潜塚古墳 ― 九州の古墳のはじまりを示す大牟田の円墳
潜塚古墳は、福岡県大牟田市黄金町、市街地東側の小高い丘の上にある直径約30メートルの円墳である。築造は4世紀前半、古墳時代でも早い段階と考えられている。昭和34年(1959年)に大牟田市教育委員会が主体部を中心に調査を行い、墳丘中央から並んで2基の石棺が見つかった。鏡や多数の銅鏃、鉄製の工具農具など副葬品が豊富で、この発見によって古墳は広く知られるようになった。昭和52年(1977年)2月17日、国の史跡に指定されている。
丘が立つのは、かつての筑後と肥後の境にあたる場所である。九州で古墳が築かれはじめた時期の南限地のひとつと位置づけられており、古墳という墓のかたちが九州のどこまで、どのように広がったのかを考えるうえで手がかりとなる遺跡である。
墳丘と2基の石棺
現在の高さは約6.5〜7メートルだが、本来は8メートルほどあったと復原されている。注目したいのは墳丘の造り方で、下部3分の1は土を盛ったものではなく、もとからあった丘の地山を削り出して整え、その上に土を盛り上げている。丘の高まりを利用した築造といえる。
中央には、切石を組み合わせた箱形の石棺が2基、主軸をほぼ南北に向けて並んでいた。この箱式石棺という形式は外から持ち込まれたものではなく、北部九州で弥生時代から続いてきた在来の墓制を受け継ぐものである。この点が、潜塚古墳を在地色の強い古墳と読み解く根拠のひとつになっている。
東側の1号石棺は凝灰岩製で、内法の長さは約1.7メートル、蓋は1石。周囲には人頭大の石を敷き詰め、棺の内側には朱が塗られていた。西側の2号石棺は約1.3メートル離れて砂岩の切石で築かれ、小口に副室をもつ。築造の前後関係を示す手がかりも残る。2号石棺は1号石棺の一部を壊して造られており、先に葬られたのは東側の1号石棺だと考えられる。
墳丘からは埴輪も葺石も確認されていない。これも築造年代の古さと矛盾しない特徴である。
棺が納めていたもの
2基の石棺は副葬の内容が異なり、その対比がこの古墳のおもしろさでもある。1号石棺の内部には人骨とともに、神人竜虎画像鏡と管玉2点が納められていた。棺の外からは鉄剣、刀子2、鉄鎌、鍬先、鉋(やりがんな)が出土している。
2号石棺には、別の鏡が納められていた。中国鏡の系譜をひく内行花文鏡の破片で、割られたあとに磨かれて三日月形に整えられ、2つの孔があけられている。身につけるか吊るすための加工とみられる。棺外からは副葬品がまとまって見つかり、銅鏃が47本、鉄製の鋤先1、鎌1、鉋2、斧2、そのほかの鉄製品、土師器の壺2個などが確認された。
専門家が目をとめるのは、この銅鏃である。こうした品は、奈良・大阪を中心とする畿内、つまり成立期のヤマト政権の中枢でみられる文化を反映している。石棺の形は九州在来の伝統を語り、その内と外に置かれた品々は中央との結びつきを示す。副葬品自体は前期古墳に通有のもので特別な在地性は認められないからこそ、この組み合わせが検討に値する。
なぜ史跡に指定されたのか
潜塚古墳が国の史跡となったのは、ひとつの転換期を形にとどめているからである。古墳というかたちはまず中央に現れ、しだいに各地へ広がった。九州への伝わり方は比較的遅く、また一様ではない。北部九州の古い石棺の伝統と、畿内に通じる副葬品とを併せもつこの古墳は、その様式の出会いを実物として示している。九州における古墳発生期のありようを知るうえで、文献からの推測ではなく具体的な拠りどころとなる遺跡なのである。
見学について
古墳へは、駛馬天満宮の社殿の右側を通り抜けた先の丘の上にある。福岡県道788号から、駛馬北小学校近くの信号の東側を登っていくと入口がある。車では入れず徒歩のみで、入口はわかりづらいので、丘を登る小道を探すつもりで向かうとよい。丘の上からは大牟田の街並みを見渡すことができる。
現地は復原整備された記念物ではなく、説明板の立つ草に覆われた高まりである。見学の主役はむしろ出土品で、棺から見つかった鏡や玉、金属製品は大牟田市立三池カルタ・歴史資料館で間近に見ることができる。入館は無料、JR大牟田駅から徒歩約10分の場所にある。
周辺の見どころ
大牟田は今日、古墳よりも石炭の町として知られる。三池炭鉱の坑口である万田坑と宮原坑、そして三池港は、平成27年(2015年)に世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産として登録された。4世紀の墓に始まり、20世紀初めの炭鉱の赤レンガの建物に終わる一日は、この地域の歴史を大きくまたぐことになる。出土品を収める三池カルタ・歴史資料館自体も立ち寄る価値がある。大牟田は日本のカルタ発祥の地として記憶されているからである。
Q&A
- 潜塚古墳はいつ造られたのですか。
- 4世紀前半、古墳時代の早い段階です。近年の研究では、その中でもかなり古い年代に位置づけられています。
- どのような副葬品が見つかりましたか。
- 2基の石棺から、人骨のほか鏡2面(神人竜虎画像鏡と内行花文鏡の破片)、管玉、銅鏃47本、鉄剣・刀子・鎌・斧・鉋などの鉄製工具、土師器の壺などが出土しています。
- どこが重要なのですか。
- 北部九州の弥生以来の箱式石棺の伝統と、畿内に通じる副葬品とを併せもつ点です。九州における古墳文化の伝わり方、その南限のありようを示す遺跡として評価されています。
- 墳丘の中を見られますか。
- 中に入ることはできません。石棺は昭和34年(1959年)に調査され、現在は公開されていません。現地で見られるのは草に覆われた墳丘と説明板で、出土品は市内の資料館に展示されています。
- 出土品はどこで見られますか。
- 大牟田市立三池カルタ・歴史資料館で展示されています。JR大牟田駅から徒歩約10分、入館は無料です。
基本情報
| 名称 | 潜塚古墳(くぐりづかこふん) |
|---|---|
| 所在地 | 福岡県大牟田市黄金町1-429 |
| 指定区分 | 国指定史跡(昭和52年〔1977年〕2月17日指定) |
| 種別 | 円墳・古墳時代前期(4世紀前半) |
| 規模 | 直径約30メートル、現状高さ約6.5〜7メートル(本来は約8メートルと復原) |
| 主体部 | 箱形組合せ石棺2基 |
| 調査 | 昭和34年(1959年)、大牟田市教育委員会による発掘調査 |
| アクセス | 駛馬天満宮付近から徒歩。墳丘へ車での進入は不可 |
| 出土品 | 大牟田市立三池カルタ・歴史資料館で展示(入館無料) |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース「潜塚古墳」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/2677
- 文化遺産オンライン(文化庁)「潜塚古墳」
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/211400
- クロスロードふくおか(福岡県公式観光サイト)「潜塚古墳」
- https://www.crossroadfukuoka.jp/spot/14894
- 大牟田市「三池カルタ・歴史資料館」
- https://www.city.omuta.lg.jp/kiji0032802/index.html
- 大牟田の近代化産業遺産「概要」(明治日本の産業革命遺産)
- https://www.miike-coalmines.jp/outline.html
最終更新日: 2026.05.29