号46-0127として登録された。適用された登録基準は「造形の規範となっているもの」。この回の答申で鹿児島県から挙がった建造物は、この校舎ただ一件だった。

徳之島町にとっては町内初の国登録有形文化財となった。報道によれば、奄美群島の建造物が国の登録有形文化財に加わるのは、平成21年(2009年)8月に登録された龍郷町瀬留の高倉3棟以来12年ぶりのことだったという。

この年には別の出来事も重なっている。答申の10日後、令和3年7月26日に「奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島」が世界自然遺産に登録された。アマミノクロウサギの島として知られてきた徳之島は、同じ夏に自然遺産と、最初の国登録建造物とを同時に得たことになる。

もう一棟、同じ敷地内に見ておきたい建物がある。現在の山小学校校舎は昭和30年(1955年)の建築で、こちらも令和4年(2022年)10月31日に登録有形文化財となった。各階北側に教室を二室並べ、南側を開放廊下とする平面は、琉球列島アメリカ民政府工務交通局が作成した2階建4教室の標準設計と共通する。奄美群島は昭和21年から昭和28年12月まで米国の施政下に置かれていた。行政の期間が終わったあとも設計の型は残ったわけである。戦前の日本の学校建築と、戦後の米国標準設計に連なる校舎が、三十メートルほどを隔てて並んでいる。

訪ねるときに知っておきたいこと

現役の小学校の敷地内に建つという事実が、見学の作法を決めている。外観は学校へ至る道筋から眺められるが、内部に入りたい場合は、郷土資料館を所管する徳之島町教育委員会社会教育課(0997-82-2908)へ事前に連絡してほしい。あらかじめ相談しておけば、授業時間と重なる心配もない。外観の撮影は特段の制約なく行えるが、児童が写り込まないよう注意したい。

徳之島へは、鹿児島・奄美大島・沖縄からの空路で隣の天城町にある徳之島空港へ入るか、鹿児島と那覇を結ぶフェリー航路で亀徳港に着く方法がある。山地区は島の北東部。海岸沿いの路線バスもあるが、他の見どころと組み合わせるならレンタカーが現実的だろう。

その他の見どころも遠くない。徳之島の闘牛場、犬の門蓋の海食洞、島北部のマングローブ林は、いずれも車で回れる範囲にある。1月・5月・10月には島を挙げての闘牛大会が開かれ、多くの人が集まる。

時間が選べるなら午前中がいい。南面する正面に光が正対し、日中には目立たない横目地が影の線となって浮かび上がる。左官がどう割り付けたかが、そのとき初めて見えてくる。

Q&A

Q旧山尋常高等小学校校舎は見学できますか。予約は必要ですか。
A現役の徳之島町立山小学校の敷地内にあるため、内部は自由見学ではありません。郷土資料館を所管する徳之島町教育委員会社会教育課(0997-82-2908)へ事前にご相談ください。外観は学校へ至る道筋から見ることができます。
Q旧山尋常高等小学校校舎はいつ、どのような構造で建てられたのですか。
A昭和4年(1929年)の建築で、鉄筋コンクリート造2階建、建築面積は約65平方メートルです。徳之島町の資料では65.4平方メートルとしています。島内に現存する鉄筋コンクリート造学校建築としては最も古いものです。
Q旧山尋常高等小学校校舎はどの区分の文化財ですか。
A国の登録有形文化財(建造物)です。令和3年(2021年)10月14日に登録番号46-0127で登録されました。登録基準は「造形の規範となっているもの」。徳之島町内では初の国登録有形文化財にあたります。
Q旧山尋常高等小学校校舎はなぜ廊下や階段を建物の内側に設けているのですか。
A同時代の学校建築の多くは廊下を外側に開放して配置していました。この校舎は玄関と階段室を建物前面の壁の内側に納め、1階・2階とも奥を教室としています。台風の常襲地帯にある島で、児童が風雨にさらされずに移動できるようにした構成と考えられています。
Q旧山尋常高等小学校校舎の周辺に、あわせて見られる文化財はありますか。
A同じ敷地に建つ昭和30年(1955年)建築の山小学校校舎が、令和4年(2022年)10月31日に登録有形文化財となっています。琉球列島アメリカ民政府工務交通局の標準設計に通じる平面をもつ校舎です。島内では闘牛場、犬の門蓋、北部のマングローブ林などが車で回れる範囲にあります。
Q旧山尋常高等小学校校舎は校舎以外に使われたことがありますか。
A昭和19年(1944年)5月から昭和21年(1946年)1月まで、陸軍の兵舎として使用されました。その後は校舎に戻り、現在は郷土資料を展示する施設として活用されています。

基本情報

名称旧山尋常高等小学校校舎(きゅうさんじんじょうこうとうしょうがっこうこうしゃ)
所在地鹿児島県大島郡徳之島町山字兼久田1808-イ
指定区分登録有形文化財(建造物)/登録番号46-0127/登録基準「造形の規範となっているもの」
指定年令和3年(2021年)10月14日登録・同日告示(答申は同年7月16日)
員数1棟
寸法鉄筋コンクリート造2階建、建築面積約65平方メートル(徳之島町資料では65.4平方メートル)
所有者徳之島町
公開状況徳之島町立山小学校の敷地内。外観は道筋から見学可。内部見学は徳之島町教育委員会社会教育課(0997-82-2908)へ事前連絡

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース — 旧山尋常高等小学校校舎
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00014127
文化遺産オンライン — 旧山尋常高等小学校校舎
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/520477
徳之島町 — 「旧山尋常高等小学校校舎」が国の登録有形文化財に
https://www.tokunoshima-town.org/shakaikyoikuka/kyodoshiryokan/kyu_sansyo210716.html
かごしま文化財事典 — 旧山尋常高等小学校校舎
https://k-bunkazai.com/cultural/f-q-60122/
かごしま文化財事典 — 山小学校校舎
https://k-bunkazai.com/cultural/f-q-60123/

最終更新日: 2026.08.12