南海地震が奪い、人がもう一度建てた家
昭和21年(1946年)12月21日午前4時19分、紀伊半島沖を震源とする昭和南海地震が発生し、四国の太平洋岸を激しく揺らした。土佐市宇佐は、浦ノ内湾の湾口に細長く延びる低地に開けた漁師町である。地震動で多くの家屋が倒れ、続いて津波が町を洗った。土佐市域全体では家屋倒壊151戸、流出341戸が記録され、その被害は宇佐を中心に集中した。泉家の住まいも、このとき倒壊した一軒だった。
現在その敷地に建つのは、約一年後、昭和22年(1947年)頃に家人が再び建て直した家である。新しい意匠を一から起こしたのではない。震災前に建っていた家の姿をそのまま再現する形で、同じ敷地北側の道路に北面して建てられた。
泉家住宅主屋は木造2階建で、屋根は切妻造、桟瓦で葺き、棟は東西に通る。規模は桁行6間・梁間3間、建築面積はおよそ92平方メートル。妻側の壁に回り込むと、この建物を土佐の家だと一目で知らせる特徴に出会う。外部の妻壁に取り付けられた、5段に重なる水切瓦である。
戦後の住宅が国の登録を受けた理由
泉家住宅主屋は登録有形文化財(建造物)で、登録番号は39-0163、平成16年(2004年)11月8日に国の登録原簿に記載された。国宝や重要文化財という言葉に慣れた読者のために、この区分について少し説明を加えておきたい。
登録有形文化財の制度は、平成8年(1996年)に、従来の指定よりも緩やかな保護の枠組みとして設けられた。国宝や重要文化財は手厚く保護され、現状の変更には強い制約がかかる。登録制度の働き方はこれと異なる。建物に残す価値があると認めたうえで、大きな改変の際に届出を求めるにとどめ、所有者がそこで暮らし続けることを妨げない。明治後期から昭和にかけて建てられ、指定の対象にはならないものの、日本の町並みに見慣れた表情を与えている膨大な建物群を受けとめるための仕組みである。泉家住宅主屋が登録された基準は、その趣旨を端的に示している。すなわち「国土の歴史的景観に寄与しているもの」である。
したがってこの建物の価値は、古さにあるのではない。昭和22年頃の住宅は、文化財としては新しい部類に入る。それでも登録に値するのは、この家が何を背負っているかという点にある。災害の直後に建てられ、失われた前身の姿に忠実で、土佐の地で代々受け継がれてきた地域の技法、とりわけ水切瓦を今もまとっている。再建されたという事実そのものが、この建物の核心である。
見るべきところ
まず妻壁から見てほしい。水切瓦は、単なる装飾ではない。高知は台風の通り道にあたり、全国でも有数の降雨量を記録する土地で、漆喰の壁面をむき出しのままにしておけば長くは保たない。この海岸沿いで世代を重ねながら導き出された答えが、壁面から薄い瓦の庇を水平に張り出させ、雨水を下の壁から切り離して落とす工夫だった。一つの妻に5段という枚数は、なかなか手厚い。同じ帯状の意匠は、東に位置する吉良川の町並みを特徴づけ、重要伝統的建造物群保存地区として国の保護を受けている。一軒の民家でこれを見ると、この技法がかつてどれほど広く使われていたかが感じ取れる。
二つめの見どころは外からは読み取りにくいが、この家の使われ方の中心にある。2階は全体が一室、20畳の大広間に充てられている。漁師町でこれだけの広さを2階に取れば、寄合や祝い事、一年の節目の儀礼を受けとめることができた。間取りは、戦後の宇佐で相応の暮らしを営む家がどのような住み方を想定していたかを示している。
訪問を考える前に、実際的な点を一つ押さえておきたい。泉家住宅主屋は今も所有され住まわれている個人の住宅であり、一般には公開されていない。内部の見学や公開時間の設定はない。北側を通る公道から外観を眺めることができるだけで、訪れる際は居住者の生活に配慮し、道路から離れず、敷地に立ち入ったり生活をのぞき込むような撮影をしたりしないでほしい。見学の値打ちは、ロープの向こうの展示品ではなく、現役の漁師町に建つ現役の住宅として、その場所のなかにある建物に出会えることにある。
宇佐をめぐる
宇佐は、泉家住宅主屋を目的地そのものとするより、海辺の一日のなかの一つの立ち寄り先として扱う旅人によく応える。カツオやマグロの漁港が浦ノ内湾の湾口を抱くように開けた町で、水がこの土地を組み立てている。
もっとも目につく目印は宇佐大橋だろう。全長645メートルの赤い橋が湾口をまたいで横浪半島へ渡る。昭和48年(1973年)の開通で、それ以前は短い渡しが両岸を結んでいた。この渡し船はおよそ1200年続いたといわれる。橋を渡れば横浪黒潮ラインに入り、片側に外洋、もう片側に穏やかな内湾を眺めながら尾根道を進むことになる。
その道の先に青龍寺が建つ。四国八十八ヶ所霊場の第36番札所で、弘法大師空海ゆかりの寺として開かれた。本堂へは約170段の急な石段を登る。横綱朝青龍が少年時代にこの石段で足腰を鍛えたと伝わる、その石段である。宇佐側に戻れば、湾口の宇佐しおかぜ公園にはオーシャンビューのカフェがあり、季節にはホエールウォッチングの船も出る。土曜の朝には魚市場で市が立ち、前夜の水揚げが地元の野菜とともに並ぶ。
泉家住宅主屋がなぜ建てられたのかを理解した旅人にとって、近くでもっとも心に残る場所は、もっとも素朴な場所かもしれない。宇佐は昭和21年の災害からの復興を記念する碑を建てている。その傍らには、海が引いたときにどう動くべきかという、痛みとともに得た教えを書き留めた標識が立つ。町は地震で甚大な被害を受けながら、犠牲者は比較的少なかった。地元の記録は、過去の津波を生き延びた先人が残した警告のおかげだとする。同じ年月に再建された泉家住宅主屋は、町が自らを建て直していったその歩みのなかにある。
Q&A
- 泉家住宅主屋の内部を見学できますか。
- できません。現在も使われている個人の住宅で、一般公開はされていません。内部見学や公開時間はなく、北側の公道から外観を眺めることができるのみです。居住者の生活への配慮をお願いします。
- この家はいつ建てられたのですか。
- 昭和22年(1947年)頃、昭和中期の建築です。昭和21年12月の昭和南海地震で同じ敷地の前身家屋が倒壊した、その約一年後に建てられ、震災前の家の姿を再現しています。
- 壁に付いている瓦の帯は何ですか。
- 水切瓦です。漆喰の壁から雨水を切り落とすために、瓦を水平に張り出させた段です。降雨と台風の厳しい高知の伝統的な建築を特徴づける手法で、泉家住宅主屋では妻壁に5段が付けられています。
- 登録有形文化財とはどういう意味ですか。
- 国宝・重要文化財の「指定」より緩やかな保護の区分です。平成8年(1996年)に始まり、周囲の歴史的な景観を形づくる建物を、所有者が使い続けられるようにしながら守ります。泉家住宅主屋は平成16年(2004年)に登録されました。
- 近くに見どころはありますか。
- 宇佐大橋と横浪黒潮ラインのドライブ、四国八十八ヶ所第36番札所の青龍寺、ホエールウォッチングの拠点となる宇佐しおかぜ公園、そして泉家住宅主屋の再建と直接つながる震災復興記念碑があります。
基本情報
| 名称 | 泉家住宅主屋(いずみけじゅうたくしゅおく) |
|---|---|
| 所在地 | 高知県土佐市宇佐町宇佐1775-1 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物)/登録番号 39-0163 |
| 登録年月日 | 平成16年(2004年)11月8日(告示 同年11月29日) |
| 年代 | 昭和22年(1947年)頃/昭和中期 |
| 員数 | 1棟 |
| 構造及び形式 | 木造2階建、切妻造、桟瓦葺、建築面積約92平方メートル、桁行6間・梁間3間、妻壁に水切瓦5段 |
| 登録基準 | 国土の歴史的景観に寄与しているもの |
| 公開状況 | 非公開(個人住宅)/外観は公道から見学可 |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース「泉家住宅主屋」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00004449
- 四国災害アーカイブス「昭和21年の南海地震(土佐市)」
- https://www.shikoku-saigai.com/archives/2716
- 仁淀ブルー観光協議会「宇佐大橋」
- https://niyodoblue.jp/spot/detail.php?id=109
最終更新日: 2026.06.18