室町通に建つ商家 ―表屋造の町家
中村治男家住宅主屋は、京都市上京区室町通寺之内上る三丁目上柳原町117にある木造の町家で、明治後期の建築に昭和8年(1933年)の改修が加わり、平成19年(2007年)7月31日に国の登録有形文化財に登録された。
文化庁の記録は、この建物の種別を意外な区分に置いている。第三次産業である。住宅ではない。住宅であるにもかかわらず、そう分類されている。この区分は、建物が何のためにあったのか、そしてそこから導かれる間取りを指している。
寺之内から北へ延びる室町通の一帯は、布によって形づくられた上京の一部である。織屋、問屋、染屋、そしてそれらに資金を回す家々がこの街区を埋め、建物は、表で商いをし、奥で暮らすように設計された。中村治男家住宅もそのひとつで、平面の形がその仕組みの記録になっている。
この家の歩みも知っておきたい。ただし国の記録ではなく地域の伝えによる。中村家は屋号を中万といい、もとは寺之内新町で造り酒屋を営んでいた。のちに不動産業へ転じ、西陣の織屋であったこの家を購入して移り住んだと言われている。つまりこの建物は、二つの商いの生涯を負っている。建てられたときの商いと、買われて入ってきた商いである。
表屋造という平面
この家は表屋造で建てられている。街路に面する棟と居住のための棟を坪庭で切り分け、部屋を奥へ一続きに並べない形式の京町家である。相応の規模の商家が用いた構えだ。表の棟で商談を済ませられるので、客が家族の部屋を通り抜けることがない。あいだの坪庭が、両方の棟に光と風を送り込む。
表屋は街路に西面し、間口は3間半、約6.4メートル。坪庭を介して置かれる居住棟は間口6間、約10.9メートルの面を見せる。木造2階一部平屋建、瓦葺、建築面積151平方メートル。
街路側の三つの要素が、表屋の働きを語っている。
1階の右手にあるのが大戸である。荷を通し、商用の客を迎えるための作業口で、それに見合う幅を持つ。左手には出格子。壁面から張り出した格子で、この種の格子は内側から街路を見ながら、外からは見られずに済む。張り出しは部屋の前に浅い棚状の空間をつくる。その上、2階には虫籠窓が開く。縦の桟に漆喰を厚く塗り込めた窓で、白い短い縦材が漆喰の壁に並ぶ格好になる。塗り込めは防火のためだ。2階に木の格子を露わにすれば、隣家の屋根からの火を呼ぶ。
居住棟の内部では、1階と2階のいずれも背面に8畳の座敷と6畳の次の間を構える。よい部屋を奥に置くのは町家の当然の理屈である。街路は音と商いの側で、奥に庭と静けさがある。それを両階で繰り返しているということは、複数の階できちんと客を通す必要があった家だということだろう。
昭和8年の改修について、記録は内容を記していない。昭和の初めは、京都の商家に台所や硝子建具、配線が入れられた時期にあたる。単一の時点ではなく、層として建物を見ておいたほうがよい。
国の記録はこの建物を「京町家の好例」と結んでいる。典型であることに価値がある建物に対しては、控えめだが的確な言いかたである。例外ではなく、規則のよく残った実例なのだ。
街路の側から登録された
日本の二つの保護制度は、強さと目的が異なる。国宝と重要文化財は指定であり、対象を絞り、許可制で管理し、手厚い補助が付く。登録有形文化財は平成8年(1996年)の文化財保護法改正で設けられた緩やかな枠組みに属し、同年10月1日施行、所有者は許可ではなく届出で足りる。明治以降の建造物が評価される前に取り壊されていったこと、そしてとくに京町家が、厳選型の制度では追いつかない速さで失われていったことが、この制度の背景にある。
対象は原則として建設後50年を経過したもので、三つの基準のいずれかを満たす必要がある。この主屋が登録されたのは第一号「国土の歴史的景観に寄与しているもの」で、同じ日に登録された隣の土蔵も同じ基準による。町家にはこの基準が正しく当てはまる。ここで守られているのは唯一無二の名作ではなく、街路に向いた一枚の面である。大戸、格子、塗り込めた窓、瓦屋根が正しい比率で並んだ面が、そうした面の入れ替わりが進む通りに残っている。
訪ねかた、そしてどこへ行くか
この家は非公開である。現在も個人の住宅として使われており、京都府国登録文化財所有者の会も公開状況を非公開と記録している。公開日はなく、申し込む窓口もない。
ただし登録された価値は街路側の面にあり、それは公道から時間を問わず、無料で残らず見える。室町通の向かい側に立ち、下から上へと立面を読んでいきたい。戸、格子、そしてその上の塗り込め窓。北隣には同じ日に登録された土蔵が、切妻屋根の平側を街路に向けて建つ。この一帯へは市バス「堀川寺ノ内」下車、徒歩数分。または地下鉄烏丸線今出川駅から北西へ徒歩15分ほど。撮影は公道からに限り、敷地の内へは向けないでいただきたい。
同じ型式の内部を見るなら、答えは一か所である。西陣くらしの美術館 冨田屋は明治18年(1885年)建築の呉服問屋の住宅で、平成11年(1999年)に登録有形文化財となった。同じ表屋造で、案内付きの見学に加え、着物やお茶席の体験も受け付けている。六つの坪庭、三つの蔵、茶室、能が舞える離れ座敷を備える。予約が必要で、入館には靴下が要る。ここの坪庭を歩くことが、中村治男家住宅の内部を歩くことにもっとも近い体験になる。
近くにもう二つ寄れる場所がある。小川通寺之内上るの茶道資料館(裏千家センター内)は茶道具を展示し、茶室「又隠」の原寸の写しを備える。開館9時30分から16時30分、入館は16時まで、月曜と展示替期間は休館。そして寺之内の一帯には妙顕寺、本法寺、宝鏡寺などの寺院が続く。徒歩1時間ほどで、商家の通りと、その通りの名の由来となった寺町とをつなげて歩ける。
Q&A
- 中村治男家住宅主屋の内部は見学できますか。
- できません。個人の住宅で非公開であり、公開日も申込窓口もありません。登録の対象となっている街路側の立面は、公道からいつでも無料で見られます。同じ表屋造の内部を見たい場合は、近くの登録有形文化財の町家、冨田屋が予約制で公開されています。
- 中村治男家住宅主屋の所在地とアクセスを教えてください。
- 京都市上京区室町通寺之内上る三丁目上柳原町117、街路に西面して建っています。市バス「堀川寺ノ内」下車徒歩数分、または地下鉄烏丸線今出川駅から北西へ徒歩15分ほどです。
- 表屋造とは何で、中村治男家住宅主屋ではどう使われていますか。
- 表屋造は、街路に面する棟と居住棟を坪庭で分ける京町家の形式で、客が家族の部屋を通らずに表で商談ができます。この主屋では表屋の間口が3間半(約6.4メートル)、坪庭を介した居住棟が間口6間(約10.9メートル)の面を見せます。建築面積は151平方メートルです。
- 中村治男家住宅主屋の正面では何を見ればよいですか。
- 三つあります。1階の右手が荷を通す大戸、左手が張り出した出格子。2階には縦桟に漆喰を厚く塗り込めた防火のための虫籠窓が開きます。北隣には同じ日に登録された土蔵が、切妻屋根の平側を街路に向けて建っています。
- 中村治男家住宅主屋はいつ建てられ、何に使われていたのですか。
- 明治後期の建築で、昭和8年(1933年)に改修されています。国の記録では種別が住宅ではなく第三次産業に分類され、商業的な用途を反映しています。屋号を中万とした中村家がもと造り酒屋を営み、のちに不動産業へ転じて西陣の織屋であったこの家を購入したと地域では伝えられていますが、国の記録には記載がありません。
基本データ
| 名称 | 中村治男家住宅主屋(なかむらはるおけじゅうたくしゅおく) |
|---|---|
| 所在地 | 京都府京都市上京区室町通寺之内上る三丁目上柳原町117 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物)/種別は産業3次 |
| 指定年 | 平成19年(2007年)7月31日登録、同年8月13日告示/登録番号26-0262 |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 木造2階一部平屋建、瓦葺、建築面積151平方メートル |
| 所有者 | 個人(国の記録に所有者名の記載なし) |
| 公開状況 | 非公開(個人宅)。街路側の外観のみ公道から見学可 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)中村治男家住宅主屋
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00006544
- 文化遺産オンライン 中村治男家住宅主屋
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/119617
- 文化庁 登録有形文化財(建造物)
- https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/yukei_kenzobutsu/toroku_yukei.html
- 西陣くらしの美術館 冨田屋
- https://tondaya.co.jp/
- 裏千家 茶道資料館 利用案内
- https://www.urasenke.or.jp/textc/gallery/museum/facility3/
最終更新日: 2026.07.30