4棟が登録された、平塚の農家

原家住宅は、神奈川県平塚市土屋字秦ノ前にある農家で、4棟が2019年(平成31年)3月29日に登録有形文化財(建造物)となった。指定された文化財ではなく、登録された文化財である。最も古い旧長屋門は1751年から1830年の間に建てられている。

4棟は、主屋、茶室、土蔵、旧長屋門である。所有は原ビルディング株式会社である。

文化庁は主屋を、市北西部の丘陵地にある農家で、主屋は敷地中央に南面して建つ、と記す。ふりがなは、はらけじゅうたく、である。

分類の時代と、年代の欄が食い違う

4棟とも、二つの時代表示が一致しない。

主屋と茶室は、分類が江戸でありながら、年代の欄は明治、1883年から1897年である。

土蔵は、分類が大正でありながら、年代の欄は同じく明治、1883年から1897年である。

旧長屋門は、分類が昭和以降でありながら、年代の欄は江戸、1751年から1830年である。分類と年代が正反対になる。

旧長屋門については、寺院から移築したもの、と記される。移された時期と、建てられた時期が別にあることになる。

ただし主屋と茶室の食い違いは、この説明では埋まらない。4棟の時代表示は、そのまま読むと互いに合わない。

屋根の材が、棟ごとに分かれる

4棟で、屋根に用いる材が揃っていない。

主屋は金属板葺である。入母屋造鉄板葺の平屋建、とされる。

茶室は茅葺である。寄棟造茅葺で、と記される。

土蔵は金属板葺で、切妻造鋼板葺とされる。旧長屋門は銅板葺で、寄棟造銅板葺の平屋建である。

鉄板、茅、鋼板、銅板の四通りになる。茅葺は茶室だけである。

萬福寺本堂や古川家住宅主屋では、茅葺の上に鉄板を仮に葺いていた。本件の主屋は鉄板葺とだけ記され、仮葺の語はない。

旧長屋門は、寺院から移されている

もとは別の種類の施設に建っていた建物である。

文化庁は、寺院から移築したもので、敷地後方の高台に南面して建つ、と記す。

寺の門が、農家の敷地へ移されたことになる。用途の違う施設のあいだで建物が動いている。

旧学習院初等科正堂は学校から学校へ、羽馬家住宅は火災のあと別の集落へ移された。観音正寺護摩堂は古い堂の部材を再用していた。

本件は寺から民家への移築である。間口13間の中央3間を門口とする、とされる。13間はおよそ23.6メートルにあたる。

軸部は太めの柱を貫で固め、小屋組は丸太の梁桁を豪壮にかけ渡す、とも記される。簡素ながら規模雄大なつくり、と結ばれる。

敷地の配置

どの棟がどこに建つかが、記録に示されている。

主屋は敷地中央に南面して建つ。

茶室は主屋の西側に建つ。土蔵は主屋の東側に西面して建つ。

旧長屋門は敷地後方の高台に南面して建つ。主屋を中心に、西へ茶室、東へ土蔵、後方へ長屋門が置かれることになる。

建築面積は主屋が251平方メートル、旧長屋門が107平方メートル、土蔵が46平方メートル、茶室が25平方メートルである。

茶室には、南面西半に腰掛待合を付す、とされる。待合は茶の客が席入りの前に控える場所をいう。

見学

所在は神奈川県平塚市土屋字秦ノ前で、所有は原ビルディング株式会社である。

文化庁は主屋を、県中部の伝統的な民家形式を踏襲した近代の和風住宅、と結ぶ。

茶室は、皮付材を多用した野趣に富む意匠でまとめる、とされる。皮付材は樹皮を残したままの材をいう。

土蔵は、内外に改変があるが、農家の構成に欠かせない附属建物、とされる。

会社が所有する建物であり、公開の有無や条件は所有者の定めによる。訪問前に確認したい。

参考文献

文化遺産オンライン 原家住宅主屋(神奈川県平塚市)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/451360
文化遺産オンライン 原家住宅茶室
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/403901
文化遺産オンライン 原家住宅旧長屋門
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/446543
文化遺産オンライン 原家住宅土蔵
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/431942

最終更新日: 2026.09.16

基本情報

名称原家住宅
所在地神奈川県平塚市土屋字秦ノ前2842
所有者原ビルディング株式会社
指定登録有形文化財 4件
座標35.35630, 139.26357