総延長七十メートルの表構え
旧川本家住宅表門及び石垣は、神奈川県横浜市西区西戸部町一丁目14-2ほかにある昭和8年(1933年)頃の工作物で、令和6年(2024年)8月15日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された。
同じ屋敷地から登録された三件のうち、通りがかりの人が実際に目にするのはこの二つである。主屋は表門の奥に控え、内蔵はさらにその裏手にある。表門と石垣は、この屋敷が外に向けて示した顔にあたる。
石垣は総延長70メートル。敷地の東面と北面を矩折れに区画する。斜面地の横浜で、この規模の石積みは装飾ではない。地盤を押さえてはじめて宅地が成立するのであって、主屋があの平面を持ちえた前提が、この擁壁の長さに現れている。
表門は主屋玄関の東側、緩やかな石段を上がった位置に建つ。間口は一間、1.8メートル。切妻造平入桟瓦葺で、左右に袖塀を伴う。屋根には起りが付く。日本の屋根は反りを見せる例のほうが目につくが、起りは逆に膨らみ、住宅の門にふさわしい柔らかさをもたらす。この規模の門であれば、全体でも数センチの調整にすぎない。その数センチを付けるかどうかが、造作の質を分ける。
ブラフ積という技法
文化庁の解説は石垣を「凝灰岩のブラフ積で上部に低い石塀を載せる」と記す。短い一文だが、横浜の近代史がひとまとまり畳み込まれている。
ブラフ積の名は、谷を挟んだ対岸の山手に由来する。開港後に外国人が居住したこの丘は英語でBluff(切り立った崖)と呼ばれ、慶応3年(1867年)の開放以降、道路の開削と宅地造成に伴って多数の石積擁壁が築かれた。各段に長手面と小口面を交互に並べる積み方で、煉瓦のフランス積(フランドル積)に相当する。昭和50年代から60年代にかけて横浜山手の洋館群を調査した研究者が、他の開港場に見られない横浜特有の積み方としてこの呼称を提案したとされる。石材は房総半島産の房州石が用いられるのが一般的だった。
川本家の石垣について、文化庁は石種を凝灰岩と記す。房州石も凝灰質の石材だが、この石垣の石がどこで切り出されたかまでは一次資料に示されていない。むしろ注目すべきは技法の広がりのほうである。ブラフ積は山手の、外国人と洋館に結びついた現象として語られることが多い。それが昭和期の、谷を隔てた反対側の丘で、和風住宅を建てる日本人の屋敷を支えている。西区にも、鉄道敷設に携わった外国人技術者の官舎に伴うと市が説明する石垣が残り、近年の調査では横浜から三浦半島にかけて多数の分布が報告されている。
登録は令和6年8月15日、登録番号14-0350。基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」。文化庁の評価文は「いずれも丁寧なつくりで屋敷の表構えを整える」と結ぶ。台帳の上では、間口1.8メートルの門と70メートルの石垣が合わせて一件、種別は建築物ではなく「その他工作物」として扱われている。
路地からの見方
旧川本家住宅は非公開である。京浜急行電鉄株式会社が所有・管理する空き家で、文化庁は登録時に地域での活用方針を検討中と記した。拝観時間も料金設定もなく、敷地内に立ち入ることはできない。
表門と石垣だけは、そもそも外から見られることを前提に造られている点で例外にあたる。国指定文化財等データベースに収められた二点の写真のうち一点は「路地より敷地をみる」と題されており、これは誰にでも得られる視点である。東面から北面へ路地を歩けば、石積みの全長と、方向が変わる矩折れの角を順に追える。
石垣は二つの距離で見ておきたい。近づけば、各段で長手と小口が交互に現れる並びが読み取れる。名前を知ってから見ると、もう見分けられないということがない。離れて全体を眺めれば、天端に載る低い石塀が輪郭を締めている。土木構造物と屋敷の境界構えを分けているのは、この一手である。
京急本線戸部駅から徒歩10分ほど、道は登りが続く。丘の反対側の日ノ出町駅からも同程度である。公道からの撮影は妨げられないが、路地は狭く、周囲には人が住んでいる。三脚を立てるような撮り方は避けたい。
西へ数百メートルで野毛山公園に出る。ブラフ積をまとめて見たければ、山手へ渡るとよい。斜面沿いに擁壁が数多く残り、横浜市はこれらを景観要素として位置づけている。
Q&A
- 旧川本家住宅表門及び石垣は公道から見られますか。撮影は可能ですか。
- 見られます。表門と石垣は敷地の東面・北面の路地に面しており、公道からの視認と撮影が可能です。ただし敷地は非公開の空き家で、立ち入りはできません。路地は狭い生活道路ですので、通行や近隣の生活の妨げにならないよう配慮してください。
- 旧川本家住宅表門及び石垣に使われている「ブラフ積」とは何ですか。
- 各段に長手面と小口面を交互に並べて積む横浜特有の石積技法で、煉瓦のフランス積に相当します。名称は外国人居留地が置かれた山手(Bluff)に由来し、慶応3年の開放以降に築かれた擁壁に広く用いられました。石材は房州石が一般的です。川本家の石垣は凝灰岩と記録され、上部に低い石塀を載せています。
- 旧川本家住宅表門及び石垣の規模はどれくらいですか。
- 表門は木造・瓦葺で間口1.8メートル、左右に袖塀を備え、石段が付きます。石垣は石造で総延長70メートル、敷地の東面と北面を矩折れに区画します。年代はいずれも昭和8年(1933年)頃です。
- 旧川本家住宅表門及び石垣はなぜ一件として登録されているのですか。
- 令和6年8月15日に登録番号14-0350で一括登録され、員数は1棟、種別は「その他工作物」とされています。文化庁は表門と石垣を屋敷の表構えを整える一体の構成として扱い、「国土の歴史的景観に寄与しているもの」の基準で登録しました。
- 旧川本家住宅表門の屋根にある「起り」とはどのようなものですか。
- 屋根面をわずかに凸に膨らませる技法で、社寺建築に見られる凹曲線の「反り」とは逆向きの操作です。この表門では効果は控えめですが、輪郭を柔らかくします。文化庁が「丁寧なつくり」と評価する根拠の一つにあたります。
基本情報
| 名称 | 旧川本家住宅表門及び石垣(きゅうかわもとけじゅうたくおもてもんおよびいしがき) |
|---|---|
| 所在地 | 神奈川県横浜市西区西戸部町一丁目14-2他 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物・その他工作物)/登録番号 14-0350/登録基準「国土の歴史的景観に寄与しているもの」 |
| 指定年 | 令和6年(2024年)8月15日登録・告示(第107回登録)。文化審議会答申は同年3月15日 |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 表門は木造、瓦葺、間口1.8メートル、左右袖塀及び石段付。石垣は石造、総延長70メートル。年代は昭和8年頃 |
| 所有者 | 京浜急行電鉄株式会社 |
| 公開状況 | 敷地は非公開。表門と石垣は路地に面し、公道から視認・撮影が可能 |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース「旧川本家住宅表門及び石垣」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00015005
- 文化遺産オンライン「旧川本家住宅表門及び石垣」
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/608203
- 横浜市「山手のあらまし」(ブラフ積擁壁について)
- https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/toshin/kannaikangai/yamate/yamate.html
- 横浜市西区「ブラフ積みの石垣」西区そぞろ歩き
- https://www.city.yokohama.lg.jp/nishi/shokai/kanko/spot/sozoroaruki/sozoro45.html
- 文化庁「文化審議会の答申(登録有形文化財(建造物)の登録)」令和6年3月15日(PDF)
- https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/yukei_kenzobutsu/pdf/94080301_03.pdf
最終更新日: 2026.08.04