興正寺東面北側築地塀 ― 堀川通に残る江戸期の塀

興正寺の東の縁は、漆喰塗の築地塀を隔てて堀川通に接する。京都の寺が通りと境内のあいだに一線を引くために長く用いてきた種類の境界である。その東面のうち北側の一区間、阿弥陀堂門の両脇に延びる塀は、寺に二つある登録された塀のうち古いほうで、ここで江戸時代までさかのぼる唯一の塀でもある。

建立は江戸末期、およそ天保から慶応(1830〜1868)のあいだで、延長は約24メートルに及ぶ。真宗興正派本山である興正寺の大堂が、明治35年(1902)の火災後に建てられた20世紀初頭の再建であるのに対し、この塀は災禍以前の寺に属する。通り沿いの北端に、新しい塀が真似ても及ばない重みと質感を与えている。

なぜ登録されたのか

塀は令和7年(2025)8月、登録番号26-0699で国の登録有形文化財となった。意匠だけでなく、国土の歴史的景観に寄与するものとして評価されている。

見た目より建築的な造りである。切石積の基礎が一間ごとに立てた柱を担い、それを桁で繋ぎ、梁の先で軒桁を支え、その上に間隔の詰まった二軒繁垂木を載せる。外側は白漆喰で仕上げ、水平の定規筋を五本付す。この筋は単なる装飾ではない。寺の塀ではその本数が格式の印と読まれ、五本は最上位にあたる。興正寺が本山として掲げた印である。阿弥陀堂門まで延びるこの塀は、堀川通沿いに重厚で格式ある境内の縁をつくる。

訪れたら見たいところ

寺の堀川通側の北の部分を歩き、塀を背景ではなく建築として読みたい。上部に走る五本の白い筋が探すべき特徴で、それは知る値打ちのある意味を担っている。背後の寺の格式を示すのである。石の基礎と、瓦の笠の下の垂木の律動を見れば、堂に払われたのと同じ手入れが塀にも表れている。

阿弥陀堂門のかたわらに延びるため、この区間は門と一体の構成として読める。公の通りから時間を問わず自由に見られ、三門とともに、公開時間を気にせず楽しめる興正寺の部分のひとつである。南のより長い塀と比べると、やや詰まった垂木の間隔と江戸という年代が、古く独特の性格を与えている。

よくある質問

Qこの塀はどのくらい古いのですか。
A江戸末期、およそ天保から慶応(1830〜1868)の建立で、寺の諸堂や南側の塀より古いものです。
Q五本の筋は何を意味しますか。
A寺の塀では水平の定規筋の本数が格式の印と読まれ、五本は最上位にあたります。興正寺が本山であることを示します。
Q長さはどのくらいですか。
A約24メートルで、阿弥陀堂門のかたわら、東面の北側部分に延びています。
Q入らずに見られますか。
Aはい。塀は堀川通に面し、公の通りから時間を問わず見られます。
Qどのように保護されていますか。
A令和7年(2025)8月に国の登録有形文化財となりました(登録番号26-0699)。歴史的景観への寄与が評価されています。

基本情報

名称興正寺東面北側築地塀(こうしょうじとうめんきたがわついじへい)
所在地京都府京都市下京区醒ケ井通北小路下る花園町69他
指定区分・登録登録有形文化財(建造物)/令和7年(2025)8月6日登録
登録番号26-0699(第110回)
年代江戸末期(1830〜1868頃)
構造土塀、瓦葺、延長約24m、外側漆喰塗・定規筋五本
所有者宗教法人興正寺
アクセス堀川通沿い東面の北側/京都駅から徒歩圏

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース:興正寺東面北側築地塀
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00015484
本山興正寺 公式サイト:沿革
https://www.koshoji.or.jp/about.html
本山興正寺 公式サイト:建造物
https://www.koshoji.or.jp/about_2.html
真宗興正派 寺院紹介
https://www.shin.gr.jp/member/kosho.html

最終更新日: 2026.07.06