石と煉瓦と瓦、二四メートルの積み重ね
旧重富島津家別邸石塀は、鹿児島県鹿児島市清水町にある明治後期の石造及び煉瓦造の塀で、総延長24メートルを測り、平成26年(2014年)4月25日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された。
起点は主屋の謁見の間、その南東隅である。そこから南へ、折れ曲がりながら延びる。国指定文化財等データベースは構造を「石造及び煉瓦造、瓦葺、総延長24m」と記し、種別を「その他工作物」として、主屋とは別に一件として数えている。
塀が単独で登録されることは、そう多くない。この石塀が別枠で扱われたのは、何を、どの順で積んだかにある。
下段は溶結凝灰岩の切石で、布積みとしている。布積みとは、目地を横に通して段を揃える積み方をいう。溶結凝灰岩は鹿児島の石である。錦江湾周辺の台地をつくった火砕流が、自らの熱で火山灰を圧し固めた岩体で、鋸で挽ける程度に軟らかく、風雨に耐える程度には硬い。県内各所の石切場から切り出され、蔵、護岸、隧道、庭の塀と、あらゆる場所に使われてきた。明治の薩摩の石工にとっては、修業の最初から手になじんだ材料だったはずである。
その上に載るのが煉瓦で、積み方はイギリス積。長手だけの段と小口だけの段を交互に重ねる方式で、二枚の壁面を互いに噛み合わせる働きを持つ。煉瓦は幕末以降の西洋技術とともに日本へ入り、構造体としてはイギリス積が標準になった。さらにその上を桟瓦で葺く。日本の一般的な建物と同じ瓦である。
三層、三つの建築文化が、一つの塀に積み上がっている。装飾のつもりで組み合わせたわけではないだろう。それでも結果として、灰色の火山岩と灰色の瓦に挟まれた赤い帯が、遠目にもよく効いている。
登録の理由は、地形との付き合い方にある
登録有形文化財の制度は平成8年(1996年)に始まった。おおむね築50年以上の建造物を対象に、現状変更を許可制ではなく届出制とし、使い続けることで残す方向を選んだ仕組みである。旧重富島津家別邸石塀の登録番号は46-0111、第77回登録で、登録告示・登録の日付はともに平成26年4月25日。隣接する主屋(46-0110)も同日に登録されている。
適用された基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」で、公式の解説文はその理由を一点に絞って書いている。敷地の起伏に応じて屈曲し、高低も変えており、重厚な形式ながら変化のある景観を創る、と。平坦な地面に一定の高さで立てられた塀であれば、それは遮蔽物として読まれる。この石塀は、地形そのものとして読める。
鹿児島県教育庁文化財課の文化財事典は、もう一つの評価軸を添えている。むき出しの赤い煉瓦が和風の主屋と対照をなし、近代の建築を象徴している、という指摘である。木造の座敷と煉瓦の塀が、数メートルの距離で隣り合っている。
同事典はまた、この石塀についても、主屋と同じく現在の肝付町から明治39年(1906年)頃に移築したと伝えられている、と記す。伝承として記述されているもので、文化庁のデータベースは年代を明治後期(1898〜1912年)と幅のある形で示すにとどまる。
鹿児島市街は昭和20年(1945年)の空襲で大半を焼失しており、市内に残る明治期の組積造は限られている。全長を保ったまま、笠木の瓦まで含めて現存している点も、評価の一部を担っているとみてよい。
どう見れば面白いか
正面から一枚撮って終わりにするには惜しい。折れ点ごとに表情が変わるからである。地面が下がるところでは石の段数が増えて煉瓦が浅くなり、上がるところでは逆になる。石工は屈曲のたびに目地の高さを決め直しているはずで、その判断の跡が継ぎ目に出ている。歩いて追いかけてみたい。
石の面も近くで見たい。溶結凝灰岩はノミの跡がよく残る石で、湿気の多い季節には苔や地衣が乗って灰色が沈む。同じ石切場でも層が違えば、火砕流が固まるときに巻き込んだ軽石片の量が変わる。ほとんど均質な面もあれば、粒がそばかすのように散った面もある。
煉瓦のほうは、目で数えると分かる楽しみがある。一段が長手だけ、次の段が小口だけ。端部には縦目地をずらすための小さな切り煉瓦が入る。この時代の国産煉瓦は窯の火のまわり方によって寸法にも色にもばらつきが出ており、大きな建物の壁面より、目の高さにある低い塀のほうが、その差を確かめやすい。
そのうえで一歩下がり、主屋との関係を眺めたい。起点が謁見の間の隅であることには意味がある。敷地内で最も格式の高い部屋の脇から南の動線を仕切り、その先の庭へ視線を送る役を負っている。庭は約4000坪。滝があり、下方には錦江湾と桜島が広がる。
訪問には段取りが要る。この石塀は民間の営業施設マナーハウス島津重富荘の敷地内にあり、庭園だけを見学する形の一般公開は行われていない。実際にはフレンチレストラン「オトヌ」またはカフェ・ド・マリーエの予約が入口になる。レストランは電話予約制、ランチ11時30分から14時30分、ディナー18時から21時30分、定休は火曜・水曜(祝祭日を除く)。カフェは月曜・木曜・金曜の11時30分から16時。婚礼や貸切行事の日は敷地の状況が変わる。交通はJR鹿児島駅からタクシーで約5分、鹿児島中央駅東口から約15分、天文館から約10分。撮影は個人利用の範囲であれば差し支えないことが多いが、行事のある日は当日スタッフに確認したい。
Q&A
- 旧重富島津家別邸石塀は、何でできているのですか。
- 下から順に三層です。基部は溶結凝灰岩の切石を布積みにしたもので、鹿児島各地で切り出されてきた火山性の石材です。その上にイギリス積の煉瓦塀を重ね、最上部を桟瓦で葺いています。総延長は24メートルです。
- 旧重富島津家別邸石塀は、敷地のどこからどこまで延びていますか。
- 主屋の謁見の間の南東隅を起点として、南へ折れ曲がりながら延びています。敷地の起伏に合わせて屈曲し、高さも場所によって変えています。この点が登録時の解説文で評価された特徴です。
- 旧重富島津家別邸石塀は、いつ登録されたのですか。登録番号は。
- 平成26年(2014年)4月25日、第77回登録で国の登録有形文化財(建造物)となりました。登録番号は46-0111です。適用基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」で、同じ敷地の主屋(46-0110)も同日付で登録されています。
- 旧重富島津家別邸石塀は自由に見学できますか。
- 敷地はマナーハウス島津重富荘として営業している私有地で、庭園の一般公開は行われていません。見学にはフレンチレストラン「オトヌ」またはカフェ・ド・マリーエの予約が必要です。レストランは火曜・水曜が定休(祝祭日を除く)、カフェの営業日は月曜・木曜・金曜の11時30分から16時です。
- 旧重富島津家別邸石塀へのアクセスを教えてください。
- 国のデータベース上の所在地は鹿児島市清水町18、施設が案内している住所は清水町31-7です。JR鹿児島駅からタクシーで約5分、鹿児島中央駅東口から約15分、天文館から約10分。車の場合は九州自動車道の薩摩吉田インターチェンジ、鹿児島北インターチェンジのいずれからも20分ほどが目安です。
- 旧重富島津家別邸石塀は、なぜ主屋とは別に登録されているのですか。
- 登録有形文化財の制度では、塀や門、護岸などの工作物も、独立した価値が認められれば建築物とは別に一件として登録されます。この石塀の場合、薩摩の石積みと近代の煉瓦技術が重なる構成と、地形に沿って景観をつくる働きが評価され、種別「その他工作物」として単独の登録番号が与えられました。
基本情報
| 名称 | 旧重富島津家別邸石塀(きゅうしげとみしまづけべっていいしべい) |
|---|---|
| 所在地 | 鹿児島県鹿児島市清水町18(施設の案内住所は清水町31-7) |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物・その他工作物) 登録番号46-0111 |
| 指定年 | 平成26年(2014年)4月25日登録 第77回登録 |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 石造及び煉瓦造、瓦葺、総延長24m |
| 所有者 | 株式会社プラスエスコーポレーション |
| 公開状況 | 一般公開なし。マナーハウス島津重富荘のレストラン・カフェ・宴会等の予約利用による |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)― 旧重富島津家別邸石塀
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00010082
- 文化遺産オンライン ― 旧重富島津家別邸石塀
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/286239
- かごしま文化財事典(鹿児島県教育庁文化財課)― 旧重富島津家別邸石塀
- https://k-bunkazai.com/cultural/f-q-60109/
- マナーハウス島津重富荘 ― アクセス
- https://www.s-shigetomisoh.biz/access/
- マナーハウス島津重富荘 ― 施設について
- https://www.s-shigetomisoh.biz/about/
最終更新日: 2026.08.11