旧横浜正金銀行本店 ― 明治の金融を支えた石造の威容

みなとみらい線・馬車道駅の地上に出ると、まず視界に飛び込んでくるのが、コリント式の大オーダーと巨大な八角ドームを戴いた重厚な石造建築です。それが旧横浜正金銀行本店本館、現在の神奈川県立歴史博物館です。明治建築界の三大巨匠の一人・妻木頼黄が設計したこの建物は、近代日本が世界経済の表舞台に立ち上がる瞬間を象徴する建築であり、関東大震災と横浜大空襲という二つの大災厄を生き延びて今に伝わる、横浜のかけがえのないランドマークです。

横浜正金銀行とは ― 貿易立国を金融で支えた特殊銀行

建物を語る前に、まずこの銀行そのものについて触れる必要があります。横浜正金銀行は、横浜開港から約二〇年後の明治一三年(一八八〇年)、貿易取引の決済と外国為替を専門に扱う特殊銀行として設立されました。「正金」とは紙幣ではなく金銀貨のことを指します。当時、横浜での貿易決済は外国商人と外国銀行が主導しており、政府はその利益が国外に流出することを問題視していました。横浜正金銀行は、この状況を打開すべく、国家戦略として生まれた金融機関だったのです。

設立から二〇年あまりで、同行は世界三大為替銀行の一つに数えられるまでに発展します。明治三三年(一九〇〇年)頃には年間の貸出額が四五〇〇万円に達し、これは当時の財閥系銀行の融資総額の四倍にあたると伝えられます。ロンドン、ニューヨーク、リヨン、ボンベイ、上海、北京など、世界の主要都市に支店網を張り巡らせ、頭取には後に大蔵大臣となる高橋是清や井上準之助が名を連ね、文豪・永井荷風も若き日に行員として海外支店に勤務した経歴を持ちます。

急成長した銀行は二〇世紀の始まりとともに新本店の建設を決断します。明治三二年(一八九九年)三月起工、明治三七年(一九〇四年)七月竣工。建設費は当時の金額で約一一〇万円という巨額にのぼりました。

設計者・妻木頼黄 ― 国境を越えた建築修業

設計を担ったのは、明治建築界の三大巨匠の一人と称される妻木頼黄(つまき よりなか、一八五九〜一九一六)です。東京駅丸の内駅舎や日本銀行本店を手がけた辰野金吾、迎賓館(旧赤坂離宮)を手がけた片山東熊と並び、明治の正統な西洋建築教育を受けた第一世代として知られています。

妻木の経歴はきわめて国際的でした。一三歳で孤児となった後、慶應義塾に学び、明治九年に渡米。ニューヨーク滞在中に、後の日本銀行総裁・富田鐡之助や、後に横浜正金銀行頭取となる相馬永胤らと出会い、その後の運命が方向づけられます。一八九四年(明治二七年)にはコーネル大学建築学科を卒業し、さらにドイツのベルリンに留学してウィルヘルム・ベックマンとヘルマン・エンデの事務所で実務を学びました。英国系のお雇い建築家ジョサイア・コンドルから始まる日本近代建築の流れと、アメリカおよびドイツの最新潮流を直接体得した経験が、妻木の設計に独特の重厚さと正統性をもたらしています。

頼黄が横浜正金銀行本店の設計を任されたのは、ニューヨーク時代以来の旧知の頭取・相馬永胤との縁によると言われます。横浜では、近隣に建つ赤レンガ倉庫も妻木の設計です。

なぜ重要文化財・史跡に指定されたのか

旧横浜正金銀行本店本館は、日本でも数少ない「重要文化財」と「国史跡」の二重指定を受けた建造物です。まず昭和四四年(一九六九年)三月一二日、建築としての価値が認められ国の重要文化財に指定されました。文化庁の指定理由は、明治三〇年代を代表する洋風建築であり、外観がよく保存され、優れた意匠を持つことなどが挙げられています。

さらに平成七年(一九九五年)六月二七日、その敷地一帯が国の史跡に指定されました。この指定は、近代の遺構としては初めて広島原爆ドームと同時に行われたものとして特筆されます。史跡としての評価対象は、横浜正金銀行が明治・大正期の貿易金融において果たした歴史的役割そのものであり、建物が単なる優れた建築であるだけでなく、近代日本経済史の現場でもあったことを物語っています。平成一九年(二〇〇七年)には経済産業省の「近代化産業遺産」(横浜港周辺の関連建築物群)にも認定されました。

建築的見どころ ― ネオ・バロックの威容

様式は一般にネオ・バロック様式と称され、ドイツ・ルネサンスの影響も色濃く認められます。地上三階・地下一階建てで、構造は鉄骨と鉄筋で補強された煉瓦造に石材を貼った「補強煉瓦・石造」。この組み合わせが、後の関東大震災での倒壊を防ぐ決定的な要因となりました。

三面を巡るコリント式の大オーダー

馬車道・南仲通・弁天通の三面に密に配されたコリント式の大オーダー(巨大柱)は、本建築最大の見どころです。柱頭には深く彫り込まれた装飾が施され、茨城の石材企業家・中野喜三郎の指揮のもと、熟練の石工によって刻まれました。外壁には三種類の石材が役割に応じて使い分けられており、大オーダーや正面玄関などには真壁石、二・三階の平壁部分には白丁場石、軒蛇腹や階段には北木石が用いられています。

「エースのドーム」

正面中央に据えられた巨大な八角形のドームは、本建築の象徴です。神奈川県立歴史博物館では、このドームに「エースのドーム」という愛称を付けています。横浜には「キングの塔」(神奈川県庁本庁舎)、「クイーンの塔」(横浜税関本関庁舎)、「ジャックの塔」(横浜市開港記念会館)と呼ばれる三つの塔があり、横浜港に寄港する船員たちの間で自然にトランプの絵札に例えて呼び慣わされてきたと伝えられます。ドームをこの三塔の仲間に加える形で「エース」と名付けたのは、より多くの人にこの建物に親しみを感じてもらいたいという想いから生まれた愛称です。

もっとも、現在のドームは竣工当時のものではありません。大正一二年(一九二三年)九月一日の関東大震災では、建物そのものは倒壊を免れたものの、地震直後に発生した猛火によって地下を除く一階から三階までの内装と屋上のドームが焼失しました。震災後の復旧工事ではドームは復元されないまま使用が続けられ、昭和四二年(一九六七年)に神奈川県立博物館として開館する際の改修工事で、妻木の原設計を踏まえて再建されたものです。

旧玄関広間 ― 内部で唯一の重要文化財指定部分

幾度かの改修を経て内装の多くは姿を変えていますが、一階の旧玄関広間だけは現在も重要文化財に指定されています。大理石や漆喰、鉄工細工で構成された格調高い空間は、明治末の銀行建築が目指した「金融の聖堂」のような厳粛さを今に伝えており、見学者は自由に写真を撮ることができます。

二〇世紀を生き抜いた建築

この建物は、近代日本の歩みをそのまま体現する歴史を持ちます。明治三七年(一九〇四年)の竣工以来、急速な工業化を支える外国為替業務の中枢として機能し、大正一二年の関東大震災では大火に見舞われながら翌年から復旧工事に入り、戦前期にはアジア・欧州・南北アメリカに支店網を展開する世界三大為替銀行の一つに成長しました。昭和二一年(一九四六年)、敗戦により横浜正金銀行はGHQの命令で解体・清算され、その外国為替業務は東京銀行に引き継がれ、その後の合併を経て現在の三菱UFJ銀行へと連なります。

昭和三九年(一九六四年)に神奈川県が建物を譲り受け、新館を増築するとともにドームを復元するなどの改修工事を経て、昭和四二年三月に神奈川県立博物館として開館。平成七年(一九九五年)三月にはさらなる改修ののち、現在の神奈川県立歴史博物館としてリニューアルオープンしました。

見学情報

現在は神奈川県立歴史博物館として運営されており、常設展では「さがみの古代に生きた人びと」「都市鎌倉と中世びと」「近世の街道と庶民文化」「横浜開港と近代化」「現代の神奈川と伝統文化」の五つのテーマで、神奈川の歴史を旧石器時代から現代まで通覧することができます。

ご注意: 当館は現在、館内工事のため二〇二六年一〇月一六日まで休館中です。ご訪問を計画される場合は、必ず事前に公式サイトで最新の開館状況をご確認ください。なお休館期間中も、建物の壮麗な外観は周辺の歩道から自由に鑑賞することができます。むしろ現代の入館動線を経由せず、建築そのものの威容を街路から直接味わうことができる、貴重な期間ともいえるかもしれません。

開館時は通常、九時三〇分から一七時まで開館(最終入館は一六時三〇分)、休館日は月曜日(祝日の場合は翌火曜日)、年末年始、資料整理日です。常設展の入館料は大人三〇〇円程度で、学生や高齢者には割引があります。歴史的な旧玄関広間では写真撮影が可能です。

アクセスと周辺の見どころ

本建築は、日本でも屈指の歴史的建造物の集積地に立地しています。最寄りはみなとみらい線・馬車道駅で、五番出口から徒歩約一分。JR関内駅・桜木町駅からはいずれも徒歩五〜八分程度の距離です。

周辺には次のような魅力的なスポットが徒歩圏内に集まっています。

  • 横浜赤レンガ倉庫:妻木頼黄が設計した近代産業遺産。現在は商業・イベント施設として親しまれています。
  • 横浜三塔:神奈川県庁本庁舎(キングの塔)、横浜税関本関庁舎(クイーンの塔)、横浜市開港記念会館(ジャックの塔)。後二者はいずれも重要文化財です。
  • 馬車道:開港期に外国人居留地と港を結んだ歴史的な街路で、ガス灯や近代建築が今も残ります。
  • 山下公園と係留された大型客船氷川丸
  • 日本最大の横浜中華街
  • 歴史地区と隣接する近未来的なみなとみらい21地区。

外観の鑑賞と横浜三塔めぐり、赤レンガ倉庫散策、中華街でのランチを組み合わせれば、近代日本の重層的な歴史を半日で体感できる充実したコースが組み立てられます。

Q&A

Q建物の内部に入ることはできますか?
A神奈川県立歴史博物館が開館している期間は、現代の博物館入口から入館して常設展示や、内部で唯一重要文化財に指定されている旧玄関広間を見学できます。ただし現在は館内工事のため、二〇二六年一〇月一六日まで休館中ですのでご注意ください。外観は街路から自由にご覧いただけます。
Q「エースのドーム」とは何ですか?
A本建築を象徴する屋上の八角形ドームの愛称です。横浜には「キング(神奈川県庁本庁舎)」「クイーン(横浜税関)」「ジャック(横浜市開港記念会館)」というトランプの絵札になぞらえた三つの塔があり、本建築のドームを「エース」として加えることで、横浜のランドマーク四点セットを完成させようという親しみをこめた呼び名です。
Qドームは創建当時のものですか?
A現在のドームは復元されたものです。大正一二年(一九二三年)の関東大震災後の大火で焼失し、銀行時代はドームのない姿で使用されていました。昭和四二年(一九六七年)に神奈川県立博物館として開館する際の改修工事で、妻木頼黄が設計した本来のシルエットを取り戻すかたちで再建されました。
Q現在のどの銀行とつながりがあるのですか?
A横浜正金銀行は昭和二一年(一九四六年)にGHQの命令により解体・清算されました。その外国為替業務は東京銀行に引き継がれ、その後の合併を経て現在の三菱UFJ銀行へと連なっています。したがって、横浜正金銀行は日本最大級の金融グループの源流の一つにあたります。
Q外観を見るだけでも料金はかかりますか?
A外観の鑑賞は無料です。建物は横浜の中心部の交差点に立地しており、いつでも周辺の歩道から眺めることができます。馬車道側・南仲通側・弁天通側で異なる表情を見せますので、建物を一周してみると、コリント式の大オーダーやドームをさまざまな角度から味わうことができます。

基本情報

名称 旧横浜正金銀行本店本館(きゅうよこはましょうきんぎんこうほんてんほんかん)
現在の用途 神奈川県立歴史博物館
所在地 神奈川県横浜市中区南仲通五丁目六〇番地
設計 妻木頼黄(つまき よりなか、一八五九〜一九一六)
建設期間 明治三二年(一八九九年)三月起工 / 明治三七年(一九〇四年)七月竣工
様式 ネオ・バロック様式(ドイツ・ルネサンスの影響)
構造 補強煉瓦造・石造、地上三階・地下一階、正面中央八角塔屋付(ドライエリヤ石塀附属)
建築面積 約一,九九八.三平方メートル(指定書記載)
重要文化財指定 昭和四四年(一九六九年)三月一二日
国史跡指定 平成七年(一九九五年)六月二七日
所有者 神奈川県
最寄り駅 みなとみらい線・馬車道駅五番出口から徒歩約一分/JR・横浜市営地下鉄関内駅および桜木町駅から徒歩約五〜八分

参考文献

建物のご紹介 | 神奈川県立歴史博物館
https://ch.kanagawa-museum.jp/cultural-properties/building
旧横浜正金銀行本店本館 - 文化遺産オンライン(NII)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/121597
旧横浜正金銀行本店 - 文化遺産オンライン(史跡)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/171835
国指定文化財等データベース ― 旧横浜正金銀行本店本館
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/587
横浜正金銀行建築要覧 | 神奈川県立歴史博物館
https://ch.kanagawa-museum.jp/monthly_choice/2024_05
本店本館創建120周年記念 横浜正金銀行 | 神奈川県立歴史博物館
https://ch.kanagawa-museum.jp/exhibition/9994
利用案内・アクセス | 神奈川県立歴史博物館
https://ch.kanagawa-museum.jp/guide
旧横浜正金銀行本店本館|日本のレガシーをのこす|人と建設と未来ラボ
https://mirai.kentsu.co.jp/legacy/340/
通訳ガイドの建築探訪 神奈川県立歴史博物館(旧横浜正金銀行本店)
https://tanakaakio.com/2021/04/09/kanagawa-prefectural-museum-of-cultural-history/

最終更新日: 2026.05.12