高知城 ― 本丸の建造物がそっくり残る、日本でただ一つの城
高知城には、ほかのどの城も持たない特徴がある。城の中心である本丸の建物が一棟も欠けずに残り、しかも天守と藩主の御殿が並んで現存しているのは、全国でここだけである。城は四国・太平洋側の高知市の中心、大高坂山という小高い丘に築かれ、その足元を県庁や市役所が取り囲んでいる。
築いたのは山内一豊。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いののち、徳川家康から土佐一国を与えられた人物である。一豊は慶長6年(1601年)に工事を始めた。本丸と二ノ丸は慶長8年(1603年)に完成し、地盤の悪い三ノ丸の造成を経て、城としての形が整ったのは慶長16年(1611年)のことだった。大高坂山には中世以来の城砦があったが、近世の城と城下町、つまり今日の高知の原型をつくったのは一豊である。
大火からの再建と、古式を残す天守
享保12年(1727年)、城下から出た火が城のほぼ全域を焼いた。建物の大半が失われたなか、正面を固める追手門はわずかに焼け残った数棟の一つで、これが今も登城路で最初に出会う最も古い建物となっている。再建は翌年から宝暦3年(1753年)まで続き、当時の人々は外観を新しくするのではなく、創建当初の古い姿をそのまま写し取った。
天守も同じ方針で建て直された。棟木の銘文から、延享4年(1747年)12月26日に棟上げが行われたことがわかり、完成は寛延2年(1749年)である。小天守や付櫓を伴わない独立式の望楼型で、二重の櫓に東西へ大きく入母屋の屋根をのばし、南北には千鳥破風を添え、その上に廻縁と高欄をめぐらせた望楼を載せる。いずれも天守建築の初期に見られる手法で、再建にあたって一豊創建時の形を忠実になぞったために残ったものだ。
外観は四重、内部は六階。最上階の黒漆塗りの高欄付きの廻縁は、一豊が土佐に入る前に住んだ遠州・掛川城を模したと伝わる。創建期の天守をそのまま保つ城は全国に十二しかなく、高知城の天守はそのなかでも初期の様式をよくとどめている。
重要文化財としての価値
高知城では十五棟の建造物が重要文化財に指定されている。昭和9年(1934年)1月30日に旧国宝として指定され、文化財保護法の施行に伴って昭和25年(1950年)に現在の区分へ移された。城域全体も昭和34年(1959年)に国の史跡となっている。
この城をほかと分けるのは、城の住まいの部分が残ったことにある。本丸御殿は懐徳館と呼ばれ、一重・入母屋造・本瓦葺の建物で、武家住宅の正式な書院造の形式をとり、天守と直接つながっている。御殿が残る城自体が珍しいうえに、本丸の御殿がそっくり現存するのは高知城だけである。指定十五棟のうち十一棟がこの御殿の周りに集中しており、ばらばらの遺構というより、一つのまとまった空間として読み取れる。
研究者が注目するのもそこだ。古い天守が一棟あるというだけでなく、藩主が暮らし政務をとった城の頂部が、山内家が土佐を治めていた当時のまま立っている。
訪れたら見ておきたいところ
細部を見て歩くだけで時間が惜しくなる。天守北側の壁と石垣の境目には、先のとがった長い鉄串が横一列に突き出している。侵入者を防ぐための忍び返しで、現存十二天守のうちこれが当初のまま残るのは高知城だけである。
二ノ丸から本丸へ向かう途中には、享和2年(1802年)再建の詰門がある。現存する唯一の廊下橋形式の門で、一階が門、二階が二つの曲輪を結ぶ廊下になっている。内部は入口と出口の扉が筋違いに配され、まっすぐには通り抜けられない。突破しても本丸ではなく脇の段に出るだけという、念の入った造りだ。搦手を固める黒鉄門は享保15年(1730年)の再建で、扉や柱に鉄板を張ったことからこの名がある。
石垣にも目を向けたい。多くは自然石を加工せずに積む野面積みで、雨の多い土地らしく水はけがよい。最もよく整った打込みハギの石垣は三ノ丸あたりで見られる。天守へ至る道はわざと折れ曲がり、攻め手の足を鈍らせるように設計されている。天守上層からは市街地の先に山と海まで見渡せ、夜には城がライトアップされ、日本三大夜城の一つにも数えられる。
城のまわりとアクセス
城域は高知公園として無料で開放され、門や石垣、各段の曲輪は自由に歩ける。有料となるのは天守と懐徳館で、一枚の券で両方に入れる。追手門に近づくと城ゆかりの像が並び、そのなかには一豊の妻・千代の像もある。夫に名馬を買わせるためにへそくりを蓄えたという話で知られる人物だ。公園内には、土佐出身で自由民権運動を率いた板垣退助の像も立っている。
追手門のすぐそばには、平成29年(2017年)に開館した高知県立高知城歴史博物館がある。山内家に伝わった資料を収蔵し、多言語の音声ガイドも用意されている。少し歩けばひろめ市場があり、好きな店で買って共用のテーブルで食べる屋根付きの市場で、鰹のたたきなど土佐の味を試すのによい。日曜には城へ続く追手筋に、長く続く街路市が数百の露店を並べる。
城はJR高知駅から徒歩約25分。とさでん交通の路面電車なら、はりまや橋方面に乗って同所で乗り換え、高知城前で降りれば、そこから歩いて数分である。
Q&A
- 城の中に入れますか。
- 入れます。公園としての城域は無料で、有料の券を買えば天守と懐徳館(本丸御殿)の内部に入れます。開館は9時から17時(最終入館16時30分)で、12月26日から1月1日は休館です。
- 現存十二天守のなかで、高知城はどこが特別なのですか。
- 本丸の建物がすべて残る唯一の城であり、天守と藩主の御殿が両方そろって現存する唯一の城でもあります。塔としての天守だけでなく、城の住まいと儀礼の中心をまとめて見られる点が際立っています。
- 今の天守はいつのものですか。
- 創建の天守は慶長8年(1603年)ごろの完成でしたが、享保12年(1727年)の大火で焼失しました。現在の天守は寛延2年(1749年)までに再建されたもので、創建当初の古い様式を忠実に写しています。
- 忍び返しとは何ですか。
- 天守北側の壁と石垣の境から横向きに突き出した鉄串で、よじ登る侵入者を防ぐ仕掛けです。現存十二天守のうち、これが当初のまま残るのは高知城だけです。
- 高知駅からの行き方を教えてください。
- 徒歩なら約25分です。路面電車を使う場合は、とさでん交通ではりまや橋方面に乗り、同所で乗り換えて高知城前で下車すると、入口まで歩いて数分です。
基本情報
| 名称 | 高知城(こうちじょう) |
|---|---|
| 所在地 | 高知県高知市丸ノ内 |
| 指定 | 重要文化財(建造物15棟)。昭和9年(1934年)1月30日指定、昭和25年(1950年)に重要文化財へ移行。国史跡(昭和34年・1959年) |
| 種別 | 近世以前/城郭 |
| 天守 | 独立式望楼型、外観四重・内部六階、本瓦葺。寛延2年(1749年)再建 |
| 所有者 | 高知県 |
| 開館時間 | 9:00〜17:00(最終入館16:30)。12月26日〜1月1日は休館 |
| 料金 | 城域は無料。天守・懐徳館は有料 |
| アクセス | JR高知駅から徒歩約25分。とさでん交通の路面電車「高知城前」下車、徒歩約2分 |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/102/3432
- 高知城 公式ホームページ(高知公園)
- https://kochipark.jp/kochijyo/
- 高知市 文化財情報 重要文化財 建造物 高知城
- https://www.city.kochi.kochi.jp/soshiki/90/cas-state-1100500.html
- 高知市 文化財情報 高知城付帯項目 天守
- https://www.city.kochi.kochi.jp/soshiki/90/cas-state-1100502.html
- 高知県立高知城歴史博物館 利用案内
- https://www.kochi-johaku.jp/guide/
最終更新日: 2026.06.03
同エリアの文化財
いずれも同じエリアの徒歩圏内にあるので、あわせての見学がおすすめです。
- 高知城 追手門 0.03 km
- 高知城 追手門東北矢狭間塀 0.04 km
- 高知城 天守東南矢狭間塀 0.14 km
- 高知城 天守 0.16 km
- 高知城 納戸蔵 0.16 km
- 高知城 天守西北矢狭間塀 0.17 km
- 高知城 懐徳館 0.17 km
- 高知城 東多聞 0.18 km
- 高知城 黒鉄門東南矢狭間塀 0.18 km
- 高知城 黒鉄門 0.19 km
- 高知城 廊下門 0.19 km
- 高知城 詰門 0.19 km
- 高知城 西多聞 0.20 km
- 高知城 黒鉄門西北矢狭間塀 0.20 km