川端彌之助家住宅主屋兼アトリエとは
川端彌之助家住宅主屋兼アトリエは、京都市左京区聖護院中町にある大正14年(1925年)建築の木造2階建の住宅兼アトリエで、令和3年(2021年)2月4日に国の登録有形文化財(建造物)となった。読みは「かわばたやのすけけじゅうたくおもやけんあとりえ」。聖護院の北側の敷地の奥に建つ洋画家の住宅である(文化庁)。
文化庁の記録では、木造2階建、瓦葺、建築面積79平方メートル。登録番号は26-0611で、所有者は記録に記載がない。
洋画家川端彌之助
京都市文化財保護課の研究紀要によれば、川端彌之助(1893〜1981年)は京都市中京区に生まれ、慶應義塾大学法学部を卒業後に画家を志し、関西美術院で澤部清五郎に師事した。大正11年(1922年)に渡仏し、大正14年(1925年)に帰国した後、聖護院にこのアトリエ兼住宅を建てた。戦後は制作のほか、京都市立芸術大学や嵯峨美術大学の教授として後進を育て、京都の洋画界で重要な役割を果たした。
棟札が残り、大工加藤梅吉によって大正14年(1925年)10月に上棟したことがわかる。施工は京都あめりか屋と伝わる。渡仏中に関東大震災の報を知ったため、筋交を多用して耐震に配慮したとみられる(京都市)。
登録有形文化財としての価値
川端彌之助家住宅主屋兼アトリエは「造形の規範となっているもの」として登録された。文化庁の解説は、戦前のアトリエ付き住宅の好例と評価している。
京都市の研究紀要は、アトリエを1階の中心に置いて応接室と隣り合わせ、台所や風呂も隣接させるなど、生活空間と制作空間を分けない構成を特徴として挙げている。
見どころ
川端彌之助家住宅主屋兼アトリエは南北棟の切妻造の大屋根の東側に切妻屋根を張り出し、赤色の洋瓦を葺く(文化庁)。京都市によれば、屋根は当初赤く塗装したセメント瓦で、老朽化のため平成30年(2018年)に同じ色の洋瓦に葺き替えた。基礎は赤煉瓦、外壁はモルタル仕上げで、南側の妻面上部に付柱によるハーフティンバー風の意匠を施す一方、小屋組は和小屋である。
アトリエは天井高を確保するため西側半分を2層分の吹き抜けとし、一定の採光を得るため北側に大きな窓を設ける。床はフローリングで、制作に使ったイーゼルが今も残る。2階の3室のうち南側の室はアトリエに面して開かれ、夫妻の寝室だったと伝わり、北側の室は子供室とされる(京都市)。
見学について
川端彌之助家住宅主屋兼アトリエは個人の住宅とみられ、公開に関する公的な案内は見当たらなかった。外観を道から見るにとどめたい。所在地は京都市左京区聖護院中町5-4。
Q&A
- 川端彌之助家住宅主屋兼アトリエはいつ建てられましたか?
- 大正14年(1925年)で、棟札により同年10月の上棟が確認されています(文化庁、京都市)。
- 川端彌之助とはどんな人物ですか?
- 関西美術院で学び渡仏した洋画家で、戦後は京都市立芸術大学などの教授を務めました(京都市)。
- アトリエの特徴は?
- 西側半分を2層分の吹き抜けとし、北側に大きな窓を設けて一定した採光を得ています(京都市)。
- 川端彌之助家住宅主屋兼アトリエの屋根は?
- 赤色の洋瓦葺で、当初の赤いセメント瓦を平成30年に同色の洋瓦に葺き替えました(文化庁、京都市)。
- 川端彌之助家住宅主屋兼アトリエが登録有形文化財になったのはいつですか?
- 令和3年(2021年)2月4日です。
基本情報
| 名称 | 川端彌之助家住宅主屋兼アトリエ(かわばたやのすけけじゅうたくおもやけんあとりえ) |
|---|---|
| 所在地 | 京都府京都市左京区聖護院中町5-4 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物) |
| 指定年 | 令和3年(2021年)2月4日登録 |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 木造2階建、瓦葺、建築面積79平方メートル |
| 所有者 | 文化庁の記録に記載なし |
| 公開状況 | 公開に関する公的案内なし |
参考文献
- 川端彌之助家住宅主屋兼アトリエ(国指定文化財等データベース)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00013583
- 近代京都におけるアトリエ建築(京都市文化財保護課研究紀要第3号)
- https://kyoto-bunkaisan.city.kyoto.lg.jp/report/pdf/kiyou/03/03_ishikawa.pdf
最終更新日: 2026.10.08